中ザワヒデキ文献研究 「月刊「太陽」1996連載:美のプリズム」 2015年度第09回 2015年10月14日(水)[実況] #文献研究

美学校で行われた中ザワヒデキ文献研究 2015年度第09回 2015年10月14日(水)19:00-22:00の実況ツイートまとめ http://aloalo.co.jp/nakazawa/2015/10e.html
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みそむーおでん @misoni_2013

ミニマルアートのドナルドジャットが作品をスペシフィックオブジェクトと呼び、それは彫刻との違いを強調するためであった。

2015-10-14 20:10:50
みそむーおでん @misoni_2013

本来言葉の領域の事象がものという形を希求して現れてくる、それを追求するべきだと中ザワは思うのだが、しかしながらもの派作品も先に形がありそれを作品化させた作品にもみえる

2015-10-14 20:13:06
みそむーおでん @misoni_2013

アメリカのミニマリズム、フランスのシュポールシュルファス、その日本版がもの派、というと欧米への屈服にもなるし、もの派を日本独自のものだと考える人からはその考えは否定されるが、そう見ることができる。

2015-10-14 20:14:01
みそむーおでん @misoni_2013

シュポールシュルファスは、シュポール(支持体)はドゥズーズ、シュルファス(表面)がクロードビアラ

2015-10-14 20:16:03
みそむーおでん @misoni_2013

高松次郎の論評として「高松次郎の数の宇宙」を美術手帖に寄稿しているが、そこで高松次郎とシュポールシュルファスのドゥズーズとビアラを結びついて話している

2015-10-14 20:17:19
みそむーおでん @misoni_2013

当時、もの派展、其の前にシュポールシュルファス展を企画したのが埼玉近美の梅津元。昨年は日本の70年代を問う企画を行っていた。

2015-10-14 20:19:36
みそむーおでん @misoni_2013

李禹煥の「出会い」。石と鏡が出会いそしてその証拠に割れる、これはシュルレアリスムのデペイズマン、つまりコラージュといえる。それをもので行ったということになる

2015-10-14 20:24:50
みそむーおでん @misoni_2013

もの派、これは先に言葉があるのではなくものが先にある。 つまり名詞性を取り去りものを見る、というのはそういうこと。 その無加工のものが画廊に存在すること、それにインパクトはあった。 つまり加工せず作家のイデアが込められてなかったためそれは当初揶揄としてもの派と言われた。

2015-10-14 20:26:59
みそむーおでん @misoni_2013

李禹煥は関係をするという作為を実はしており、ちゃんとイデアがあった。 しかしもっと大事にしないといけないのは、ものがゴロっとそこにあるだけ、ということ。

2015-10-14 20:30:13
みそむーおでん @misoni_2013

もの派も69年が一番重要で強い伝播があった。 その「もの」がゴロっとあるだけで、また誰でも作ることができるし、それは反芸術としても存在していたはず。 反芸術の徹底だが、美学的要素がそこにはった。 反芸術とはいえ篠原有司男とは異なる

2015-10-14 20:31:05
みそむーおでん @misoni_2013

1930年代の西欧では抽象美術とシュルレアリスムが同居していた。それは反芸術の続きだ。ダダの危ないノリから美術の枠内に収まってしまいそれを多様性とすれば、もの派と同時に美共闘もあったことが近く、多様性といえる

2015-10-14 20:33:18
みそむーおでん @misoni_2013

二艘木洋行が近くビリケンギャラリーで偽ザ・チョイス展を開く。 それに当たり木曜毎にザ・チョイスを一号から調べあげツイートをしてたが、そのチョイスの流れを見て明確な気持ちがあるとすれば寂しさがある、個々の作家は良いが、ある時代は熱気あったがそれが無くなった、と。

2015-10-14 20:35:27
みそむーおでん @misoni_2013

思考停止のタニシ・マーキング……中原浩大 "Oide!! Moukizur"展、『太陽』1996年3月号/3月12日/No.420、p.124 についてよみます

2015-10-14 20:36:26
みそむーおでん @misoni_2013

96年ごろまでの発表で中原浩大は発表を行わなくなる。 最も輝いてたのは、西高東低と言われた、関西勢が活躍してた時代の80年代後半~90年代初め。

2015-10-14 20:46:45
みそむーおでん @misoni_2013

92年のアノーマリーでは、村上隆の仮想的が中原浩大。 しかし椹木野衣によれば中原は不調だったとか。 その後、中村上の大阪展が行われるが、それは東京勢が大阪へ喧嘩しに乗り込むような状況であった。その後、急速に東京勢が面白くなり、中原は過去のものになっていく、、、

2015-10-14 20:48:11
みそむーおでん @misoni_2013

それがよく分かったのは、昨年メディア芸術祭で、楠見清司会により、東京ポップの座談会再来として、村上隆・中原浩大・ヤノベケンジとして対談したが、脂ぎった村上とヤノベと異なり中原は霞んでいた。 むしろ村上隆により中原は美術史として重要であると持ち上げる状態へとなっていた。

2015-10-14 20:49:54
みそむーおでん @misoni_2013

中原浩大のやり方を元気に受け継いだのが島袋道浩 。 えのちゅうは半刈りでハンガリーに行ったが、島袋は眉毛を半分だけ剃って海外へ行きそこで友達ができたという今で言えばリレーショナルアート。

2015-10-14 20:52:44
みそむーおでん @misoni_2013

島袋さんのリレーショナルアートらしいリレーショナルアートとしては、ホームレスと仲良くなるとか、犬の競泳大会を催して街中が盛り上がるとか、、、

2015-10-14 20:54:46
みそむーおでん @misoni_2013

リレーショナルアートがなぜアートになるか。 中原浩大がタノシと目があったところをマーキングする。 偶然性の排除が反芸術なのだが、それを受け入れてしまうわけで、それが次の偶然性を口実に制作をする事へつながり、それはシュルレアリスムとして無意識を制作の動機とするのと同様。

2015-10-14 20:59:49
みそむーおでん @misoni_2013

再開 「美学校 中ザワヒデキ文献研究 2015年度第09回 2015年10月14日(水)19:00-22:00」をこちらで配信中です。 ustre.am/U3v7

2015-10-14 21:10:37
みそむーおでん @misoni_2013

東京オリンピックの年の多様な美術……「日本の美術-よみがえる1964年」展、『太陽』1996年4月号/4月12日/No.421、p.136

2015-10-14 21:12:02
みそむーおでん @misoni_2013

何時の時代も批評家はその時代を「多様性の時代」と呼ぶ。 現在は多様性という言葉が肯定的なものなのだが、ここでは批判的に使っている言葉だ。 見る側が意識的・無意識に取捨選択し編集作業をすることでその時代の特徴が現れるはず。

2015-10-14 21:19:49
みそむーおでん @misoni_2013

64年、ここで前衛を批評する批評家は他の分野を批評しない。 針生一郎は洋画などにも言及するが、軸足は前衛。 批評しない、というより、美術の枠内であっても他のジャンルは「無視」。 この状況は同じ前衛でも「具体」を無視した東京勢同様といえる。

2015-10-14 21:22:15
みそむーおでん @misoni_2013

ジャンルが異なると「無視」になる状況について

2015-10-14 21:22:40