渡邊芳之先生ynabe39の「アートにおける引用の問題」だな。学問は「原典を明示して引用する」場合はパクリとは言われないわけだけどアートだと「原典を明示」って難しいよね。
素人なので全くの推測ですが、デザインとか音楽などのアートも似たようなところがあるのではないかと思うわけです。現代において、どんなデザインも音楽も、全く新しいものが、進化の歴史のようなものとは全く独立して、突然、ぽっとそこに生じるわけがないのではないかと。
2015-09-06 09:51:09「アートにおける引用の問題」だな。学問は「原典を明示して引用する」場合はパクリとは言われないわけだけどアートだと「原典を明示」って難しいよね。
2015-09-06 10:07:27「誰でも知っている名画やキャラクターをアートに取り込む」のであればパクリとは言われにくい。モナリザの構図で絵を描いたりドラえもんを登場させたりだったらパクリというより「パロディ」とか別のものととらえられるだろう。
2015-09-06 10:09:40誰でも知っているものでないものをアートに取り込むとパクリと言われやすい。そうするとパクリと言われるかパロディととらえられるかはもっぱら見る側の知識に依存してしまう。
2015-09-06 10:11:06研究の世界では、そういうことがわりと普通にありますね。明らかにすごい発見・発明がなされた論文において、無名のジャーナルに掲載されている無名の研究者の古い論文が、カギとなる先行研究として活用されていたりすることがたまにあって、そういうのはとてもクール。
2015-09-06 10:13:58パクリとオマージュの境界とか言われるたび、「笑点」が実は「氷点」(当時の大ヒットドラマ)のパクリであることをどれだけの人が知っているだろうかと考える
2015-09-06 10:15:00自動車のデザイン評論とかも、床屋談義の延長線のようなやつだとひどいしなあ。すぐ「○○は△△のパクリ」みたいな言表が出てくる。結果、△△よりも前に□□が似たようなデザインをしていたことを知らないのを自分で告白してしまう。
2015-09-06 10:15:07@ynabe39 「パクリはパクリ元に気付かれたくない。 パロディはパロディ元を知っていればより楽しめる。 オマージュはオマージュ元を知っていないと面白さがあまり伝わらない。」 みたいな話はたまに聞きますね。制作サイドとして元ネタがバレたら困るのがパクリとも言えるのかもしれません
2015-09-06 10:15:15先駆者へのリスペクトを示すという精神論的な意味ももちろんありますが、よい素材は有名・無名にかかわらず(必要な対価が支払われた上で)世の中でどんどん使われるべきなんですね。ソースが明示してあればそれが使いやすくなりますし、その素材を生みだした人が活躍するきっかけにもなりうる。
2015-09-06 10:16:51「元ネタがバレたら困るのがパクリ」とは上手いこというなあとは思うけど実際にそれでパクリとパクリでないものを区別するのは難しいだろうなあ。
2015-09-06 10:16:52@ynabe39パロディ本の帯にネタ元作者の娘が寄稿した話もありやす⇒田中圭一による手塚治虫パロディ漫画「神罰」単行本の帯において、手塚るみ子は「訴えます(怒)。ライオンキングは許せても 田中圭一は 許せません!!」という文を寄稿ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9…
2015-09-06 10:25:51@ynabe39 アンディ・ウォーホルの「キャンベルスープ缶」などは、それそのままですが、今なら「ステマアート」とか揶揄されるのでしょうか。
2015-09-06 10:26:38@ynabe39 デュシャンが有名ですね。モナリザに、落書きっぽくヒゲを描き足した作品もですが、そのあとヒゲなしにして「ヒゲを剃ったモナリザ」が。後者はただの模写なんですが。
2015-09-06 10:39:33@ynabe39 類似性を高らかに謳った結果、似ることがその製品のアイデンティティを確固たるものにして「やっぱり似て非なるモノでなくっちゃ」というファン層をつくる例もありますね。コピーライカとか。「コピー」がパクリ、パロディ、オマージュのどの定義に入るのかは分からないですが。
2015-09-06 11:20:10@ynabe39 「マニアだけには通じてニヤリとするオマージュやパロディ」と「ネタが割れると困るパクリ」の区別は本当に難しくて、結局「大瀧詠一がやったんならオマージュなんだろう」みたいに「誰がやったか」で判断するしかない場合も多いように思います。
2015-09-06 12:16:04