はづきのさんの中国宇宙開発史本解説(仮)

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しかし、ここまで読んできて、なんで国家の粋を集めたロケットをもっとトップセールスで売り込まなかったのかと思ったけど、1986年前後だと商務部なんてないころだったんだな。対外貿易部のような対外折衝部署はあったけど、海外市場にいち産業を参入させる様なノウハウはなかったんだろうなぁ

2016-01-04 22:29:25
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でも今夜はここまで。やっとチャレンジャー事故やアリアンロケットの失敗と、そこから中国ロケットに注目しだす米国の宇宙産業の章の前まで来た。また少しずつ明日電車で読もう(^^;

2016-01-04 21:56:21
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@ShinyaMatsuura ツイートではかなりすっとばしていますが、米国の衛星メーカー10社以上回って総スカンくらったとかちゃんとした商品説明書作ってから出直してこいと追い返されたりとか書き方教えるから100万ドル寄越せと言われたとかいろいろ面白エピソード載ってますw

2016-01-04 21:50:51
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方向性が見えてきて、中国のロケット技術者らはターゲットを絞ることにした。ヒューズ社のHS-376とHS-601衛星バス。それぞれ長征三号、長征二号で打ち上げ可能な点を積極的にヒューズ社にアピールした。この交渉がウェスタンユニオン社の耳にも届き、ユニオン社とも交渉の機会を得る。

2016-01-04 21:37:54
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それでも幾度も足を運びマーケティングとセールスを続け、何度も失敗しながら見えてきたことは、米国の衛星メーカーとユーザーは通信容量の大型化対応と低コストな小型衛星の二つに分かれるという事、また衛星メーカー及びユーザーのニーズでロケットが決まるという事だった。

2016-01-04 21:25:00
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海外でセールスしようにも、国の規定で1日当たり52ドルまでしか与えられない状態で、接待費やらコンサルタント料やら払えるはずもない。宿泊も安宿ばかり。カナダではこれが災いして詐欺師扱いされ、アポイントを取ったにもかかわらず門前払いされた、とか。

2016-01-04 21:19:37
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米国の衛星メーカーを行脚するものの、どの会社にも冷たくあしらわれ、、バカにされ、金を持ってこいと言われる。ゴシップ誌にはビール瓶の発射台と爆竹で出来た「長征三号」などという風刺画を描かれる。宇宙ビジネス会議に出席の機会を得ても「中国のフェアリングは竹製かい?」と揶揄される、等々。

2016-01-04 21:09:55
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「風雨長征号」を少しずつ読んでいるけど、前半は「中国人がロケット産業という分野で誇りを取り戻す物語」みたいな展開。駐米中国大使館で発表会を開いた際、在米華僑から「米国に来る中国人は中華料理屋を開くことくらいしかできない」と蔑まされる話を聞いた技術者が魂を熱く燃やすエピソードとか。

2016-01-04 21:01:41
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とりあえずここまで。続きは平日に少しずつやるかもしれないし次の連休にやるかもしれないし、もうやらないかもしれない(^^;

2016-01-03 22:05:02
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…と、ここまで読んでやっと1割か…。チュカレタ。ただ読むだけなら普通の読書時間程度なんだろうけど、拾い訳に時折情報確認もしつつだとこんなもんだよなー(^^;

2016-01-03 22:02:44
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第三世界は米国に傾倒している、第二世界も米国の鎖に縛られている。結局、海外の衛星打上げ市場を開拓するという事は、米国を納得させるという事に他ならない。86年4月、航天部は新たに商業打上げサービス班を設立し、米国市場の打開に注力することを決めた。

2016-01-03 21:59:15
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だが中国にはまだクリアしなければならない問題があった。米国の輸出許可証を獲得すること。スウェーデンの開発する衛星には米国製部品が使われており、米国の認可なしには中国へと輸出ができなかった。どんなに安全確実なロケットを造ったとしても、米国が首を縦に振らない限りはどうしようもなかった

2016-01-03 21:56:20
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代表団の何克譲副院長は「我々は同業者だろう、どの国の不幸であろうと望んだりはしない」と返した。 副社長はそれでも「そうかね?」と笑っている。 「我々中国の宇宙技術者も今回の事件には悲痛を感じている。信じるのはあなた次第だが」 こうして打上げ市場参入への「競争」に足を踏み入れた

2016-01-03 21:51:03
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翌日、代表団は欧州宇宙技術研究センターとフォッカー社を訪問したが、接客室に通されるまでに所内の誰もが悲痛な面持ちでチャレンジャー事故を話題にしているのを耳にした。対面したフォッカー社の副社長は冗談交じりに開口一番「今回の契約受注は、少しばかり火事場泥棒的なところもあったようだね」

2016-01-03 21:43:21
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アムステルダムに到着し小さな宿屋にチェックインした一行はテレビをつけた。目に飛び込んできたのは…チャレンジャー事故のニュース。事故が何を意味するのかを、一行は異国の片隅で議論し合った。中国が国際市場に参入することのリスクとリターンが一体どの程度なのか…

2016-01-03 21:34:09
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86年に中国は宇宙開発代表団を率いてスウェーデン入りし、長征二号丙で二度のマニューバによる軌道投入案をセールス。この時はアリアンスペース社も契約取りに加わっていたらしい。交渉の結果、中国が3万ドルの手付金で契約を獲得。初受注を手に欧州訪問を継続する途中で大事件が飛び込んできた。

2016-01-03 21:28:35
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要は途上国の技術者のほうが高い知識やノウハウを持っていたわけで、第三世界の市場は切り崩せないとみた開拓班は、第二世界の市場に入り込めるかを画策する方向に舵を切る。この時期スウェーデンが長征ロケットに興味を示し打診してきたことは一つの転機となった。

2016-01-03 21:07:42
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ある程度形が整ってきて、先進国市場はすでに米国が牛耳っているので、第三世界を顧客ターゲットに考えたが、ここに誤算があった。途上国の宇宙技術者は大抵米国を中心とした西洋の教育を受け、西欧に傾倒しており、中国の技術に対しては情報も少ないことから信頼性を疑うものが多かった。

2016-01-03 20:53:42
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国際市場開拓班と言っても、誰も入札やら契約の交わし方すらわからない門外漢。航天部には外事局があったが政府部門であり商務は分からない。ので商務部門を立て、市場開発部を設立し、米国に代表事務所を開設しと体制作りから進めた。

2016-01-03 20:47:33
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ちなみに、中国の宇宙機関が最初にコンタクトを取ったのは1977年のフランスだが、自国の宇宙開発技術を対外的に紹介するきっかけは78年の日本訪問時だとか。日中間の交流は比較的活発だったそうで、米国宇宙産業に接触したのは3番目だったらしい。

2016-01-03 20:28:38
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1985年は積極的に海外の展示会や国際会議に出席し、海外の宇宙産業動向の把握と長征ロケットのアピールに努めたらしい。同年10月には航天部部長が中国政府を代表して新華社のインタビューに答える形で、長征三号、二号の国際市場参入を表明したと。

2016-01-03 18:29:44
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衛星打上げ国際市場開拓班は同年秋から国際市場参入のための調査を開始、85年には計画書をまとめた。85年はつくば万博開催年でもあり、中国館で東方紅一号模型、試験通信衛星模型、長征三号ロケット模型や宇宙開発関連のパネルなど展示。これは世界に向けて長征三号情報を初公開することにもなった

2016-01-03 18:24:55
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なんか航天部副部長劉紀原の来歴が、父母の五四運動の辺りから始まって6ページ近く語られておる…。それからやっと、中国ロケットの国際市場参入を視野に入れていた他の技術者との意見交換やら部長の説得やらあり、国際市場参入計画を本格始動。

2016-01-03 16:58:42
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当時採りえた選択肢は三つ、一つは大リストラでスリム化を図る、一つは宇宙産業構造の大改革、一つは「両玉一星」のお題目に縋って予算をこれまで通りむしりとる。折しも同年は長征三号がデビューしたばかり。航天部副部長の劉紀源は国際市場開拓班を組織し、海外向け衛星打上げサービスを宣言した

2016-01-03 16:05:39
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現在の軍民両用路線のきっかけについても触れてるな。1984年の北戴河会議で鄧小平がこれまでの「臨戦」戦略方針の調整を提案したと。国防部および当時の航天部に、軍・官製品のみでなく民生品への拡大を図る様にと。しかし急に言われてすぐに転換できるわけもなく、宇宙開発関係者は混乱の極みに

2016-01-03 15:56:18