お待たせいたしました。 「石田三成の青春」第8話 「思惑 石田三成襲撃事件」第1回 ぼちぼち始めさせていただきます。 #思惑 pic.twitter.com/aQQaSs8LWI
2015-12-09 20:00:26石田三成の青春 第8話 思惑 ~石田三成襲撃事件~ (一) 夕刻に降った雨がほこりを流して清々しい。値千金の春の宵。月は若いが、辛うじてまだ西の空に残っていた。時折吹く微風が、少しの酒で熱った頬を気持ちよく撫でていく 阿波徳島領主・蜂須賀家の大坂屋敷 #思惑
2015-12-09 20:02:15主の蜂須賀家政は、盃を持ったまま、庭に出て、咲きかけた牡丹の花のそばに暫し、立った。その様子は、どことはなしに悩ましげで、とても花月を愛でているふうには見えない。 #思惑
2015-12-09 20:02:56一刻ほど前に、加藤清正と福島正則が連れだって訪ねてきて、つい今しがた帰ったところだ。用件は聞かずともわかった。気持ちのいい春の宵、花鳥風月を愛でながら一献傾けようなどという穏やかなものではない。かねてから企てていた一件をいよいよ実行に移すというのだ。 その一件とは、 #思惑
2015-12-09 20:04:17石田三成を討つ。 去年、慶長三年八月十八日、太閤・豊臣秀吉が伏見城において波乱の生涯を終えた。享年六十二。 その時、家政は既に帰国し国許の阿波徳島に在ったが、清正と正則はまだ、遠く朝鮮半島で明・朝鮮軍と交戦中だった。 #思惑
2015-12-09 20:04:52彼らは、 「殿下没す」 の報せに、悲しむ間もなく急ぎ講和を結び帰国する。 長い外地での戦いで疲れ果て、やっとの思いで祖国の地を踏んだ彼らを、三成たち奉行衆が出迎えた。 「ご苦労でござった」 #思惑
2015-12-09 20:05:38ニコリともせず事務的な口調で淡々と迎え、手際よく将兵の列を捌いていく三成に、二人をはじめ帰国した将兵たちの多くは、激しい怒りを覚えたという。 三成に悪気はない。 #思惑
2015-12-09 20:06:36それは、少なくとも清正、正則の二人には、よくわかっているはずだ。二人とも三成とは、もう二十年以上の付き合いだ。三成の気性は充分に知っている。この時は、ねぎらいの言葉などよりも、 一刻も早く休ませてやりたい。 #思惑
2015-12-09 20:07:21そういう三成なりの心配りだ。それは重々わかってはいるが、面と向かってそういう態度をとられると、 もう少しましな言いようはないのか。 と思ってしまう。そして、 #思惑
2015-12-09 20:08:16自分は戦に出ず、ちょっとの間戦場にやって来ては、あることないこと殿下に告げ口しやがって。 と、無性に腹が立つのだろう。 家政とて三成に対しては、二人と同様の感情を抱いていた。 #思惑
2015-12-09 20:08:54家政は、明・朝鮮との戦において、秀吉の勘気に触れ、領地の一部を没収され、国許で謹慎させられていた 朝鮮での戦は、最初のうちこそ順調に勝ち進んだが、本格的な明軍の参戦と朝鮮民衆の蜂起、加えて李舜臣率いる水軍の活躍で補給路を断たれるなど、次第に戦況は悪化、泥沼化の様相を呈した #思惑
2015-12-09 20:10:22そのような状況の中、広大な敵地での戦に疲れ果てた現地の武将たちは、講和を視野に置いた戦線縮小を合議決定し、実行した。当然のことながら、 それは秀吉の思惑には反するものだ。 将たちの一方的な知らせに驚愕し、三成配下の戦目付から詳しい報告を受けた秀吉は、激怒した。 #思惑
2015-12-09 20:11:51家政は、なぜか黒田長政とともに、その首謀者とされたらしい。 帰国して処分を知らされた家政は、秀吉に会って直接話がしたいと思い、申し出たが叶わなかった。 あいつが邪魔をしている。 #思惑
2015-12-09 20:13:09家政は少々強引だとはわかりつつ、三成のせいにし、三成に腹を立てることにより自らの心の平衡を保った。 #思惑
2015-12-09 20:14:43考えてみれば、秀吉を亡くしてからの子飼いと言われた武将たちは、三成を事実以上に悪者にすることによって、彼らにとって単に主というだけではなく時に慈父であり師であった秀吉を失った喪失感や悲しみ、寂しさから逃れていたのかもしれない。 #思惑
2015-12-09 20:16:38そのことは、彼らの中の誰一人として、絶対に認めないだろうが 去年、秀吉が亡くなったあと、五大老筆頭の徳川家康が、家政と長政の没収された領地を元に返してはどうかと言ってくれたことがあった。戦線を縮小していたからこそ、秀吉の死をうけて、速やかに講和・帰国ができたのだと #思惑
2015-12-09 20:17:47他の四人の大老たちは、ほぼ家康に同意したそうだ。だが、奉行衆、特に三成が強硬に反対したらしい。 太閤殿下がお決めになったことを覆せるのは太閤殿下のみだ。 というのがその理由だという。 #思惑
2015-12-09 20:19:16それを聞いた家政は、 三成め、己一人が殿下の全てをわかっていると思っておるわ。そして殿下を大切に思っているのも己一人だけだと。 と、片腹痛い思いだった #思惑
2015-12-09 20:19:54「石田三成の青春」 第8話 「思惑 石田三成襲撃事件」第1回 これにて終了です。 今宵もお付き合いくださり、どうも有難うございました。 明日も、どうぞお楽しみに! #思惑
2015-12-09 20:22:51お待たせいたしました。 「石田三成の青春」第8話 「思惑 石田三成襲撃事件」第2 回 ぼちぼち始めさせていただきます。 #思惑 pic.twitter.com/CUS956qSfY
2015-12-10 20:00:07家政の亡父・小六正勝は、秀吉の側近中の側近だった。秀吉が信長に仕える前からの関係だ。はじめ秀吉が、村の武士と呼ばれる郷士だった小六に仕えていたという話もどこからか聞こえてきたが、真偽のほどはわからない。そのことについて小六は何も言わなかった。 #思惑
2015-12-10 20:00:52いずれにしても、家政は、生まれた時から秀吉に、その存在を知られていた。宴の席で秀吉が、家政が生まれた時の様子をおもしろおかしく話してくれたこともある。そしてこれは父から聞いた話だが、秀吉に抱かれて小便をひっかけたことがあるという。 #思惑
2015-12-10 20:01:59そのとき子供好きの秀吉は上機嫌で笑いながら、おしめを替えてくれたそうだ。その話は誰にも話したことはない。けれど、家政の密かな自慢だった。 側近として重用される三成に軽い嫉妬を感じながらも、その優越感をもつことで、二歳年上の余裕を保つことができていた。 #思惑
2015-12-10 20:02:42去年のことも、三成の反対により、没収された領地が返ってこないことよりも、 太閤殿下がお決めになったことを覆せるのは太閤殿下だけだ。 と三成が言い放ったことの方が不快だった。 片腹痛い。 #思惑
2015-12-10 20:04:18と自らに余裕を見せてはいるものの、三成に対して激しい怒りを感じるのを禁じ得なかった。 三成を討つ。 清正からその企てを持ちかけられたのは、それから間もなくのことだった。 最初、家政は、 またか。 と思った。 清正は二十年このかた、同じことを言っている。 #思惑
2015-12-10 20:05:50