【#矢矧の手記】妹を亡くした矢矧の話
- Sakawalove_YHG
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ひとりだけで昔話りをしていた時間がどこまで続いたのかわからない。けれど、そうながくはなかったようだ。 眠りから覚めたら、阿賀野姉さんがいた。 冷たく眠る酒匂を抱き続けながらまどろむ私に、もう離してあげなさい、と表情で伝えてきた。 不思議と涙は出なかった。 #矢矧の手記
2015-11-28 20:54:15◆8月10日 晴れ いかにして生き、いかにして死ぬかということを艦娘全体が意識しだしたのは、以前書いたように70年前に艦娘の「老衰」が公表されたときだ。 戦争が終わって以来、艦娘が死ぬ要因は大部分が事故とメンテナンス不足と自殺、もしくは他殺だった。 #矢矧の手記
2015-11-29 09:19:10それより前は、今思えばひどく珍妙な運動もあった。 愛する人とともに生きよう、というスローガンを掲げる団体がかつてあったのだ。構成員の半分は艦娘だった。 #矢矧の手記
2015-11-29 09:23:35「愛する人とともに生きる」――そんな美辞麗句を当時死なない(と信じられていた)艦娘に適用すると、すなわち、来るべき日に艦娘も安楽死をさせろということになる。 #矢矧の手記
2015-11-29 09:25:41それは、戦争の集結とともに艦娘建造が禁止され、戦力の妄りな喪失への懸念から更に自粛されていた艦娘の死――いわゆる解体事業を、安楽死として復活させようとする動きだった。 #矢矧の手記
2015-11-29 09:27:22その活動団体はとくにこれといってなにか国を動かしたなどの成果は残さなかった。しかし、今でも非合法な艦娘の解体事業を行っていると聞く。 賛否はともかく、死にたいけれど死ねない艦娘は、その時点でかなりいた。 #矢矧の手記
2015-11-29 09:32:04彼女らの中で一種英雄的に祭り上げられていたのは木曾だった。そう、我らが司令部のあの木曾だった。 彼女とは戦争後もよく会う仲だった。酒匂も彼女を姉のように慕っていた。 #矢矧の手記
2015-11-29 09:32:59彼女と最後に会ったのは、提督のお葬式の時だった。 あの頃の事というと、提督の死が告げられたと同時に木曾が男泣き(抵抗はあるが本当にこう書くのが適当だと思う)に泣いていたのが印象的だ。 とはいえ、お通夜くらいになるとすっかりもとに戻っていた。 #矢矧の手記
2015-11-29 09:37:58私の提督はその功績から結構な有名人になっていたので、お葬式は盛大なものになったが、つつがなく終わった。 けれど問題はその後に起こった。提督の骨壷が少し目を離した隙に消えてしまったのだ。 #矢矧の手記
2015-11-29 10:23:51後々状況証拠的に木曾の犯行だと推測されたが、正式には未だに誰が何の目的でやった行為なのか発表されていない。 ……と、言うのは建前で、木曾が骨壷を盗んで今にも逃げようとしているところをひっ捕らえたのが私であった。 #矢矧の手記
2015-11-29 10:26:31木曾はどうか見逃してくれといきなり土下座して頼み込んできた。「必ず後で返す」と。 私は多分、結構怒っていたと思う。仮にも……いや、仮にではない、この身を預けると誓った人のなきがらを奪われたのだから。 #矢矧の手記
2015-11-29 10:29:18提督は死の直前に海に出たい、平和な海を旅したいと言っていたらしい。木曾は今は無理だが後で必ず連れて行ってやると約束していた。 友との約束を果たさなければならないと、木曾は頑として動かなかった。 思えば木曾は提督の晩年にて、最もつきっきりで世話をしていた艦娘であった。#矢矧の手記
2015-11-29 10:31:50大いに迷ったけれど、私は何も見なかったことにした。 木曾は何度も頭を下げて出て行った。 それからの彼女は通称「青いダイヤの女」である。 #矢矧の手記
2015-11-29 10:33:56木曾は海の旅に出た。そこからのことは詳しく知らない、伝聞のみだ。 流石に遺骨がかさばりすぎていたのもあったのか、彼女は早々に提督の遺骨を宝石に加工して、涙のような青いダイヤにし、己の眼帯にあしらったらしい。 たぶん提督に自分と同じ目線で海を見てもらいたかったんだろう。#矢矧の手記
2015-11-29 10:34:57彼女は重要参考人であったから、公の施設で補給などさせてくれるところはなかった。 はなから補給するつもりなどなかったのかもしれないけれど。 人間のように痩せて餓死したりはしないけど、補給がなければ艦娘は確実にいずれ行動を停止する。 彼女はそう遠くない死の定めを負った。 #矢矧の手記
2015-11-29 10:36:36木曾はそれこそ世界中の海を旅したようだ。地中海で目撃されたという話もある。 お尋ね者になっていない国や彼女に同情した人から燃料をもらいながら、東奔西走したらしい。我が友ながら健気なことだ。 #矢矧の手記
2015-11-29 10:37:36それで結局発見されたのは5年後。漁船が活動停止した木曾を発見したのだった。 艦娘は腐らないし魚も食べない。彼女の亡骸はやや日焼けしていたが、昔のままの綺麗な姿だった。 提督の亡骸と言われる青いダイヤのついた眼帯は、海に落ちてしまったのか見当たらなかった。 #矢矧の手記
2015-11-29 10:38:57彼女は私を除いて、提督と最も親密な艦娘だった。 提督の死とともに己の生からの決別を断じた。 彼女は提督の亡骸を連れて、己の死に場所を探していたのだった。 この世でもっとも美しい海を。 最愛の人を葬るに相応しい場所を。 #矢矧の手記
2015-11-29 10:40:26そして最期、もっとも馴染み深い近海ですべてを悟り、提督の亡骸とともに海に消え、心中したのだ。 彼女の身につけた提督の亡骸を加工したダイヤは、彼女の悲しみをうつすような涙色だったそうだ。 #矢矧の手記
2015-11-29 10:41:18――というのが彼女を神格化した者達の通説である。 が、もちろん違う。 そもそも木曾は海に消えてないし、お墓だってちゃんとある。 ……私がこっそりと作ったのだけれど。 #矢矧の手記
2015-11-29 10:42:47さらに言えばこれも内緒だが、実はその青いダイヤの眼帯は私が持っていたりする。 木曾が発見される数週間前に、封筒の中に入れて送られてきたのだ。 「七つの海をまたにかけてきたぜ!後は頼んだ!」と書きなぐった手紙とともに。 #矢矧の手記
2015-11-29 10:43:39私はその手紙を読んでひとしきり大笑いした後、わんわんと泣いた。そういえば木曾はそういう艦娘だった。そういうやつだった。 #矢矧の手記
2015-11-29 10:45:18