組み体操への思い

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おにぎり @yutaro_today

あのね、私自身、組体操が批判されて、とても複雑な気持ちになったの。あのとき、あの子たちと共有したあの思いは嘘だったのかなって。

2015-10-10 20:44:51
おにぎり @yutaro_today

私がかつて指導に加わった組体操は、もちろん、高層ではないけれど、それでも事故があり得ないかと言われたら反論できない。

2015-10-10 20:46:04
おにぎり @yutaro_today

でも、あのとき私は、ご褒美に陶酔もしたし、「事故が無かった」ことすら手柄と思いもしたし、その歪みは認めるけれど、それだけではなかったと思う。あのとき、組体操を完成させて行く中で学級に変化が生まれた。ある子の学級での存在感が、本人の自己肯定感が、変わっていくのを見た、と思う。

2015-10-10 20:49:40
おにぎり @yutaro_today

その、組体操をきっかけにした学級の変化を、子どもたち自身が感じていたのを、子どもの言葉で聞いた。日記で読んだ。保護者からの連絡で知った。大切な思い出のひとつだ。その思い出の価値までも否定されたような気がしたのだ。

2015-10-10 20:51:48
おにぎり @yutaro_today

否定派はそうは言っていない。そこが焦点でもない。だから、否定されたように思って落ち込むのは、私自身の中の問題だ。

2015-10-10 20:53:22
おにぎり @yutaro_today

そう振り返って、思い当たることがある。この私の迷いは、何かに似ている。

2015-10-10 20:53:56
おにぎり @yutaro_today

かつて、体罰への批判が高まり、学校から一掃された時期があった。新聞がコラムを掲載し、テレビが特集を組んだ。そのとき、体罰容認派が言った台詞と、私の思っていることは、似ている。

2015-10-10 20:56:10
おにぎり @yutaro_today

体罰でよくなった子どもたちが確かにいた、自分は体罰でよくなった、体罰をしても心は通じ合っていた、そういう意見をたくさん見た。少数派ではなかった。教員からも、かつて子どもだった大人からも出た。大学の講義で討論したとき、学生の半分もそんなことを言った。

2015-10-10 20:58:50
おにぎり @yutaro_today

私は否定派であったから、「そういうことも事実としてあったかもしれないが、子どもへの悪影響の可能性がある以上、容認はできない」と思ったし、言った。しかし、正直、「子どもをなぐるとか、その感覚がわからん」なんて思ってた。

2015-10-10 21:00:59
おにぎり @yutaro_today

あのときの容認派は、こんな気持ちだったのかなと思う。自分のしてきたことが否定される。確かに感じていたはずの手応えも疑われる。もらったはずのご褒美を取り上げられる。

2015-10-10 21:02:31
おにぎり @yutaro_today

学校が、教員が、批判に強い抵抗を示すのは、大事な大事なご褒美を手放したくないからだ。それがなかったら、明日から何をよすがにがんばったらいいかわからないというくらい、教員に取ってご褒美は大事なものだ。それが私には今、よく分かる。

2015-10-10 21:05:57
おにぎり @yutaro_today

よくわかるけど、体罰を引き合いに出してはっきりした。教員は懲戒を与えることができるが、体罰は認められない。体罰とは殴る蹴るだけではない。長時間の正座、食事抜き、トイレに行かせない、これらは体罰だ。肉体的苦痛を与える「教育」は、体罰の禁止によってはっきりと否定されている。

2015-10-10 21:09:26
おにぎり @yutaro_today

つまり、いかなる教育的効果が期待されようとも、肉体的苦痛を与えることは、はじめから否定されている。

2015-10-10 21:10:20
おにぎり @yutaro_today

もちろん、長距離を走って苦しいとか、鉄棒の練習が痛いとか、バスケで接触したとか、そういった苦痛まで全てゼロにはできない。スポーツの話に広げると切りがないのでやめておくが、苦痛はスポーツの面白みの一部でもあったりする。

2015-10-10 21:13:25
おにぎり @yutaro_today

ただ、成長期の子どもたちの体に与える運動による苦痛は、軽減されることが望ましい。それが体によくないのもあるが、運動を嫌いになってしまう。

2015-10-10 21:16:58
おにぎり @yutaro_today

また、組体操の一部には、事故の可能性のあるものがある。重大な事故は避けなければならない。運動は安全が保証される範囲で行うものだ。

2015-10-10 21:20:32
おにぎり @yutaro_today

組体操を集団種目、表現種目として行うならば、危険やひどい苦痛は避けなければならない。高層化は危険であり、一般的な運動に比べて苦痛が大きすぎる。適切な内容があるはずだ。

2015-10-10 21:23:19
おにぎり @yutaro_today

そして、もう一つ、どんな競技の指導に置いても忘れてはならないのは、それらは全て、子どものためのものだということだ。子どもたちのためになっているかどうか。その、一人の子のためになっているかどうか。笑顔や涙の虜にならず、私達は常に考え続けながら指導しなければならない。

2015-10-10 21:26:22
おにぎり @yutaro_today

通知がほぼ死んでるので返信はできないかもです。あと、トゥギャろうとか思ってる人もしいたら今どんぞこ気分なんで、公開はちょっと待ってもらえますと助かります。

2015-10-10 21:31:57
おにぎり @yutaro_today

勢いだけで一気に打ち込んだので、続けて読むと接続詞だらけでちょっと直視できないwww

2015-10-10 21:44:54
おにぎり @yutaro_today

業務連絡〜業務連絡〜通知の回転がめっちゃ早いので、返信はできないかもです。トゥギャろうとか思ってる人もしいたら今どんぞこ気分なんで、公開はちょっと待ってもらえますと助かります。というかどんぞこ気分なので、もうちょっとしたら、元気出るまで鍵かけます。

2015-10-10 21:53:53
すぴかあさん(アナスタシア) @supika_24

ゆたろうさんのツイと合わせて考えてたんだけど、結局大きな行事で褒められることが快感になってしまうのは、日常で褒められることがないってことで。親も教師も褒められることなんか求めるな、てことでなく、日常のちょっとした子供の変化をお互い喜びあえるような環境ならいいんじゃないかなあと

2015-10-10 22:57:32
すぴかあさん(アナスタシア) @supika_24

他の子と比べるのでなく、個々を見れば、成長してることは必ず見つかるはずで。行事で目立つことよりも、本来はそういう日常の積み重ねこそが大事なはずなんだから。そういうところを親も教師も認めていく必要があるんじゃないのかな。そしてそれこそが子供の自己肯定感を育てる事にも繋がるのではと

2015-10-10 23:00:37
すぴかあさん(アナスタシア) @supika_24

大人がそうやって、日常のちょっとした成長を認めていくことで、子供たちにもお互いを認め合う気持ちってのが育つんじゃないのかなあとか・・・

2015-10-10 23:01:57