元関脇 竹乃節によるACECOMBAT04論 その7
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ZEROにおける、敵も味方も派手な機体カラー
で、「パイロットの黄金期」たるZEROはどうなっているのかというと、前言った通りテーマとしては「戦闘機と言う名のパワードスーツを身にまとい、超人達がおのおのの戦闘スタイルを武器にして殴り合うSFマカロニウェスタン」だと思っている。
2015-12-19 14:39:12そのコンセプトに則っていうと、シナリオ上必ず遭遇するベルカンエース、ならびに国境なき世界のエースパイロット達が、どいつもこいつもそろってドチャクソ派手な戦闘機に乗り、フラメンコに合わせて戦うのは、物語性とガッツリマッチしていると言える。
2015-12-19 14:39:17それに加え、主人公ペアであるサイファーとピクシーまでもが、通常のF-15Cに目立つカラーリングを纏って戦場を飛んでいる。ZEROは戦争に見せかけてあきらかに戦争ではないことをやっている、「嘘を嘘であるとわかりきってプレイできる人」向けのエースコンバットであると言える。
2015-12-19 14:39:23ZEROの挙動は5から引き継がれ、3や04にくらべやや軽いものとなっているが、これは5と同じ理由ではなく、前述のACZEROパワードスーツ説からくる、彼らの異形感を表現するための手法として機能しているのではないかと想像している。
2015-12-19 14:39:30なぜだか知らんがヤツはいる 〜PJの存在意義とは〜
ところが、そんなZEROの登場エースの中にあって、シナリオに高いレベルで絡み、かつスコアを十分上げていながら、ほとんど原型機そのままの地味なカラーリングで戦っているエースが存在する。ご存知、パトリック・ジェームズ・ベケット、PJその人である。
2015-12-19 14:39:36実はZEROに登場するほぼすべての人物は、思想を押し通すための手段として戦争、戦闘、ドッグファイトを否定していない。そのなかで、「平和のために飛ぶ」と言明し、戦わなくて済むならそうしたいと表明しているPJは、思想的に異質な存在である。
2015-12-19 14:39:43ヤツだけなんでそんな地味なのか、それで浮かないのか、答えは明確である。彼だけが、飛んでいる理由、ひいては思想がエースコンバット5に寄っているのである。 地味なのは狙い通り、地味であるが故に浮いて見えるのも狙い通りである。
2015-12-19 14:39:50エースコンバット5は「人の心の理想」を描いた作品であるが故に、他の作品にそのままその思想を持ち込むと「そうは言うが戦わざるを得ないだろう」という部分がある。PJの「理想を胸にはするけど結局戦うはめになる」行動は、シリーズの中での5の立ち位置を正しく表明している。
2015-12-19 14:39:59そんなPJの乗機が、エースコンバット5から踏襲した(言い換えればZERO風味ではない)色の機体に乗っているのは必定なのであり、同時にそれが「狼の中に1匹だけ羊がいるにもかかわらず、生き残り続けている」ような、PJのミステリアスな強さを演出している。
2015-12-19 14:40:07究極のフォトリアルを目指した時の問題点
ここまで取り上げてきたエースコンバットの「カジュアルさを表明するためのデフォルメ」であるが、わたくしは一つ危ぶんでいることがある。グラフィックや表現があまりにリアルになりすぎたとき、これまでの方法がとれるかどうかという心配である。
2015-12-19 14:40:13わたくしは映画「ステルス」をギャグ映画だと思っているのだが、その一番の理由は「ほぼ実写的な映像に対し、やっていることがあまりにもカジュアルすぎる」点にある。この落差が「シリアスな笑い」に見えてしまうのだ。
2015-12-19 14:40:20もしも究極のフォトリアルをゲームが達成できるようになり、なおかつPSVRのような「より本物に近づいた表現技法」が登場したとき、エースコンバットは「シューティングらしさ」と「リアルさ」の溝を、どのような方法で埋めるのであろうか。
2015-12-19 14:40:26