マジで?(議論途中)

適切なタイトルが浮かばなかった。
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まるぼうろ @marubou6

.@dokuninjin_blue 同様に、人間は社会的動物であり、他者と交渉し生を営むようにできている。他者との交渉には言語や特定の作法(文化といってもよい)が用いられ、それらを共有するもの同士は共感がしやすく集団が形成されやすい。

2015-09-19 15:32:22
まるぼうろ @marubou6

.@dokuninjin_blue 一方、それらを共有しないものに対しては、共感がしにくく、差別・排斥が起こりやすく、それらを異にするする集団間で対立が繰り返される。場合によっては対象を非人間化してみてしまうこともある。

2015-09-19 15:33:05
まるぼうろ @marubou6

.@dokuninjin_blue 人間と言う生物にとって、言語・文化(それに関わる民族性)のほうが、身体毛の一部分が薄い(ハゲ)ということよりも、本質的な問題になりやすい、というのは、思想の自由市場で決まる条件ではなく、ほぼ生物学レベルで与えられた条件です。

2015-09-19 15:37:06
まるぼうろ @marubou6

.@hyougen0 興味本位で逆に聞きたいのですが、生物学者になったつもりでヒトを観察した場合、“言語・文化”と“ハゲ”は、その生の営みにおいて同次元の(つまり同列に語れるレベルの)重要性を持つ要素だと思うのですか?(だとしたら、こっちこそマジで?)

2015-10-06 18:21:01
ねこ @hyougen0

.@marubou6 「文化」という言葉が余りに広義なので議論しづらいのですが、(頭髪の薄さをハゲと見なすことも広義には文化ですから)、あなたの主張は例えば「その人の頭髪が薄いという外見の一要素よりもその人がどのような言語を話しているかということをより本質視・重要視することは、→

2015-10-06 19:55:33
ねこ @hyougen0

.@marubou6 →思想や時代的・社会的影響と無関係に、遺伝子レベルで感情や行動に組み込まれている」というものですよね?で、あなたは思想的・時代的影響を不可避に受けているので、自身の判断バイアスなくそれを示すには実験・実証結果が不可欠でしょう。そのデータをお持ちですか?

2015-10-06 19:55:57
まるぼうろ @marubou6

@hyougen0 なんだか「何時何分何秒地球が何回回ったとき?」みたいですね(笑)。そもそも、なぜ実験・実証によるデータが必要なのか。もしかしてそれがあると“科学的”っぽいからそうおっしゃるのでしょうか? だとしたら、肉眼による観察も充分科学的方法ですよ。

2015-10-07 18:05:26
まるぼうろ @marubou6

@hyougen0 私の肉眼的観察が、非科学的でありバイアスがかかっていると思うのであれば、それを具体的に指摘すれば良いだけの話ではないでしょうか。

2015-10-07 18:05:59
まるぼうろ @marubou6

@hyougen0 ヒトと言う生物にとって、言語のほうがハゲよりも、その生において本質的要素である、というのは肉眼的観察で充分実証されると思いますけれど。

2015-10-07 18:06:42
まるぼうろ @marubou6

@hyougen0 我々がこうやってコミュニケーションできるのも言語によるものですし、また、仮にあなたが求める実験・実証データを提出するにしても言語を介さざるを得ません。私がもし日本語を解さなければ、まともにコミュニケーションすら成り立ちません。

2015-10-07 18:07:24
まるぼうろ @marubou6

@hyougen0 他の個体とコミュニケーションを取り、あるいは現実を認識し、判断するための手段として言語が不可欠である、というヒトのあり方は、

2015-10-07 18:08:15
まるぼうろ @marubou6

@hyougen0 思想的・時代的影響によって選択したものではなく、ヒトと言う存在にあらかじめ与えられた条件(遺伝的と言ってよいでしょう)であることは、疑う余地がないと思いますけれど?

2015-10-07 18:08:43
ねこ @hyougen0

@marubou6 twitter.com/marubou6/statu… 確認ですが、このツイートにおける「言語」とは、共有する/しないという文脈からして、或いは民族差別はハゲ差別より重大な問題だという文脈からして、どんな言語を話すかということであって、→

2015-10-07 21:42:02
ねこ @hyougen0

@marubou6 →言葉・ロゴスという意味での「言語」ではないですよね? 論点となる命題は、「頭髪の薄さよりも言語(などの民族性)を本質視するということが、思想や時代的・社会的影響と無関係に、遺伝子レベルで感情や行動に組み込まれている」かどうかということです。→

2015-10-07 21:42:34
ねこ @hyougen0

@marubou6 →『コミュニケーションを取り、あるいは現実を認識し、判断するための手段として言語が不可欠である』ということを、言語の本質性の根拠の一つにすることは可能ですが、それだけでは命題の証明とは無関係です。→

2015-10-07 21:43:11
ねこ @hyougen0

@marubou6 →『ヒトと言う生物にとって、言語のほうがハゲよりも、その生において本質的要素である、というのは肉眼的観察で充分実証されると思います』 論点は「思想や時代的・社会的影響と無関係に、遺伝子レベルで感情や行動に組み込まれている」かどうかということです。→

2015-10-07 21:43:51
ねこ @hyougen0

@marubou6 →『肉眼による観察』データは科学的実証データとして認められないと私は考えていませんが、頭髪の薄さより言語を本質視する人を単にたくさん見つけるだけでは命題の証明になりません。というか、あなたは観察データさえ提示していませんよね。

2015-10-07 21:44:14
まるぼうろ @marubou6

@hyougen0 人々がそれを“本質視する”かどうかが第一の問題なのではありませんね。他者と交渉し、現実認識を構成する生の営みにおいて言語が“本質的である”ため、個人が“どう認識するか”に関わらず、現実的にその影響から逃れられないのです。

2015-10-08 18:37:39
まるぼうろ @marubou6

@hyougen0 たとえば、あなたが仮に“言語よりもハゲのほうが重要だと思う(言語を本質視しない)”とどれだけ強弁しても、言語を共有する相手と共有しない相手とでは、コミュニケーションの際に、行動を変えざるを得ません。あなたの操れる言語を解しない相手とは話が通じないのだから。

2015-10-08 18:38:55
まるぼうろ @marubou6

@hyougen0 その差はコミュニケーションの相手としてのハゲと非ハゲとの差と同列に論じられるものでないことは明白でしょう。

2015-10-08 18:39:51
まるぼうろ @marubou6

@hyougen0 それは、コミュニケーションの大部分を言語に依存する(体毛の本数には依存しない)という人間存在の所与のあり方に由来するのであって、思想や時代的・社会的影響の問題でないことは自明です。ということです。

2015-10-08 18:40:46
ねこ @hyougen0

@marubou6 『生の営みにおいて言語が“本質的である”』 『生の営み』において何が「本質的」かということは、「生命活動にとって芸術より栄養摂取が重要である」というような客観的事実とは違って、その人の価値判断や、社会的に規定された価値・文化に影響されます。→

2015-10-08 20:12:49
ねこ @hyougen0

@marubou6 →命題は、言い換えれば、「言語コミュニケーションが叶わないことよりも頭髪の濃さ・薄さが重要であるという文化を持つ社会は存在しえない。生物学的にそのように規定されている」ということです。→

2015-10-08 20:13:19
ねこ @hyougen0

@marubou6 →『言語を共有する相手と共有しない相手とでは、コミュニケーションの際に、行動を変えざるを得ません。あなたの操れる言語を解しない相手とは話が通じないのだから。』 これは、あなたが言語を本質視するときに根拠として用いていることにすぎず、→

2015-10-08 20:13:55