「95→15」 めまぐるしい20年の雑なまとめ。

1995年から20年が経った。阪神淡路大震災の95年。インターネット元年の95年。エヴァが始まった95年。しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこーの95年。小沢健二の95年。「踊る君を見て恋が始まった」95年。ちょっと、思いを馳せてます。
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どうもこんにちは!
Hattoriと申しますー!

本来はリア垢なのですが、ついつい雑感をまとめたくなってしまったので(まとまってないけれど)
こんなものを作ってしまいました笑

ぜーーんぜん、中身のない
スカスカ論ですが、
何かこう……エネルギー?だけでも
感じ取っていただければ最高です

ヒャッハァ!

Hattori @KH_stand_up

大阪、東住吉の女児放火殺人事件の再審が決定したというニュース。元被告の2人は、実に20年ぶりに刑務所の外に出たことになる。 20年前、そうか。1995年だ。

2015-10-26 18:13:07

今回のお題は「95→15」。
1995年という「戦後日本史の歴史的転換点」から始まったこの20年間に思いを馳せてみようかと。

Hattori @KH_stand_up

ここ最近、「95年」という、戦後日本史の中で大きな転機が始まった年に思いを馳せている。今思えば、95年から20年社会と隔絶された生活を送っていたということはとてつもないことだ。この20年間は、これまでの、例えば1965から1985年の20年間とはその性質が大きく異なる。

2015-10-26 18:22:03
Hattori @KH_stand_up

例えば、1995年といえば「インターネット元年」と呼ばれた年だ。Windows95の発売によって、一般家庭にもPCが普及し始めたことに起因する。そして2015年。人々はスマートフォンというより小さなハードを手にし始め、情報空間の入り口を、電波の届く限りどこにでも作るようになった。

2015-10-26 18:25:53
Hattori @KH_stand_up

すなわち、言ってしまえばあのWindowsという据え置きPCの栄華が始まり、そうしてすぐさま「古いもの」になった。それが95〜15年の20年だ。『世界っていうのは携帯の電波が届く場所なんだって漠然と思ってた。』2002年公開の映画「ほしのこえ」が、来るべき0年代を予言している。

2015-10-26 18:29:43

さらにここからは文化の話。

Hattori @KH_stand_up

さらに目まぐるしいのが若者のポップカルチャーだ。95年、ポップアイコンといえば小室ファミリーと小沢健二とキムタクだった。それらは本当に「とてつもない才能」を庶民に叩きつけていた。特に東大卒の金持ちイケメン、小沢健二の王子様感といったら、当時の男達の絶好の妬みの対象だったほどだ。

2015-10-26 18:35:17
Hattori @KH_stand_up

しかし彼らの圧倒的存在感は、そのあまりに大きな存在の前に、無個性な私たちを並列化させた。自分とは何だろう。キムタクが山口智子とスーパーボールを投げ合っているのを、キュンキュンしながら見てる私って何だろう?そのソワソワ感が、やがて「貴族」たちの時代を終わらせる。

2015-10-26 18:38:50
Hattori @KH_stand_up

先手を切ったのはアニメだった。伝説のテレビ東京水曜18:30。巨大なロボットと、あまりに過酷な現実を前に「逃げちゃダメだ」と言いながら結局逃げ続ける少年の英雄譚。新世紀エヴァンゲリオンだ。

2015-10-26 18:43:24
Hattori @KH_stand_up

「僕は僕だ」「僕はここにいていいんだ!」これは、個性を消す=幸せになれる、という人々の意識を根本からひっくり返した。そしてこの言葉を言い換えてしまえば、「僕が僕のままで幸せに世界なんて《嘘っぱち》だ」ということになる。ここから「個」、そして「孤」の時代が始まる。

2015-10-26 18:47:47
Hattori @KH_stand_up

音楽でもそうだ。95、6年に栄華を誇っていた渋谷系は、いつの間にか姿を消していた。小室哲哉は枯れかけており、人びとは「これを聞いておけば正解」を失ったのだ。最も、それらを全て完全に葬り去ってしまうほど圧倒的才能を持ったシンガーが、この時代を叩き潰したと言っても過言でもないが。

2015-10-26 18:51:16
Hattori @KH_stand_up

それは例えばCoccoだった。彼女は、デビューシングルのカップリングに、すでに「遺書。」を叩きつけている。彼女の存在はまるで、「なんで当たり前のように生きていられるの?どうして、どんな人でも死と隣り合わせでなければ生きていけないと気づかないの?」と問い続ける赤子のようだった。

2015-10-26 18:53:19
Hattori @KH_stand_up

あるいはそれは椎名林檎だった。彼女は、強烈な個性を、強烈な才能でカバーして初めて成功した歌手だと言えよう。最も、戸川純や岡村靖幸といった、強烈な個性と才能があるにも関わらず、時代にそっぽを向かれた歌手のことを考えると、彼女は時代の作り手であって受け手でもあったのだろう。

2015-10-26 18:56:41
Hattori @KH_stand_up

そして98年、1つの答えがそこに生まれる。わずか15歳で爆発的なヒットを作り出し、firstアルバムで突然日本のトップアーティストへ上り詰めた、宇多田ヒカルだ。

2015-10-26 18:59:04
Hattori @KH_stand_up

しかし彼女の存在は、それまでのスターとは全然違った。彼女は、それまでのすべての音楽をぶっ飛ばしてしまうほどの力を持っておきながら、その時代におけるすべての音楽を肯定したのだ。小室哲哉の存在が「小室的なもの」「小室的じゃないもの」を作り出したのとは対照的だ。

2015-10-26 19:01:23
Hattori @KH_stand_up

その証拠に、彼女は名曲「今夜はブギー・バック」をライブの中でカバーしている。彼女の姿は、古いものを新しいものへ簡単に進化させてしまう、圧倒的な力を感じさせる。何よりも、スチャダラパーの真ん中にあの「オザケン」がいないことが、そして「いなくても成り立っている」ことがその証明だった。

2015-10-26 19:05:20
Hattori @KH_stand_up

話がやや横道に逸れてしまった。とにかく、1995年からの20年間は、それまで当たり前のようにそこに存在していたものを、あっという間に凌駕する存在が、出来事が、立て続けに起こった時代だった。阪神淡路大震災や、地下鉄サリン事件は、不謹慎かもしれないがその幕開け以外の何物でもなかった。

2015-10-26 19:07:13
Hattori @KH_stand_up

しかしふと、私は何故この時代ばかりに目を向けているのだろう?と疑問に思う。そもそも、95年といえば、私からしてみれば経験したこともないし、というか、経験し得なかった時代なのに。

2015-10-26 19:09:08
Hattori @KH_stand_up

その答えのヒント?のようなものを探しているうちに、ある言葉を思い出した。忘れもしない。9.11の何周年かの式典がホームルームの話題になった時だ。当時小学生だった友人が口を開いた。「あーあ。毎日どっかに飛行機が突っ込めば、面白いのにな。」と。

2015-10-26 19:12:06
Hattori @KH_stand_up

ものすごく不謹慎な発言だ。今考えるとびっくりしてしまう。しかし、この発言こそ、私の「95年意識」の答えなのではないかとも思えてしまう。

2015-10-26 19:15:13

この発言は
「大きな事象を受ければ、
世界がさざめき立ち、変わっていく」
という考えが根底にあるものと思われます。

しかし、2015年の現代日本は、
その考え方とは
やや異なった状況のようにも思えます。

Hattori @KH_stand_up

あの3.11が、いくつもの常識をぶち壊していったにもかかわらず、日本の社会には小さな変化しか起きなかった。誰も「神の子どもたちはみな踊る」のような作品を書くことはなかったし、むしろ、社会は「変化」を怠っているのではないか?とも思えてしまう。

2015-10-26 19:17:41
Hattori @KH_stand_up

95年から20年。滑り台のごとく、いろいろなことが変化していった。しかし、ここ数年はどうも、何が起こっても(あの大震災が起こっても)、人の考え方も、文化も、変わってはいかないようだ。ツールだけが発達し、情緒はその波に置いてけぼりだ。

2015-10-26 19:19:36
Hattori @KH_stand_up

そして「変わることは若いということ」という風な考え方を基にすれば、今の日本には(もしかしたら世界には?)《変わって》いくだけの若くしなやかな精神というものは存在し得なくなっているのではないか?というような考え方にも至る。

2015-10-26 19:21:18