よくあるのが、「自分の若い頃はもっとがんばっていた」という精神論を持ち出されることがある。 精神論ではなく、知識と経験いう点で考えてみるとどうなるか。
2015-10-29 22:08:31年を重ねるごとに、知識と経験は蓄積されていく。それはほとんどの人にとってあるものである。積み重ねたものは、次の世代へと受け継がれていく。この時、教えることに対して様々な方法がある。 丁寧に教える、マニュアル化する、背中で見せる、などがある。
2015-10-29 22:10:15教えられる側は教える側の知識を持っていない場合がほとんどである。そして、教えてもらうためには教えられる側がある程度下手に出ると考えられる。本音であれ建前であれ、教える側を敬っている。 敬われた側は、自分の立場が上だと捉えられる。
2015-10-29 22:14:17そのことは、同じコミュニティの中にいればいるほど、積み重ねられやすい。積み重ねるほど、自分の中に絶対的な知識や経験があると確信する。 このこと自体は問題は無い。しかし、手に入れた知識と経験が凝り固まってしまうことが問題となる。
2015-10-29 22:16:15ある程度の型ができることは、土台ができているため、応用が自由にきく。しかし、土台だけではなく、やり方全般にまで広がってしまうと、自由に動きが取りにくくなる。 自動車のハンドルに遊びがあるように、ある程度受けいれるための部分が足りなくなってしまう。
2015-10-29 22:19:09余裕のある部分が無くなる背景として、失敗できない立場や続けて成功してきたからこそ、今までのやり方を続けようとしているのではないか。
2015-10-29 22:20:31余裕が無いからこそ、知識と経験に凝り固まり、今までのものだけで応用しようとすると考える。結果として、自分の知識と経験から外れた人に対して、自分の知識と経験で動かそうとしても、思い通りにならないから、先のような言葉が出てくるのではないか。
2015-10-29 22:23:302年ほど教育業界に身を置いてみての感想として、誰でも先生と生徒になりうる。 自分が知らないことでも、相手が知っていることがある。 自分が知ろうとして、相手に教えようと思った瞬間から、小さな先生と生徒が始まっていく。自覚は無くても、授業という形にはなっているのだ。
2015-10-29 22:25:31小さな子から見た世界も、自分にとっては知らないことになる。人生の先輩からも多くの知識と経験がある。それはすごくステキなことなのだ。 新しい知識や経験はそこら中にあり、誰しもが自分の知らない多くの知識と経験を持っているのだ。
2015-10-29 22:27:37