- misonikomioden
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沢山「瀧口はPCL映画製作所東宝の前身に入ったりと映画の問題に入る。 大衆芸術の問題は針生に持ち込まれ、東野芳明であればマスメディア、テレビ、ポップカルチャーへの関心。 花田が柳田国男の理論を使い文字文化化から視聴覚文化そしてポップカルチャーへ繋がる流れをはるか以前にやっている。
2015-10-04 00:34:55沢山「中原佑介は、大衆文化、50年代おける総合芸術、 メキシコ壁画、ラスコーの壁画、文化人類学的芸術への関心、ジョージ・キューブラーへの接近や、ルネサンス遡り発明家の研究をする
2015-10-04 00:37:11沢山「30年代に50年代に反復する。大衆芸術と前衛芸術、総合芸術。 御三家のおかれた状況は受け継ぎつつも、美術館制度や現代美術という領域の自立にともない、彼らの批評言説もジレンマ、齟齬をきたした。
2015-10-04 00:37:44沢山「高度に制度化専門家するところで、彼らの出自、ポップカルチャーへの関心、芸術の拡張可能生はあったが、美術ジャーナリズムと美術の現場は高度に専門家し、強いジレンマと抑圧があった。それから読み直さないといけない
2015-10-04 00:38:10沢山「成相肇が展示を行ったが、石子順造はそのような状況を察し現代美術をやめてキッチュへ。そして鶴見俊輔のマージナルアート、限界芸術へとなる
2015-10-04 00:46:07土屋「出版物を作りましょう、美術批評を再検証しましょうというプレイベントと議論共有みたいなことだが、批評前/後、問題となり前後を分けているのは太平洋戦争だ。だから戦前に作り上げられた批評的言説等をそのまま持ち越したか、といえば問題がある。
2015-10-04 00:51:29土屋「中井正一は1930年に検挙され広島にひっこみ啓蒙活動や戦後は議員出馬などするが、美術出版社から出た彼の評論集を読むと戦中は翼賛的な文章もある
2015-10-04 00:53:39土屋「また瀧口の、まとまった全集はまだないが、文章を集めたコレクションを見てもそれほど入っていが、辻詩集(?)というアンソロがあって、そこでは戦争賛美の詩も書いてる
2015-10-04 00:54:56土屋「花田清輝、戦後に花田吉本(吉本隆明)論争があって、花田に対する批判は、戦争協力しただろうっていうこと。 吉本から高村光太郎を批判する問題にもあるが、戦中の問題を戦後において総括し新しい時代を造るのかというのが戦後にあった。
2015-10-04 00:56:36土屋「2015年において、美術批評家の戦争責任問題を問うても意味がなく、美術の世界、日本の戦後処理、今の安倍政権に繋がる、其の状況、つまり戦後処理が上手く言っておらず中途半端に、戦後日本成るものが開始詩今日まで続き、機能不全矛盾がおきている、と
2015-10-04 00:57:29土屋「美術の戦争責任はどう解決したか。藤田嗣治をスケープゴートにしてそれで解決した、と。 内田巌は逆転向コース。翼賛から共産主義の日本美術協会へ入り、藤田嗣治へ詰め腹をきらせる
2015-10-04 00:59:31土屋「美術批評が自立しているとするならば、 戦中から活動した美術評論家、中井も花田も正確にはそうではないが、瀧口はそうで、瀧口が戦争責任を問うたといえば問うてない
2015-10-04 01:00:57土屋「それをしなかったがゆえにどうしたか。 瀧口は戦後の作家アヴァンギャルドを一貫して擁護し、 ジャーナリスティックな活動は1950年代で終わるが、それでも画廊に足繁く通う継続をする。
2015-10-04 01:02:26土屋「戦後の美術評論は、戦前の美術評論があるとして、 前衛という枠組みで、父なる瀧口がいて、戦後の人々は父殺しに失敗した。
2015-10-04 01:02:43土屋「ここに座っている中で沢山と私が美術評論家(美術批評家)を名乗っているが、別の観点から、美術批評というジャンル、これが自立してあるのかといえばそうではない。
2015-10-04 01:03:15土屋「小林秀雄の問題。 近代的な自立した批評とは小林秀雄から。 彼が父的存在。 戦前から活動する戦後第一世代の近代文学批評。 平野謙 や羽生豊などに反面教師的に繋がり、江藤淳とか柄谷行人などに続き、更には東浩紀まで続くある種の文壇における批評がある。
2015-10-04 01:05:27土屋「戦前の小林秀雄は読むに耐えない。人物評であり作品評でない。 戦前においては絵を見るのは実物ダメで複製画で良いと居直りもある。 それは日本という極東の文化的地理的僻地からの文芸評論家の単価の切り方でもあるが、
2015-10-04 01:07:56土屋「戦後にどうするか。 ヨーロッパへ行き実物みて驚き、そして猛勉強し、「近代絵画」という書物が刊行される。美術家であり批評家の岡崎乾二郎がしばしば評価しているテキスト。
2015-10-04 01:08:56土屋「近代以降の、印象派からピカソに至る過程が鮮明かつ的確に綴られる。1950年の著書だ。 そのような形でとられた美術評論家が日本語圏にいたかというと、いない。 「近代絵画」なるフォームは美術評論では参照されていない。
2015-10-04 01:10:01土屋「そのような文芸評論に対する敵対とジェラシーが、美術批評なるものをマルクス主義的な前衛の末裔として化石のように生き延びさせている。 割り切っているといえばそうだし、そのため切り離してしまった可能性が摘み取られ、今日につづいている、と。
2015-10-04 01:10:29