『三人目』2015.12.22-24

煌々と燃え盛る炎。世界が寝静まる深い夜。 夜明けまではまだ長い。 ——それは、煌夜祭と呼ばれる語り部たちの最も長い夜。 ※多崎礼『煌夜祭』の世界設定で書いた短編です。
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とおる7th @windcreator

目の前の彼女は怒っている。相当に怒っている。彼女に教え込まれた話術の基本によれば、まずは聞くことからだ。しかし、何かを聞けばもっと怒られる気がする。こんな会話の型は習っていない。思い出しようがない。瞬間、電撃のように、島を出る時に二人目の母親から言われた事を男は思い出す。 #煌夜

2015-12-24 00:19:22
とおる7th @windcreator

深呼吸をひとつ、男は言った。「一緒に、来てはもらえませんか。ずっと、一緒に。助手も、相方も、それから出来たら妻も、してもらえると……」男の家に恋愛小説が一冊でもあれば、少しは気の利いた事も言えたかもしれない。しかし、皆無だったから仕方なかった。「それは一生ですか」「はい」 #煌夜

2015-12-24 00:24:53
とおる7th @windcreator

「……最初に相談して欲しかったですし、もっと早くにそういう事をハッキリ言って欲しかったし、そもそもあなた一人だとアドリブ下手すぎて患者さんとの空気が凍るのも目に見えてるし、私がどれだけアタックしても意味分かってないし、荷造りしながら不安で仕方なかったので一生償って欲しい」 #煌夜

2015-12-24 00:28:53
とおる7th @windcreator

二人は翌日、同僚たちの前で結婚を宣言し、お別れの宴は二人の祝宴も兼ねて盛大に行われた。島から島へ、来たときとはまた違う風景を二人で旅した。男にとって懐かしい故郷。変わらぬ街並み。変わらぬ家。しかし、誰もいない。いるはずの人はおらず、ほんの僅かに埃が舞う我が家。そして手紙。 #煌夜

2015-12-24 00:36:19
とおる7th @windcreator

『おかえりなさい。そして、ごめんなさい。学長からあなたが戻ると聞いて、私は家を出ることにしました。だって、お嫁さんも連れてくるんでしょ? きっと素敵な人ね。息子の相手が出来るくらいの強者なら、安心ね。私は魔物。私が魔物なの。あなたの父親を食べたの。あなたを育てる見返りに』 #煌夜

2015-12-24 00:41:43
とおる7th @windcreator

『名医の知識と経験が必要だった。私が私自身を、魔物を殺す事の出来る医術が。でもだめね。母と呼ばれて、もう死ぬ気が失せちゃった。けど、あなたの家族を危険に曝すのも嫌。だからさようなら。あなたの隣にいてくれる人を大切に。あなたが出会う三人目の母親。あなたの子の母親になる人よ』 #煌夜

2015-12-24 01:57:16
とおる7th @windcreator

『探さないで。煽ったのは私だけど、その島で父を超える名医になりたいと、そう願ったのはあなた自身。いつか語り部たちが、代わりばんこに名医の話をするほどにまでなった時には、きっと私にまでその便りは届くはず。ご飯は好き嫌いせずに食べてね。お酒は、言わなくたって飲まないっしょ?』 #煌夜

2015-12-24 02:01:41
とおる7th @windcreator

男は妻と、故郷の島で診療所を始めた。最初は警戒していた人々も、すぐに男の腕を認め頼るようになっていった。やがて人々は男を名医の再来と讃えた。今も彼は故郷の島で名医として忙しくしている。遠くの島から彼を頼る人もいるという。妻との間には二人の子を授かった。三人目もすぐらしい。 #煌夜

2015-12-24 02:08:19
とおる7th @windcreator

猿の仮面の男は、火壇にイガ粉を投げ入れる。居並ぶ語り部たちは、猿面の言葉を待った。「私も、一度は生きるのを諦めたんだ。酷い怪我で、海の毒も身体に入っていた。そこで、名医に出会った。傷の治りが遅くてね。一命を取り留めた直後だからか、何も出来ずにいたのだが話すことは出来た」 #煌夜

2015-12-24 02:15:25
とおる7th @windcreator

幾人かの語り部が首肯する。何らかの大病や大怪我を経て語り部となる者も多い。「不本意ながら名医の記憶でも奥さんの帳簿でも、私の診療所滞在日数は最高記録を更新してしまった。実に十ヵ月。その間、考え続けたのだ、どうしたらこの二人に少しでも恩を返せるだろうかと」猿面が炎に揺らぐ。 #煌夜

2015-12-24 02:23:00
とおる7th @windcreator

「元々、口は達者な方ではあったのだが、こうして語り部として語れるようになるのには根気がいった。ようやくだ。ようやく、語る事が出来た。今の話を確かめるのは簡単だ。彼らは今も名医のままにそこにいるのだから。皆さんには是非、この話を語り広めて欲しい。もしも、そう思えたのならば」 #煌夜

2015-12-24 02:27:43
とおる7th @windcreator

猿面の男は、語り終えた。静寂が辺りを満たす。不意に女の声が問うた。「三人目は、いつ生まれる?」花を象った仮面、その表情は誰にも見えない。猿面は応える。「先日受け取った手紙では、年を越えてしばらくしたらとあった。もう一月も掛からないだろう。あなたも、お知り合いなのですか?」 #煌夜

2015-12-24 02:34:26
とおる7th @windcreator

花の仮面を付けた女は笑いをこらえるような声で言う。「おめでたい話を知りたがるのは、誰でもみんな一緒っしょ?」猿面の男は大きく頷く。「恩人のお祝いごとですから、私も今日の事を土産話に、会いに行くつもりでおります。次の便なら、船も風も良さそうですから。ご一緒するなら、是非に」 #煌夜

2015-12-24 02:43:46
とおる7th @windcreator

語り部の中で上座に近い方から渋い声が囃すように言う。「いくら猿の仮面とはいえ、この場で女性を“お誘い”するのは、少々若過ぎる」一同に笑いが起こり、猿面の男は、今度こそ語るのを終えた。次の語り部が語り出す前の小休止。一人の語り部が静かに嬉し涙を零したが、誰も気づかなかった。 #煌夜

2015-12-24 02:50:28
とおる7th @windcreator

かつて息子から贈られた花。その花を象った仮面の下で女は、嬉しくてもこんなに涙が出るものなのかと焦っていた。煌夜祭は続く。三人の“孫”と嫁とに何をお土産にするか考えながら、花の仮面の女は己を呪わずにいられる幸せを感じていた。 #煌夜

2015-12-24 03:50:10