- azarashi_salad
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それでいながら、予算がつくところ、或いは、天下り先が見えるところについては、非常に迅速な行動が、一方でとられてきたということが言えると思います。私どもの方から見ると、よく分かることがあります。
2015-10-31 22:46:14除染はビジネスになる。私は、環境バブル、環境というもので、「環境土木の除染バブル」と言い方をしておりますが、環境省は、新しく公共土木、公共事業を担う省庁になったな、そして、その中でも「除染バブル」というものがあるなと思います。
2015-10-31 22:46:24それは、どういうところで、私たちがチェックできるかと言えば、職員、国家官僚の定員が何名いるかと言うところ。予算がいくらつくかも大事なのですが、皆さんが見て頂く指標として、定員がどういう配置になっているか、ということを注目をして頂きたいと思います。
2015-10-31 22:46:36定員を見れば、その事業をどんなふうに国家として考えているかが歴然だからです。例えば、環境省には、この原発事故の以降、270数人の新たな定員が貼り付けられました。ほぼ、ほとんどが、除染活動のためです。土木事業であれ、天下り先というものを確保できるということであります。
2015-10-31 22:46:46二百数十人って、これ、国家官僚でこれだけ今増やしているのは、ものすごいことだということなのです。各省庁に、原発事故対応で、例えば、農水省も含めて、風評被害対策だ、なんだとかいうことで、いろんな定員が貼り付けられたのですけれども。
2015-10-31 22:46:57私が一番面白いと思っておりますのが、財務省と消費者庁の定員の貼り付けの比較です。財務省と言うのは、どういうことで、そういう形の貼り付けが行われるかと言うと、「お酒」というのは、財務省の担当なのです。酒税がそういうこともありまして。昔から、財務省の縄張りということになっております。
2015-10-31 22:47:08この「お酒」の安全をチェックするために6人から8人の新たな定員が増えたのです。消費者庁は、消費者の口に入る、食べ物の安全ということで定員が増えました。3人です。
2015-10-31 22:47:1920歳以上の一部の人しか飲まない「お酒」については、6人とか8人とか言う定員が一方で付き、子ども、赤ん坊を含めて、全ての人に関わる、食べ物の安全ということでは、消費者庁に3人です。貼り付けが行われる。
2015-10-31 22:47:28これが省庁の力関係と言うものであり、そういうものが、国民のニーズに対して優先する、というのが、政治、そして、この国の行政のやっていることだと。こういうことが、議員として裏から、裏にいると見えてくる。
2015-10-31 22:47:45そういうことに対して、いくら騒いでも、これ本当に「馬の耳に念仏」。その悔しさの中から「子ども被災者支援法」を作ろうと決意しました。
2015-10-31 22:47:53私にとってものすごくショックな出会い、嬉しい出会いはチェルノブイリ法との出会いです。チェルノブイリの事故から5年後に法律が出来ていた。そしてその、法律の中では、被害者自身の自主的な決断と言うもの、選択権が認められた。
2015-10-31 22:48:03移住するのか、そこに住み続けるのか。住み続けるのであるならば、必要なモニタリングや医療、或いは、きれいな食べ物等、それを確保するためのお金等。外へ出るのであるならば、子どもの教育のための学校や、優先的な職業であったり、住処、そういうものを国が用意する。
2015-10-31 22:48:13そして、1ミリから5ミリまでの、言ってみれば、グレーゾーンになるように。そういう地域では、そういうことができる。5ミリ以上では「強制的な移住」、ということですね。こういうものが決められている。で、私は3月からずっと、わが政府のやることを見てきた。
2015-10-31 22:48:23長い間、鉄のカーテンの向こうにあって、国民の主権なんか認められていない、人権なんか認められていない、人権弾圧の国として、ソ連というものを言い聞かせられてきた、私たちにとって、これは、ものすごいショッキングなことでした。
2015-10-31 22:48:37だって、私たち、どう考えても、ソ連が25年前、25年の差がこの事故の間にありましたから、25年、四半世紀前にやったことよりも、私たちは明らかに非人間的なことをやっている。明らかに基本的な人権と言うものをソ連よりも無視している。
2015-10-31 22:48:47そして、私たちは人権と言うものを全く軽視する国として、ソ連と言うものをバカにし続けてきたのだ、これはいったいどういうことなのだ。それでいいのか。だから「子ども被災者支援法」と言うものに、いずれ結実していく法律が必要だと思ったのです。
2015-10-31 22:48:56当時「日本版・チェルノブイリ法」と、私たちが呼び始めていたところのものを、作らなければならないと思いました。そして、いろんな法律をあの時に作っていたのですね。
2015-10-31 22:49:06食べ物の中に要る基準だとか、調停のための組織であるとか、賠償のためのどうのこうのであるとか、或いは、がれきをどうするとか。いろんな法律を作っていく中で、官僚たちは、この法律について手を付けようとしなかった。
2015-10-31 22:49:30何度も何度も、これを作らせてくれと言われて「まだ時期じゃない」とか言われました。いずれ、秋も深まってきた頃「本当に、おまえ、やりたいか」と。当時、プロジェクトチームで、原発対策のプロジェクトチームが出来ていて、私はその事務局にいた訳ですけれども、ボスからそういう風に言われました。
2015-10-31 22:50:00「どうしてもやります」「おまえ、これ政治生命かけないと作れないぞ」と言われて「はい、かけます」と即座に言いました。もう1つ言われたことがあります。
2015-10-31 22:50:15「これは、国民運動にしていかないと、できないぞ。外にいる、国会の、永田町の中で出来るようなものじゃなくて、永田町の外の人と手を携えてやらないと、できないぞ」と言われました。
2015-10-31 22:50:23その通りだと思います。「では、そのように致します」。そんな中で出会って行ったのが、今のサフランの仲間たちであったり、或いは、ここに今日もおいでになっている、井戸川さんをはじめとするような、被災者の皆さんであったり。
2015-10-31 22:50:49だいたい、地元の意見を聞きなさい、住民の意見を聞きなさいと言ったら、村長や町長や市長なんかが聞くのは、60代70代のおっちゃんの意見ばかりです。それが、住民の代表者なる者です。
2015-10-31 22:51:16