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林「昭和17年にV2号ロケットの資料が理化学研に到着、わたしの高校の先輩がやってて94才でまだご存命」「理研にまだその図面があるかどうかは解らないけれど」「初期のV2だと思うけど」秋水の資料以前に日本にロケット資料があったって事かあ。 #rocketfes
2011-01-08 16:32:29![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
伊号第30潜水艦がドイツから技術資料を持ち帰って17年10月にシンガポールまで帰還しているが、それだろうか?17年ならこの一隻だけ。 RT @sasamotoU1 林「昭和17年にV2号ロケットの資料が理化学研に到着
2011-01-08 17:36:41![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
おお、さすが! RT @J_kaliy 伊号第30潜水艦がドイツから技術資料を持ち帰って17年10月にシンガポールまで帰還しているが、それだろうか?17年ならこの一隻だけ。 RT @sasamotoU1 林「昭和17年にV2号ロケットの資料が理化学研に到着
2011-01-08 17:37:59![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@J_kaliy ただし到着した資料は金もない(解析要員もいないし実験費用もないという意味だと思う)んで秋水開発くらいまではほったらかしだったらしい。
2011-01-08 17:38:51![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
帰宅して、戦前の航空朝日を漁っているのだが。ロケット特集号が見つからない。表紙にカプロニ・カンピニが描かれている号。何年だったかな。昭和17年以前だったような気もするが・・・
2011-01-09 02:15:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
発掘できたが、航空朝日のロケット特集 17年10月号だった。 RT @J_kaliy 伊号第30潜水艦がドイツから技術資料を持ち帰って17年10月にシンガポールまで帰還しているが、 RT @sasamotoU1 林「昭和17年にV2号ロケットの資料が理化学研に到着
2011-01-09 02:26:51![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
内容にそれらしい記事は無し。ウィリー・レイによるドイツのロケット開発の解説とかはあるが・・・ちなみに糸川英夫先生も英米試作機批判というコラムを寄稿。
2011-01-09 02:43:41![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ん?ウィリー・レイ?ウィリー・レイ(ヴィリ・ライ)は1933年か1934年にクラークら英惑星間協会経由で米に亡命。米国に渡ってからのジャーナリストとしての記事が原本だろうか?@nobkoba RT ウィリー・レイによるドイツのロケット開発の解説
2011-01-09 03:53:41![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
改めて読み直したところ、一番最後の次のページに小さく (附記)これはアメリカ海軍協会記事67巻四六0號 「ロケット飛行機 出現するか」を訳出したものである。 とありました。 RT @kakansaku: 米国に渡ってからのジャーナリストとしての記事が原本だろうか?
2011-01-09 07:34:54![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
一方で別な記事「最近における各国のロケット開発」河瀬 曖 という記事では注目すべきドイツのロケット開発者としてウィリー・レイの名前が挙げられていたり、ちょっと混乱してますね。
2011-01-09 07:41:22![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ウィリー・レイといえば戦後にコリアーズマガジンでフォンブラウン監修、ボーンステルのイラストで一連の宇宙開発絵巻が有名ですが、この航空朝日の記事では自身もロケットエンジンを作って試験していて、そのエンジンの写真とおぼしき物も載ってます。5秒は燃やしていたらしい。
2011-01-09 07:44:41![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
あっ間違えた、90秒を越えることはなかった、と書いてありますが、それはけっこうすごい。他に名前が出てくるのはユンカースとゼンガーでゼンガー教授は2〜3年前に、25分間の燃焼に成功した。と書いてある。
2011-01-09 07:47:36![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ちなみに手元にある「航空朝日」の19年8月号と11月号にもロケット関連の記事が載っていて、8月号ではドイツのV1號を「流星爆弾」と称していますね。かっこいい。記事は英フライトの記事の翻訳、グラスゴーでロケット開発をしているJ.J.スミス J.デニスによる記事。
2011-01-09 08:02:16![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
19年11月号には、 ドイツにロケット戦闘機が現れたという情報もあり、米英もロケット飛行機の大量生産に入ったと大見得を切っている。 という記述有り。
2011-01-09 08:07:19![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
現代でも存在する、開発者と市井での、常識レベルの違いは、70年前でもあったのでは? いまだ世間では戦前のロケットのイメージが罷り通っているが(特にフィクションで顕著)、実際の現場では、そんな阿呆なロケット像は微塵も無い。
2011-01-09 08:08:14![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
そして、1944年5月のサタデー・イヴニング・ポストの記事の翻訳で「ロケットで飛んだ男の話」として1942年のベルのXP-59Aの初飛行の記事が載ってます。
2011-01-09 08:13:24![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
そうかV2だと流星にすら見えないか。気がついたら着弾しているのだから。V1だとむしろバルスジェットの航跡が流星のように見える・・・ということかしらん。
2011-01-09 08:18:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ネタ元になっている海外の航空雑誌の記事の充実もあるでしょうから、一概にそうとも言えないでしょうが、次々と紹介される実例が焦燥感を煽ってる感じはあるような気はする。 RT @hologon15: @nobkoba その間に、何かあったとの傍証?
2011-01-09 08:38:04![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@nobkoba 劣勢を跳ね返す、画期的な新兵器を渇望していたのは、間違いなくあるでしょうね。自覚が無くても、世間に流れる空気が、そういう物を夢想させたはず。 そもそも、押している側が、既存の兵器以上の物を頼む意味が無い(苦笑)
2011-01-09 08:54:13![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@nobkoba ドイツに滞在していた大島大使がV2号について長い訓電を暗号で日本に送っていたという話もあるので、図面無しの資料ならそっちの可能性もなくはない。
2011-01-09 09:25:34