『風雨長征号』拾い読みツイート

中国の国際商業打上げ戦略、その苦難の道のりを綴った『風雨長征号』を拾い読みしつつ、翻訳ツイートしています(未完)
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ふむ、『航天七部曲』の第五巻『中国長征号』(初出時は『風雨長征号』2003年)は中国宇宙開発の国際市場参入後の打上げ失敗が続いた時期にスポットを当てているのか。全21章立てで、1996年の大参事「2.15」について第16章、第17章と2章割いている。

2015-12-31 13:53:10
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(中国では大事件の名称について、発生日付で呼ぶ習慣があり、件の長征三号乙墜落爆発事故も「2.15」と呼称しているらしい) あくまでも当時の航天機関内部の状況を記述する内容なので、大参事における墜落地点の惨状や周囲の被害者の情況についての描写はあまりないな。

2015-12-31 13:58:24
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「2.15発生後、上層部は発射場の情報をシャットダウンするよう指示、国内メディアが爆発事故について報道することはなく、詳報を国民が知ることもなかった。しかし事故発生の情報は発生当夜に西昌市から北京へ、北京から全国へ広がり、少なくとも2日後には業界内で誰もが知るところとなっていた」

2015-12-31 14:31:43
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「当時、発射場周囲の山麓には見物客らが数千人近くいた」「射点から1850m付近でロケットが墜落爆発した時、誰もが自分は助からないと思った」「目の前には立ち込める煙、広がる炎の海…」「衝撃波が発射場近くの招待所をなぎ倒し、村落を一つ押しつぶした」「山の一つが山頂を半分削り取られた」

2015-12-31 14:54:40
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「見物客らは極度のパニックに陥り逃げ惑った。誰もどうすればいいのか分からなかった。薄暗い山中をあてもなく走ることしか出来なかった」「不幸中の幸いにもロケットは見物客らの上に落ちることはなく、その傍に落ちた」「周囲の住民らは打上げ前の避難勧告に従って村落を離れていた」

2015-12-31 15:05:23
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。oO(世の中の人が興味ありそうなところを拾い訳してみてますよっと…)

2015-12-31 15:12:42
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「西昌発射場に配属されていた兵士の一人は、当時の重要な目撃者だろう。打上げ時、彼は発射場から数百メートルほど離れた路上にいた。敷地内に「点火!」の号令が鳴り響き、ロケットがリフトオフし、姿勢を崩し、彼の頭上にすっ飛んできたのを呆然と眺めていた」

2015-12-31 19:46:54
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「彼はこれまでにも何度もロケットが飛び立つのを見てきたが、ロケットが空中で姿勢を崩すさまを見るのは流石に初めてだった。ショックで頭の中が真っ白になったが、それでも側溝に身を投げ出して逃れた。巨大な爆発音が響いた。顔は血まみれになっていた」

2015-12-31 19:48:27
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「射点から2~3㎞離れた管制室にいた上官らは爆発後、発射場に向かった。状況が全くつかめなかった。一体何人が死傷したのかも。現場に到着し、部隊に点呼を取らせたところ、二人いなくなっていることが判明した。総経理はすぐに探すよう指示した。二人は遺体で見つかった」

2015-12-31 19:56:49
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「翌日、航天部試験隊の専門家、技術幹部、作業人員らは皆招待所の外にある草むらに座っていた。招待所が吹っ飛んでしまい、腰を落ち着ける場所がほかになかった。食堂もなくなってしまったが、どうせ食欲もなかった。これから何をすればいいのか考える余裕もなかった」

2015-12-31 20:18:17
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「冬でありながら、南方に位置する西昌は日差しが強い。惨劇の翌日はいつにも増して照りつけるようだった。打ちひしがれた者達をさらにいたぶるようだった。そしてどん底の中で春節を迎えた」

2015-12-31 20:18:42
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@sasamotoU1 いえいえ、日本でいまだにネタにされている大爆発事故の部分を適当に拾い読みしてるだけなんで(^^; 「この大事故は航天総公司総経理に文化大革命以来の大打撃を与えた」とかそいういう部分ばかりに目が行ってしまいます(^^;

2015-12-31 21:12:17
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『航天七部曲』著者の李鳴生氏を招いて読書に関する講演会を開催と。 “书香进机关”第一站走进省科技厅 李鸣生讲述中国航天60年 mp.weixin.qq.com/s?__biz=MjM5ND… pic.twitter.com/QFEkHNxI2i

2015-12-31 22:03:22
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連続失敗時期の「歴史の証人」として当時を振り返り、当時を思い出して涙ぐむ一幕も。「宇宙事業にかかわる者は60年代は飢えながら、70年代は『毛語録』を掲げながら、80年代はローンを抱えながら働いた」とか。90年代はさしづめ連続する失敗に足掻きながら、てところか。

2015-12-31 22:09:34
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やっと読み始める。なんか中国の四大発明から話が始まるなこの本。 「12世紀の中国南宋期に生まれた火箭はその後西欧に伝わった。しかし中国は徐々に対外交流を閉じていき、その間に海外でのロケットや大砲の技術は進歩した」「一度閉じた中国の門戸を大砲やコングレーヴ・ロケットが開く皮肉」

2016-01-03 14:48:55
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「200年前、康熙帝はロシア皇帝に2箱の信号弾を贈った。200年後、毛沢東はフルシチョフから2基のR-2を贈られた」とかレトリック楽しいけど(^^; ちなみに当時、ロシア語のракетаをどう訳せばいいか分からず、最終的には銭学森の「導弾」でいいじゃんの一言で決まったとかなんとか

2016-01-03 15:16:46
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長征一号の開発計画当初、ロケットの名称は「衛運一号」だったのか。本には書いてないけど、こちらの記事には「長征」命名の由来が。まぁ紅軍長征になぞらえて宇宙の新長征を進むっていうね。 【你知道吗】“长征”火箭名字的由来 mp.weixin.qq.com/s?__biz=MjM5NT…

2016-01-03 15:35:25
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現在の軍民両用路線のきっかけについても触れてるな。1984年の北戴河会議で鄧小平がこれまでの「臨戦」戦略方針の調整を提案したと。国防部および当時の航天部に、軍・官製品のみでなく民生品への拡大を図る様にと。しかし急に言われてすぐに転換できるわけもなく、宇宙開発関係者は混乱の極みに

2016-01-03 15:56:18
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当時採りえた選択肢は三つ、一つは大リストラでスリム化を図る、一つは宇宙産業構造の大改革、一つは「両玉一星」のお題目に縋って予算をこれまで通りむしりとる。折しも同年は長征三号がデビューしたばかり。航天部副部長の劉紀源は国際市場開拓班を組織し、海外向け衛星打上げサービスを宣言した

2016-01-03 16:05:39
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なんか航天部副部長劉紀原の来歴が、父母の五四運動の辺りから始まって6ページ近く語られておる…。それからやっと、中国ロケットの国際市場参入を視野に入れていた他の技術者との意見交換やら部長の説得やらあり、国際市場参入計画を本格始動。

2016-01-03 16:58:42
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衛星打上げ国際市場開拓班は同年秋から国際市場参入のための調査を開始、85年には計画書をまとめた。85年はつくば万博開催年でもあり、中国館で東方紅一号模型、試験通信衛星模型、長征三号ロケット模型や宇宙開発関連のパネルなど展示。これは世界に向けて長征三号情報を初公開することにもなった

2016-01-03 18:24:55
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1985年は積極的に海外の展示会や国際会議に出席し、海外の宇宙産業動向の把握と長征ロケットのアピールに努めたらしい。同年10月には航天部部長が中国政府を代表して新華社のインタビューに答える形で、長征三号、二号の国際市場参入を表明したと。

2016-01-03 18:29:44
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ちなみに、中国の宇宙機関が最初にコンタクトを取ったのは1977年のフランスだが、自国の宇宙開発技術を対外的に紹介するきっかけは78年の日本訪問時だとか。日中間の交流は比較的活発だったそうで、米国宇宙産業に接触したのは3番目だったらしい。

2016-01-03 20:28:38
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国際市場開拓班と言っても、誰も入札やら契約の交わし方すらわからない門外漢。航天部には外事局があったが政府部門であり商務は分からない。ので商務部門を立て、市場開発部を設立し、米国に代表事務所を開設しと体制作りから進めた。

2016-01-03 20:47:33
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