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というかぼくは基本的に、漫画論では「他者の立場になろうとしても、できると思うな、それでことが済むと思うな」という主張で通してたと思う。日常だろうが極限だろうがそれは同じ
2010-03-10 02:18:07そしてプラス、「それで済むと思うなよ」です RT @nk12: @izumino 「他者の立場になる」のは、原理的に、無理です。その上で、他者の立場を慮ること、想像することが大切なわけですよね。
2010-03-10 02:20:24なんか頭の配線が急に繋がってきた。しばらく使ってなかったアプリケーションを久しぶりに立ち上げたら自動アップデートされて驚く、みたいな感覚が
2010-03-10 02:22:21@izumino そうですね。ただ、「済まない」から「マゾヒスト」までは、ちょっと飛びすぎてる気がしてピンと来ません。考察に期待しております!
2010-03-10 02:28:26@nk12 基本的には変態的な話ですからねー。絶望することが前提ですし。たしか海法さんは永野のりこが好きだったんじゃないかと思うんですが、あの世界観とか通じるところがありますね(といっても余計わけわからなくなると思いますが)
2010-03-10 02:31:32@nk12 まぁあと「マゾヒズムに学ぶ」と「マゾヒストになれ」はちょっと言葉の飛躍があるのは確かかもしれませんね。別に後者をとってもいいんだけど、たぶん本質は前者。だと思います
2010-03-10 02:34:00@izumino 絶望するのが前提って、わりと、極限状態じゃね? というところに戻るわけですわ。永野のりこは大好きですが、一般化していい話じゃないよね、と(笑)
2010-03-10 02:36:41「たかがそんなことで落ち込むのは甘えだ」としたり顔で言うのは簡単だけど、「たかがそんなこと」で人間はすべてに絶望していいものなんですよね。そこが大事なんだけど、そこを忘れていくことを「適応」と呼ぶのが、大人ってものかな。という気もする
2010-03-10 02:42:26@izumino 絶望的な気分に陥ることはありふれてるかもしれませんね。ただそれは、想像力の限界の果ての越えがたい他者との壁、のせいではないと思います。たとえば、すげこまは絶望してるかもしれないが、彼の回りの人間の気持ちが、そんな隔絶してるかというと、そうでもないわけで。
2010-03-10 02:43:09@izumino 絶望の、その個人に対しての深刻さを汲むことは必要だと思います。一方で、当人が絶望を「自己と他者の越えがたい壁」とか感じてるのは、おおむね勘違いである、というのも忘れちゃいかんとは思います。
2010-03-10 02:44:36@nk12 うーん「コミュケーション不可能性の“せい”」という話ではないです。ここでしてるのは。とにかく解決できない実存があって、それを「コミュニケーションで解決をはかろう、という思想には限界がある」という話ならしています。コミュニケーションは手段や状態ではあっても、元凶ではない
2010-03-10 02:47:25@nk12 「理解できない宇宙人にいたぶられる」という極端な仮定も、世界はそういう理不尽なもんだ、という例であって、対象とコミュニケーションできないことが問題である、という話ではないんです
2010-03-10 02:51:01@izumino 人によるでしょうが少なくとも(日本の)日常レベルで世界はそういう理不尽なものではない、と、思います。理不尽に見える時はあるでしょうけど、それは勘違いでそう見えてるんじゃないか、と。「理不尽に見える」と「理不尽である」は、また別の話ですよね。
2010-03-10 02:52:57@nk12 浅いレベルでは進路決定とか、家庭環境とか、何すればいいのかわからないことや思い通りにならないよねってことばかりじゃないですかね。そんな程度の話と、例えば好きな人が死にそうになっても自分は何をしてやればいいかわからない、みたいな話は完全に地続きですから
2010-03-10 02:54:50@izumino 進路決定や家庭環境にせよ親は「理解不能な宇宙人」ではないわけですよね。死にそうな好きな人に言葉をかけることも同じ。俺が子供の頃親とまともにコミュニケーションとれてたかというと、そりゃ取れてないわけですが(笑) ただそれを無理、絶望とするのも、また一面的でしょう。
2010-03-10 02:57:24@nk12 「人による」は、ちょっとマジックワードなのであまり意味はない気がしますね。「この話をして、多くの人にわかってもらえるかどうか」を検討したいなら、それは人による話であることが問題になってくるでしょうけど
2010-03-10 02:58:34@izumino そうですね、たとえば、現在のまぁ、それなりに人生経験積んで、コミュ力を身につけた自分が、たとえば、高校の頃の身体に入るとしましょう。高校の時、絶対無理だ、とか、死ぬしかないと思った状況が、案外、切り抜けられるだろうという場合もある。
2010-03-10 03:00:17@nk12 絶望ってワードで齟齬がありそうです。「もうやだ、生理的に生きたくない」がぼくの使ってる絶望で、「もうムリ、理性的に考えて絶対不可能」が海法さんの使う意味の絶望ではないかと
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