この時、胡振宇とメンバーは激しく言い争った。胡振宇は罗澍を指して弾劾するほどに激昂したという。科創航天の第2代主席を務めた覃永良は、胡振宇の不誠実さ、不道徳性を指摘、胡振宇と科創航天とは縁を切る他にないと思ったという。
2015-10-21 18:47:562013年7月、瀋陽で団体の年会が開かれた際、胡振宇はYT-4を持ち出して打ち上げようとした。この時はガールフレンドが泣いて止めたという。罗澍はYT-4が多くの問題点をクリアできておらず、まともに飛ばない可能性が大きかったと語る。
2015-10-21 18:51:35しかし同月29日、胡振宇は内モンゴルで打ち上げを強行。離床し飛んでいったものの、パラシュートの紐が断裂して回収に失敗、フライトデータの取得もできなかった。打ち上げ後、胡振宇は膝が崩れ落ち、今にも泣き出しそうだったという。
2015-10-21 18:52:37YT-4の顛末は科創航天にとって非常に後味の悪いものとなったが、胡振宇はこの打ち上げをきっかけにメディアの露出度が増していった。ロケットが青空に向かって飛んでいく映像は繰り返し流され、スタジオの観客は歓声をあげた。飛んでいったロケットがどうなったかはふれられなかった。
2015-10-21 18:58:09番組内では当局の認可を得て、無人区で打ち上げたと紹介したが、実際には無認可で、周辺には村落もあった。あまつさえ、胡振宇はYT-4を全部自分が一から作ったとまでメディアで言い放った。さらには科創航天は自分が始めた団体とまで。
2015-10-21 19:03:54科創航天を除名され、ロケット開発の道も狭まったかに見えた胡振宇を救ったのは、エンジェル投資家募集サイトを運営する投資家の蘭寧羽だった。蘭寧羽は胡振宇に北京行きの飛行機チケット送り、面談の時間を設けた。
2015-10-22 18:16:37蘭寧羽も北京航空航天大学出身で、専攻は音楽方面だったそうだが、宇宙への造詣もそれなりにあったという。20代で創業して100万ドルの投資を獲得したり、幾つかの特許も取得したりと立志伝タイプの人物。北京での面談で胡振宇と蘭寧羽は意気投合した。
2015-10-22 18:17:10こうして蘭寧羽の助力を受け、胡振宇はリンク・スペース社を設立する。「中国初の民間宇宙開発会社」「宇宙産業の独占体制を打ち破る」をキャッチフレーズにして。
2015-10-22 18:17:49胡振宇に事業計画書を書かせ、蘭寧羽は彼を連れてエンジェル投資家らに会わせた。幾人かが投資をしたいと声をあげた。当時の報道では募集から3日で515万元を集めたとも。またたくまに、胡振宇はロケット愛好者から企業価値一億の創業者になった。
2015-10-22 18:18:44資金が集まって、次に必要なのは人材。留学経験もあり宇宙開発にも明るい人物をCTOに迎え、また科創航天で液体エンジンを手がけていたメンバーも引き入れた。
2015-10-22 18:19:17ただ、このメンバーも問題があり、液体エンジンテストの測量データに満足がいかずに、推力27.67kgだったのを62kgに改竄しようとして科創航天主席に叱責されたという経緯がある。このメンバーの加入後、彼が設計した液体エンジンを、胡振宇はリンク・スペース社開発製品として触れ回った。
2015-10-22 18:20:54胡振宇の名声は雪だるま式に膨れ上がっていった。メディアは胡振宇を「中国版イーロン・マスク」と持ち上げた。経済誌「財富」の40代以下のビジネス精鋭ランキングで37位にランクインした。
2015-10-22 18:21:43胡振宇の事業計画書には宇宙開発の専門家をコンサルタントに迎えただの、清華大学のラボと提携を結んだだの、spaceX社など有名民間宇宙事業者を遅かれ早かれ超えるだの、サブオービタル交通を実現するだのが書き連ねられていた。
2015-10-22 18:22:27計画書の誇張した内容は胡振宇本人も自覚しており、「投資家が喜ぶことを書いているだけ」という。ともあれ、意気投合した投資家の蘭寧羽は胡振宇のために科学雑誌への紹介や、専門家や他の投資家との顔合わせなど尽力した。胡振宇は成功を手にし、順風満帆に見えた。
2015-10-22 18:23:06会社を作った、資金も確保した、宇宙を目指す仲間も集まった。しかし胡振宇を襲う苦労がなくなったわけではなかった。会社設立後、彼が語る3度目の「裏切り」に遭う。
2015-10-23 18:15:56投資家らと協議を進めていた内の一社がリンク・スペース社の株式構成が不透明で、また企業価値も高く見積もりすぎというので見直しを求めてきた。資本関係も自分一社とだけにしろと。胡振宇がこれを拒絶すると、この会社は投資から撤退した。投資家らとの関係構築も一筋縄でいくものではなかった。
2015-10-23 18:18:53ここから以下のツイートで「CTO(チーフ・テクノロジー・オフィサー)」とのやり取りについて紹介していますが、正しくは「CVO(チーフ・ビジョナリー・オフィサー)」でしたm( )m
権利関係問題は社内でも起きていた。CTOが胡振宇に対し、互いの持ち株比率を25%と26%にするよう求めてきた。胡振宇はこの提案を拒絶しはしなかったが、その後、先ほどの投資家撤退問題が起きる。
2015-10-23 18:19:462014年9月、胡振宇とCTOは改めて労働契約を交わすために話し合ったが、契約書の内容に不利益な部分が多々あり、弁護士にも相談した上で、契約を交わさないことに決めた。この元CTOは香港に戻り、電動キックスケーターを開発するベンチャーを始めた。
2015-10-23 18:20:27元CTOは、胡振宇は人当たりの良さそうな印象があるが、実際には人をまとめる能力に欠け、リーダーにはなれないタイプだと語る。今年3月の打ち上げテストの際にも、回収失敗した機体の捜索を早々に諦め、デブリーフィングもやらずにガールフレンドと車でとっとと遊びに行ってしまったという。
2015-10-23 18:21:16記事ではここから、胡振宇の人となりを探る内容に。胡振宇は科学技術に対する情熱を持ちながら、あまりにも科学的な素養に欠けるという矛盾を抱えている、と記事は指摘する。
2015-10-23 18:22:232010年9月、胡振宇はTATPを含む12種類の爆薬を手荷物に旅客機へ搭乗した。「純粋な興味本位だったし、また空港のセキュリティチェックを試してやりたかった」と述懐する。また北京の地下鉄を利用するときもよく爆薬を持っていたが、止められることもなかったと、自慢気に語った。
2015-10-23 18:23:08そもそも胡振宇が爆薬に魅せられたのは中学の頃だったという。当時の彼は背が小さく、よくいじめられていた。この時、爆薬でいじめっこ達を脅してやろうと思ったのがきっかけだった。
2015-10-23 18:24:05またこの頃、仲の良かった友人が手のひらを返し、いじめる側に加担、これが胡振宇にとって「人生最初に裏切られた出来事」だった。胡振宇はアジ化ナトリウムの入った注射器を準備し、元友人を後ろから毒殺しようとして、すんでのところで思い直したという。
2015-10-23 18:24:32