1920年代の映画(館)のリズム——『淀川長治自伝』より

細馬弘通氏による抜き書きがとても印象深かったため、備忘としてまとめました。
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細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

「この(映画の)リズムをためすため私は若いころ映画館の一番まえの一番はしの通路のわきに立ち、壁に向い画面を見ないでかすかに感じとれる映写の光のリズムを計ってみたことがあった。」(『淀川長治自伝』中公文庫)

2015-09-28 14:03:41
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

サイレントは映写ととおにオーケストラ・ボックスからなまの伴奏が加わるものの、「映画」自身は音を出さぬまま映写が始まり、この「音のせぬこと」が逆に場内を静かにさせてしまうのであった。(『淀川長治自伝』中公文庫)

2015-09-28 14:09:57
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

音がしないでタイトル、音がしないでスタッフ、音がしないでスタアたちの名、そしてファースト・シーン。このファースト・シーンがたとえばすばやくパッととびだしたとしても、実は静かなのである。(『淀川長治自伝』中公文庫)

2015-09-28 14:10:33
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

やがて説明者(弁士)の位置、それは画面に向って左側、そこにうすいグリーン(ほとんどいつもグリーン)の光をとおした電気箱に説明者の名を記したその細いガラス箱がパッとやわらかく明るくなるや、その説明者がファースト・シーンを説明しはじめる。(『淀川長治自伝』中公文庫)

2015-09-28 14:11:11
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

『淀川長治自伝』には、リー・ド・フォレストのフォノフィルムが大正十四年に神戸の聚落館で公開されたときのことも記されている。エディ・キャンターの「かん高い声の台詞」のもたらす「半ば腹立ちと半ば期待」。このようなさらりとした記述の重要さに、20数年前なら気づかなかっただろう。

2015-09-28 14:16:28
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

サイレント時代に弁士がいたことも楽隊がいたことも、映画史の教科書には書いてある。でも、その一刻一刻が客席に、どんな風に響いたか。それがもうもうたまらない書き方で、淀川長治自伝に。ちなみに、自伝に頻繁に出てくる「もうもう」、浄瑠璃口調で読んでます。

2015-09-28 22:07:12