ハッシュタグ #tamachan で行われている学校とか就活のドロップアウトの話が興味深い。この総人クオリティ、なつかしす。
2011-01-13 21:58:46京大に入ってすぐぐらいの頃を思い出した。何よりも「自由の学風」という言葉に惹かれて京大に行くことにした。そして、工学部電気電子工学科というやたら名前の長いところに入った。そこに自由はあまりなかった。(続く
2011-01-13 22:03:50取る科目の凡そは予め決められており、その不自由さに落胆した。勿論そんなことは、ちゃんと下調べしておけば分かるようなこと。しかし高校生の僕は(今もそうですが)相当なアフォだった。毎日が「こんなことをするためにあんなに頑張ったのか、オレは」という自責の念との格闘だった(続く
2011-01-13 22:08:37そしてとにかく自由が欲しくて、総合人間学部に転学部した。もう何もかも自由で、とりあえず僕は麻雀をやりまくった。たまに学校に行って先生の話を聞いた。週二回塾講師してた。全部楽しかった、自分で選択した道だっていう意識がそうさせたのかもしれない(続く
2011-01-13 22:13:17そんな総人での毎日が楽しかったので、僕は大学3年になっても就職活動は全くしなかった。塾講師か雀荘のメンバーで何とか食っていこうと本気で思っていた。当時付き合っていた女の子は、そういう生き方を認めてくれていた。何とありがたい事かと未だに思う。
2011-01-13 22:33:14でも正直、本当に食っていけるのかという不安はあった。もしかしたらこれ(麻雀と塾講師)飽きるかも、っていう疑念もあった。実際は、会社に入って毎日上司とか客にへーこらしながら毎日過ごすとか意味分からんとか思ってるただの中2。
2011-01-13 22:40:21これは、将棋でいう「詰めろ」がかかった状態。この時僕は大学3年と4年の変わり目ぐらい。そして転機は突然訪れる。一冊の本と出会った。ドラッカー「断絶の時代」http://amzn.to/hIAqAw
2011-01-13 22:43:59当時アルバイトしてた塾のボスが、ドラッカーおもしろいから一回読んでみっていわれたから読んだのだが、目からウロコだった。自分がいかに視野狭窄だったかを思い知った。ドラッカーが志向する社会における企業は、僕の中にある「カイシャ」のイメージとかけ離れていたからである。
2011-01-13 22:48:21それらの違いを簡潔に述べる。僕のイメージしていた「カイシャ」は人生を磨り減らすもの。ドラッカーの志向する「企業」は価値を創造するもの。ドラッカーの語る「企業」には夢があると感じた。そしてそういう会社を探してそこで働こうと考えた。
2011-01-13 22:58:11こんな感じで考えがまとまったのは大学4年のはじめくらい。典型的な日本企業では、僕の求める企業は見つからないんじゃないかと思ったので、外資系の企業について調べてみようと思った。余裕で採用は終わっている。また「詰めろ」かよ、おいおい(笑)と思うのであった。
2011-01-13 23:02:17で、だらだら外資系企業のホームページとかを見ていたのであったが、もう少しディープな情報が欲しくなった。すると本屋さんでジャストフィットな本を見つけた(外資系トップの仕事力, 外資系トップの仕事力Ⅱ http://amzn.to/dNgqiX)
2011-01-13 23:05:41これらの本の概要を言うと、外資系トップ企業の日本法人社長がどんな人生を歩んできたかがインタビュー形式で掲載されている。「とりあえず本気で全部がんばれ、そしたらいいことあるから」ってどの人も言っていた。この本を読んだ限り、これには従わざるを得ないと思っている。
2011-01-13 23:11:09そして多くの社長に共通していたのは、彼らが「えむびーえー」とかいう教育を受けていたことだった。そこでの経験は替えがたいものだということが書いてあった。「その「えむびーえー」オレも行きたい」そう思った。詰めろから抜けられる気がした。
2011-01-13 23:17:35しかし英語力なし、成績悪し、金無しの自分には行ける場所ではなかった。また詰めろかよ(涙)おいおい。今度は結構ヤバイと感じていた。「英語力なし×成績悪し×金無し」でもなんとかなる方法ないのか?と思って色々調べていたら。見つかった。京大にMBAができていた、いつの間に...
2011-01-13 23:22:36誤解のないように一応述べておくが、「英語力なし×成績悪し×金無し」でも京大MBAが大丈夫だというのは、欧米のそれに比べてという意味である。京大MBAの存在を知ったのが大学4年の5月ぐらいだったので、試験がある12月までには何とかなるという意味である。
2011-01-13 23:24:47で、必死こいて試験勉強して何とかなった。総人も何とかギリギリで卒業した。卒論の指導教官だった冨田先生には本当にお世話になった。正しいことは正しいと言い、間違っていることには間違っているとしっかり言ってくれる先生だった。そして抜群に頭が良かった。
2011-01-13 23:28:37大学院に入学し、夏頃から就活を始める。数あるサマーインターンの中で、取り分け僕の目を引いたものがあった。それが後に就職することになるDeNAです。
2011-01-13 23:32:422009年のDeNAのサマーインターンは、所謂ビジネスコンテスト形式のものであり、その審査員に平野正雄氏の名前があった。当時のマッキンゼー日本法人社長。先ほど挙げた「外資系トップの仕事力」の中にも掲載されていた人で、その中でも最も感銘を受けた人だったのだからひと目見たかった。
2011-01-13 23:38:29インターン落とされてるのにどういうことやねんとか思いながらも、ただ内定がほしいモードに入ってしまっている僕は、へーこら面接を受けに行く。
2011-01-13 23:44:52社長の前では麻雀の話はするまいと思って最終面接に挑むが、相当つまらなさそうにする社長を目の前にして、最後の賭けに出る。無理やり話の舵を麻雀に切っていった。そしたら内定がもらえた。
2011-01-13 23:50:08