- suzutuki1980
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1)先程、国分寺および昭島での御勤めから帰宅しました。幾つか誤解を招く表現・誤りを含む表現を回答中でしてしまっておりましたので(申し訳ありませんでした)、それらについて訂正を含めつつ回答をさせて頂きます。
2015-12-11 01:56:072)まずこれ twitter.com/suzutuki1980/s… には誤りはありません。皇帝は公の場において衆人に対する祝福一つ行えません。画像は祝福後信徒から手に接吻を受けるブルガリアのネオフィト府主教座下(肩書当時、今は総主教聖下) pic.twitter.com/8hdsoKhsL6
2015-12-11 02:02:403)しかし(自分の書き込みですが)これ twitter.com/suzutuki1980/s… はもう誤り、です…申し訳ありません。聖務会院の構成メンバーは時代によって変動しているのですが、妻帯司祭も少数ながら入っていましたので主教のみがメンバーではありませんでした。また総監は俗人です続
2015-12-11 02:04:324)聖務会院時代については、正教会内でも色々と(程度問題等で)評価が分かれます。「当時教会は皇帝の言いなりだった」とする人から「そこまででもなく、皇帝に抵抗する事もあった」とする人まで。ただ「正教会として異常な状態、肯定的評価は不可能」までは、現代の正教会で一致する見解です。続
2015-12-11 02:08:085)「どの程度、聖務会院が皇帝の言いなりになっていたか」の程度問題については、私個人の見解を纏めるには、私の見識は大いに不足しています。繰り返しになりますが、ここでは「そうした程度問題についての評価は割れている」事、「少なくとも正教会として異常視している」事を主に指摘しますが、続
2015-12-11 02:12:036)一つの事例は挙げておきたいと思います。サンクトペテルブルクのイシドル府主教 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4… という方が19世紀にいらっしゃいました。当時聖務会院の主教達の中では筆頭格でいらしたこの方が日本宣教に対して示された御厚意と御配慮が、続
2015-12-11 02:16:257)最初期の日本正教会の出発を支えて下さっていた面があります。検証を要しますが、イシドル府主教様御永眠直後に対日宣教資金の送金が目減りしているのも(聖ニコライの日記1892年11月2日参照)、何かの影響があったかもしれません。続
2015-12-11 02:18:378)もし主教達が皇帝の木偶に留まるような存在でしたら、そのような「個性」が発揮される余地は無い筈です。隠遁者聖フェオファン ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0… のような聖人について「聖務会院時代にあっても輝いていたロシア正教会の一面」のように言われる事はありますが、続
2015-12-11 02:20:449)聖務会院のメンバーになっていたような、教会行政に関わる主教達の中にも、「皇帝および俗人総監の木偶」とは到底言えない気概と実績を示された方々がいらした事実を捨象すべきでは無いでしょう。総合評価はその認識の上でなされるべきです。続
2015-12-11 02:22:2410)さて、この御質問 twitter.com/OccidentalAqil… ですが、厳密にお答えしようとすれば非常に難しい御質問です。と申しますのは、時代・時期により、また皇帝の方針により、教会側の実質的自主的裁量が縮小した時期もあれば、拡大した時期もあるからです。続
2015-12-11 02:25:0811)一般論としては、 twitter.com/OccidentalAqil… に「僅かながら首司祭等の妻帯司祭、および俗人官僚も加わっていた」と付け加えれば正しいと言えます。しかしながら「実質が」どのような状態だったかについては、まだまだ研究と評価が分かれる余地があると言えるでしょう続
2015-12-11 02:27:3312)ちなみに「何故ニコライ2世をロシア正教会は列聖したんだwやっぱり正教会は皇帝教皇主義で、皇帝万歳なのかw」と言われる事がありますが…。皇帝聖ニコライが列聖されたのはボリシェヴィキによる犠牲から来る「苦難に耐えし者」としての理由のほか、実は総主教制復活とも関係があります。続
2015-12-11 02:29:3213)聖ニコライ2世は、歴代ロマノフ朝の中で極めて珍しく、「真面目に教会に通う皇帝」でした。1917年に総主教制が復活したのも彼が総主教制の復活に理解を示しその準備作業が許されて居たからこそであり、帝政崩壊だけが理由ではありませんでした(そう一朝一夕に出来る仕事ではありません)続
2015-12-11 02:31:5814)まとめますと、残念ながら聖務会院制という正教会史で異常な状態があった事は事実ですが、現代の正教会はそれを正常とは決して看做しませんし、実際聖務会院制は廃止された事にみられる、正教会の「正しい姿への復元力」を、事実として認めない事もまた不公平であると言うべきでしょう。
2015-12-11 02:34:29