「中国の人たち(北京の文化関係者)はこれを諒とされたのであろう、大きな拍手を何度も重ねて答えてくれた。通訳の中国人が私に耳うちした。 『先生の挨拶、中国人はみんな感動していました』。 私は心を軽くして、翌日北京を離れた」
2016-01-08 03:20:21専ら日本の民間伝承を題材とする絵本を残した赤羽末吉には、数は少ないが自作の絵本もいくつかある。『おおきな おおきな おいも』も含めてその制作秘話が態変興味深い⇒絵本研究会へ…赤羽末吉の人生と『おへそがえるごん』 - みどりの緑陰日記 blog.livedoor.jp/poplar_green/a…
2016-01-08 03:53:10「*おにぎりを分け合う場面(なかよしはんぶんこ) 貧しかった少年期、また戦後の旧満州からの引き上げの体験で、わずかな食料を分け合うということが、どれほど人々の心を強く結びつけるかということを表している」dessinweb.jp/pic-labo/oheso…
2016-01-08 03:56:12「*ごんとけんが友達になる場面(ともだちになろう) 赤羽さんは、旧満州での生活の中で地元の中国の人々とも交流を深めていらした。また戦後はアメリカ大使館に勤務なさっていた。そういう経験から、人種を越えて人々は理解し合えると考えていらした。」
2016-01-08 03:56:57「庶民は互いに助け合い交流をしていたが、軍隊をはじめ権力者は地元の人を見下していたとのこと。 ラフスケッチの中に「平等観」という言葉が書いてあった。これは、主従関係のない仲間として助け合う関係を大事にし、庶民から搾取する山賊や権力者とは戦うという姿勢が貫かれている。」
2016-01-08 03:57:29「*旅の目的 この作品の覚書に「けんのお父さんは徴用に取られ、戦場で荷物運び。そのお父さんをさがしにゆくのが旅の目的・・・」とあったとのこと。」
2016-01-08 03:59:08「あの時代、多くの若者や一家を支える父親らが徴兵され、劣悪な環境下で亡くなっていった。満州で親しかった画家仲間の一人は終戦後 、ソ連の侵攻で捕虜となり、そのまま帰らぬ人となったとのこと。」
2016-01-08 03:59:39「赤羽さんの創作の覚書(メモ)には、「飛躍、意外性、おいもの持つ意外性」とか、「バケモノの形に古郷土玩具の形と単純さ参照」などと書かれているそうです。」「この絵本(『おおきな おおきな おいも』)に出てくるバケモノは、どんなふうに思いついたのだろうと思っていましたが、」
2016-01-08 04:02:35「赤羽さんは日本国内は元より旧満州でも庶民の生活から生まれた郷土玩具をたくさん収集していたとのことで、それらの玩具から想を得て描いているとのこと。力強くも心惹かれるのは、そういうところに要因があったのです。」
2016-01-08 04:03:03「旧満州からの引き揚げの際にも、そうした貴重な資料は密かに持ち帰っていたとのこと。普通なら食料を優先するところなのですが・・・それだけ、そうした庶民の暮らしというものに強い関心を持っていらしたのですね。」
2016-01-08 04:03:36