- seijigakusitan
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はい、10時になりましたね。今日は連続ツイート企画です。タイトルは『J・G・A・ポーコックと共和主義』です。今回の企画はフォロワーさんから「ポーコックの共和主義」について質問があったからで、大きなテーマになってしまいますから連続ツイート企画として扱う事と致しました。
2015-10-31 22:01:40ポーコックは過去このように紹介しています @seijigakusitan ポーコックは共和主義研究における大家です。処女作が50年代ですが、2000年代に入っても著作がある程には最近の研究者でもあります。邦訳のある著作は少ないので、訳されていないものは英文で読んでみてくださいね。
2015-10-31 22:08:08ポーコックが何故大きなテーマなのか。通史で研究しながらも「歴史と理論」という分類を意識して研究しているからです。歴史から共和主義の議論を抽出し理論的な系譜を議論しているんですね。ポーコックは特にマキャベリから米国建国までの共和主義の展開を「トンネル史」と回想しています。
2015-10-31 22:11:03ポーコックの議論は宇野重規『西洋政治思想史』の様な平易なテキストにも反映はされています。しかし一人の思想家について論ずるというわけではなく、通史での研究の上に共和主義を議論しています。いつも自動で流れるツイートと少し角度が異なるため、取っつきにくかったらごめんなさい。
2015-10-31 22:12:39共和主義の語源は「res publica」です。この意味は「公共の事項」ですね。ヨーロッパでは伝統的にローマ共和政に対する憧憬の念が強く、そこで実現されていたとされる「公共の事項」を如何に成立させるか議論がありました。政治学におけるテーマの一つだったんです。
2015-10-31 22:16:26少し補足を入れましょうか。単に「共和主義」といっても、その内容には注意が必要です。人によって強調する点が異なるからです。アリストテレスをはじめポリビュオスやハリントンのように混合政体に注目する人もいますが、キケロのように国家は公共の利益に基づく人の集まりと捉える向きもあります。
2015-10-31 22:20:37公共の精神に基づく良き政治を如何に実現すべきかというテーマですが、歴史上「政治学の危機」というべき事態が生じたことがあります。ルネッサンスの時代ですね。アリストテレスの政治学、混合政体に注目した共和主義思想はもはや机上の空論に過ぎないとされていたんです。
2015-10-31 22:24:38これも補足になってしまいますが、混合政体というのは君主政・貴族政・民主政の三者が一国の中で共存しているシステムを指します。国王・貴族・民衆が同時に政治に参加するというもので、庶民院と貴族院、衆議院と貴族院が立法権を構成しているのが具体例として適切でしょうか。では話を戻しましょう。
2015-10-31 22:29:55フィレンツェ共和国では政治と政治学の乖離、もしくは政治学の無力さの様なものが認知されていました。フィレンツェは共和国でありながらメディチ家の台頭を許し、独裁制に移行していましたから。シニョーリア制って世界史で習いましたよね。
2015-10-31 22:34:29マキャベリの生きた時代にシャルル8世のイタリア侵攻があり、フィレンツェは共和政を取り戻します。こうした時代にマキャベリはフィレンツェにあって、官僚として政治・外交・軍事といった分野に取り組んでいました。
2015-10-31 22:38:44動乱の時代にこそ政治学の意味がある。マキャベリは政治学義の議論を転換し、統治のための徳(virtu)を議論するに至ったんです。「virtu」は文脈によっては「先を見通す能力」を指しますが、共和主義の議論において重要なのは「徳」の意味ですね。
2015-10-31 22:44:51マキャベリによれば、徳は教育によって植え付けられるものです。言い換えれば、教育によって「公共の精神」を社会に定着させるということです。マキャベリは教育によってこそ人社会は作られるという立場なんですね。そして、そうした教育を受けた人々の持つ徳が政治を形成すべきだと言うんです。
2015-10-31 22:46:15同時にマキャベリは法や制度・指導者にも注目しました。指導者・エリートは法や制度によって民衆を導くと言うんですね。善良なる指導者・エリート階層によって作られた法や制度は民衆の行動に一定の制限をかけるとも言えます。
2015-10-31 22:50:16こうした法制度の位置づけや教育によって人の在り方を規定すべきだというマキャベリの議論について、ポーコックは「徳の理想は極めて強制的である」と評しています。しかし、ポーコックはこうした議論の転換に注目して『マキャヴェリアン・モーメント』を執筆したという側面もあります。
2015-10-31 22:51:37この『マキャヴェリアン・モーメント』というタイトルは、マキャヴェリが共和主義という、徳・公共の精神に基づく政治の議論を転換した事を指しています。政治学の危機の時代にマキャヴェリが登場し、政治学の新たな「モーメント」を作り上げたと言うんですね。
2015-10-31 22:52:54このような危機の時代は英国でも生じました。イングランド内乱です。17世紀の清教徒革命が有名ですよね。王政と貴族政という混合政体上の対立・混乱と言えるわけですが、議会・統治機構という制度にも影響尾及ぼす混乱でした。国王が議会を開催しないという決断を下したのですから。
2015-10-31 22:57:13混合政体、国制の混乱を目の当たりにしたハリントンは混合政体を意識して論じました。『オセアナ共和国』です。国制の混乱に際し、ローマ共和政から混合政体の継承・発展を狙ったんですね。ハリントンは大土地所有から小土地所有へと変化している現状、共和政の成立は不可避であると断定したんです。
2015-10-31 23:03:56小土地所有における土地の所有者は市民です。この分析は後の「ダービー卿の賭け」と呼ばれる土地調査を参考にすると誤りです。水谷三公によれば内乱は貴族の混乱であって市民は存在しません。土地所有に関して議論は現実に根差しいているようで根差しておらず……っと話が逸れました戻りましょう。
2015-10-31 23:04:42ハリントンは単一政体では安定しないという立場でした。そして、クロムウェルの共和政に接し二院制が必要であるという結論に至りました。共和国の議会は元老院と民会の二院制です。ハリントンは「system」を制度の意味で使用しており、この時から混合政体の制度化が始まったとも言えますね。
2015-10-31 23:05:17ハリントンの共和政による秩序形成という予想はチャールズ2世の即位と王政・貴族政の復活によって外れてしまいました。しかし、ハリントンの議論は古来の国制の中でこそ生きるという議論が登場します。ポーコックはこうした議論をする人々をネオ・ハリントニアンと名付けました。
2015-10-31 23:13:19ネオ・ハリントニアンは『オセアナ共和国』の議論を応用し英国古来の国制の中でも特に王政と貴族政に注目しました。貴族政が王政に対して優位に立つことで政治の安定を保つことができると主張したんです。後の議会主権確立の歴史はネオ・ハリントニアンの狙い通りとも言えるわけなんですね。
2015-10-31 23:17:11名誉革命以降の歴史では商業活動の活発化にも注目しなければなりません。英国は新大陸を植民地化し世界商業における覇権を確立。イギリス第一帝国とすら呼ばれるようになりました。更には飛び杼や紡績機が発明され生産性が向上していきます。こうした状況の変化が共和主義の議論に影響を与えました。
2015-10-31 23:18:43ポーコックは18世紀の議論の潮流を「徳と富」と整理します。徳とはこれまで見てきたようなローマ共和政を標榜しての議論。富の議論は新たに登場した商業活動を肯定的に捉える議論です。後者にはバーナード・マンデヴィルをはじめ、ディヴィッド・ヒューム、アダム・スミスといった人々が属します。
2015-10-31 23:20:29マンデヴィルの『蜂の寓話-私益すなわち公益』は公共の精神を抜きにしても社会は成立するというものです。商業活動とは今の言葉では経済活動ですが、そうした私的な利益を追求する活動が社会全体を豊かにする。公の利益になると言うんですね。議論の逆転は非常にセンセーショナルだったと思います。
2015-10-31 23:21:30ポーコックの『徳・商業・歴史』というタイトルには「商業」が含まれています。それはこうした時代背景があるからなんです。富の議論は徳に取って代わり、共和主義の議論にも影響を与えていきます。
2015-10-31 23:22:09