10周年のSPコンテンツ!
82
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
早朝TRPG覚え書き。しばしば「TRPGにおける“物語”」の話この話が混乱することが多いのは、「ゲーム」と「物語」という言葉が包括する意味が個人によって違いかつそこを無自覚にぶつけ合うことで相互に不快になりがちだからです。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
こうした文脈における「ゲーム」という言葉には、大きく分けて三つの定義があります。“判定方法などの数値計算、トークンのやりとり”“セッション内部でGMとプレイヤーが行なうやりとり”“セッション外での語らいやリプレイを含めたゲーム体験”
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
おわかりの通り、後に行くほど、ゲーム体験についての語り(ナラティブ)は、物語(ストーリー)を帯びていきます。なぜならば、人は訓練を受けていない限り、自己の体験を物語化して語るからです。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
「グレイホーク市から東に10マイル進み、ゴブリン5匹と交戦、180秒後、これを殲滅」という無味乾燥な遭遇であっても(続)
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
「僕たちがグレイホーク市から半日ほども歩くと、五匹の醜い小鬼が襲いかかって来た。僕とアレン、それにエルフのクロディスは、三分足らずで彼らをたたきのめした」という物語に翻訳することは可能です。たいてい、我々はそういう形で出来事を「記憶」しているはずです。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
つまり、こうした意味合いにおいていえば、「物語」を内包しないTRPGというのは原理的に存在し得ません。我々の脳は、無関係な情報の間に相関関係を発生させ、そこに物語を生成するからです。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
というわけでTRPGにおけるプレイは常に物語であるのだ、すべての男女は星である――とクロウリー風に片付けてもいいのですが、「物語」という語がしばしばセンシティブな議論の題材となるのは、自分の望む物語そのものを演じようとするプレイングの存在が無縁ではありません
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
人は皆役者、人生は舞台、とはシェイクスピアの言ですが、我々はTRPGという架空の世界において、無意識に、あるいは意識的に何らかの「物語」を演じようとしています。騎士、冒険者、殺し屋、宇宙海賊、吸血鬼……「一切のロールプレイを行なわず、淡々と処理する」という物語を含めて
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
しかし、演じられようとする物語は常に一致するとは限りませんかつて、「迷宮に潜り怪物を倒し略奪の限りを尽くす冒険者」の物語であったD&Dが、やがて野外に、宮廷に、次元界に、神話の世界に拡大したように、我々の持つ「物語」は常に拡大を続けます。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
で、その結果何が発生するかというと、どれだけの「自己の物語の投影」をゲームに求めるかという濃淡が発生するのであります。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
つまり、「僕はブレダ王国の男爵家の次男坊に産まれた遍歴騎士。妾腹故に父に愛されなかったトラウマを抱えている」という物語を演じたいというプレイヤー、「僕のキャラクターは前衛の剣士。単体攻撃でダメージ出せればいいよ」というプレイヤー同席する、ということになる。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
もちろん、どちらがよいプレイスタイルだ、という話ではありません。ただ、前者のプレイヤーは後者のようにキャラクターをトークンとしてのみ扱うようGMに求められば不満でしょうし、後者のプレイヤーは突然そんな設定考えられない、と言でしょう(そうではないかもしれませんが)
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
これがGMであればさらに問題はややこしく「自分の物語をプレイヤーに上演させようとする(時としてセリフまで決まっている)」「筋書き通りに進めればいいや、と思っている」「筋書きはあるが変えてもいい」舞台を作って一緒に物語を作りたい「舞台と反応をシミュレートしたい」(続)
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
ダンジョンや解決するべきミステリを提示し、これの審判に努めたい」「完全にランダムでシナリオを進めたい」「その場のアドリブで、プレイヤーの希望を取り入れ即興で進めたい等々の言葉が――〈物語〉という単語で大ざっぱに語られます。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
これは、「すでに語られた物語(GMの想定)」「語られようとしている物語(シナリオ)」「語られていない物語(プレイ体験)」の三者がTRPGに介在していることによります。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
「同じシナリオを二度遊んでも同じ結果にはならない」「全員がシナリオを読んでいてもそれはそれでTRPGは遊べる(カオスフレアでもCoCでも)」というのは有名な話ですが、それはまさにこうした特質に起因します。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
というわけでじゃあ実際にはどうあるべきか、というとアプローチはふたつあります。実践的には、自分がどういう「物語」を求めているのか、真摯に対話することです。「物語」という語が指すものがひとつではないことを理解すれば、難しくはないと思います。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
ゲーム開発史で言えば、様々な形で、GMやプレイヤーのやりたい物語をストレスなく共有出来るようにする、ということが言えます。ライフパスやアライメントに始まり、PC間のコネクションや、特殊因果律・キャラクターテーマのような物語性を持ったデータ、フレアやインスピレーション……等々
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
@u_kodachi このあたりの「ゲームと物語の融和」については、『D&D』の『ダンジョン・サバイバル・ハンドブック』『ネヴァーウィンター・キャンペーン・セッティング』の二冊が、最近では白眉でした。国内にも良作は多数ありますが、あまり紹介されないので是非。素晴らしいです
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
で、最初の話。なぜ不快になりがちかというと、しばしば、「物語(あるいは演技)とゲームが対立する」という誤解を元に話す人がいるからです。たとえば、戦闘のないD&Dは成立しますし面白いですが、「戦闘がないD&Dのほうが物語的である」ということではありません。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
(ここでのゲームは、主にルールやトークンのやりとりとしてのもの)
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
逆に、盛大にロールプレイを行ない、思う存分それぞれの物語を演じきったからといって、別にルール処理が適当になるわけではありません(してもいいけど)。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
「僕はルール的な処理よりストーリィが好きだ」「僕は演技やドラマよりも戦闘や謎解きのほうが好きだ」という好みを、「戦闘は物語を阻害する」「物語はゲームを阻害する」言い換えてしまうところに不幸があるように思います。
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
あとはまああれですね。「GMとして物語を重視する」という語を、「プレイヤーの自由意志を剥奪する」という意味に取る人はいますし、「GMとして物語を重視しない」という言葉を「プレイヤーの演技やドラマを無視する」と解釈する人はいます。それは不幸な行き違いなので、埋めるとよいと思います
小太刀右京/Ukyou Kodachi @u_kodachi
@u_kodachi そういう極端なGMもいますが、まあ、あまりプレイヤーには好まれないと思います。もちろん、合意が取れてるならいいとは思いますが、私見としてはコンベや募集型のオンラインセッションだとおすすめはしません
残りを読む(3)

コメント

玉藻さん@地球 @Roseate_Rosy 2015年12月10日
#TRPG の娯しみ方の幅は広いよ、っていうのを丁寧に書かれているのです
Hellbaby @Hellbaby 2015年12月11日
実に参考になった。自分もうっかり混同する事があるから気をつけよう。
ミュリウス @notrpgnolife 2015年12月12日
「物語とゲームは対立しない」が正しいとして、「対立が生じる原因は物語とゲームが対立すると誤解しているから」は成立しない。成立するのは「対立が生じた時、これを物語とゲームの対立と捉えるのは間違い」までです。では、本当は何で対立しているのか?そこを分析しないと意味が無いんじゃないでしょうか。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする