「I」と「YOU」の主人公。ワートリとヒロアカが描き出す主人公像の違い

ワートリ考察クラスタの日向 夏さんが、語っていたワートリとヒロアカが描く主人公像の違いがすごくわかりやすかったので。 奇しくもワートリ、ヒロアカ共に第一話で 「力が及ばない主人公が自分を害する何かを助けるため命をかける姿」を描いているわけですが……?
84

ワートリ考察クラスタの日向 夏さんが、語っていたワートリとヒロアカが描く主人公像の違いが
すごくわかりやすかったので。
奇しくもワートリ、ヒロアカ共に第一話で
「力が及ばない主人公が自分を害する何かを助けるため命をかける姿」を描いているわけですが……?

日向 夏 @natyupo

私のフォロワさんにヒロアカとワートリどっちも好きな人がいて、ヒロアカのデク君とワートリの修を比較検証(どっちがより良いとか悪いとかじゃなくて、その違いから両者を探るみたいな感じ)してるツイがけっこう興味深い。

2014-12-31 01:53:27

おそらくこれのことと思われる

Coda @coda1113

ワートリの修君とヒロアカの出久君の比較は楽しいな。遠くて近い近いけど遠い。似てるようで全く似てない。二人とも賢いし誰かの為に身を投げ出さずに居られない性格だし、二人ともその英雄的な行動の裏にはエゴが感じられる描写の仕方がされてるけど、やっぱり二人は違う。

2014-12-04 00:04:54
Coda @coda1113

@coda1225 出久君が飛び出す時、そこには共感や同情がある。誰かが傷つく時、自分自身の様に出久君は感じずには居られない。その共感性が一見助けが必要に見えない人にも注がれる出久君の深い愛情を産んでる。でも修君は被害者への共感、では無いのよね。

2014-12-04 00:09:15
Coda @coda1113

@coda1225 するべきこと、をしない自分への苛立ち、できなかった過去の自分自身の後悔。高潔であろうとする意思。良くも悪くも修君って酷く独立した存在なんだよなーって。

2014-12-04 00:14:09

 

日向 夏 @natyupo

ヒロアカのデク君はその行動の動機に「共感性」があるとその中では述べられている。なるほどそう思うと、ヒロアカのデク君とワートリの修はどちらも「他者の為に走り出す」行動をとっているがその動機が「明確に違う」事がわかり面白い。そしてこの両者の違いは確かに台詞に現れてる #ワートリ

2014-12-31 01:55:47
日向 夏 @natyupo

ヒロアカのデク君は敵に襲われた幼馴染を助けた時「なんでお前がおれを助けた」と問われ「君が助けを求めている気がしたからだ」と言った。対してワートリでは修が3バカの為に走り出した時遊真が「お雨が何で助けに行くんだ」と問うと修は「ぼくがそうすべきだと思ってるからだ」と答えた #ワートリ

2014-12-31 01:58:51
日向 夏 @natyupo

デク君の視点は「君=他者」であり、修の視点は「ぼく=自己の中の義」であった。この事実は興味深い。これはどちらの動機が「正解」ということではなく、ヒーロー像にはいろいろな形があるという事を示すのだろう。動機が違えばもちろん為していく「ヒーロー像」も変わってくる #ワートリ

2014-12-31 02:05:37
日向 夏 @natyupo

この「物語の描き方」の違いがデク君と修、二人の「ヒーロー」の違いに現れてるのではないかな。まだ私の中でもぼんやりとしていて明確にその違いが「何を描き出すか」はわからないのだけど、どちらの作品も「ヒーローを描き出す」事がテーマの一つとしてあると思うので比較が興味深い #ワートリ

2014-12-31 02:19:58
日向 夏 @natyupo

「人は何のために生きるか、そして何のために戦うか、自分の人生の”意味”を決めるものは何か」を遊真は選んだ。その選択によって遊真は「再生」した。命のタイムリミットという厳然とした問題がでん、と横たわっているにせよ、遊真は「生きていく動機」を得た #ワートリ

2014-12-31 02:38:27
日向 夏 @natyupo

遊真の再生を通して「生きていく力を得るにはどうするか」を描く。それもワートリの重要なテーマの一つなのではないだろうか。そうやって見るとワートリにおいては修と遊真がそれぞれ体現するテーマを描き出す為のキャラとなっている。 #ワートリ

2014-12-31 02:43:40
日向 夏 @natyupo

んで最初の話に戻るけど、ヒロアカのデク君が「共感性」を核にしたキャラクターとなっているのなら、それが修や遊真とは違った「ヒーロー像」を描きだし、彼が体現するテーマを見ていくのは、ワートリを考える視点としても興味深い事ではないだろうかと思う #ワートリ

2014-12-31 02:48:32

一年後

日向 夏 @natyupo

ツイ主のコウさんはスクライドを想起していたのかなって思うけど私はこのツイでなんとなくヒロアカを思い出してた。ワートリが「自分で選ぶ」事を重要視しているのなら、ヒロアカは「ヒーローとして選ばれる条件」を主眼に描こうとしてるのではと思う twitter.com/s_g_hrak/statu…

2016-01-07 16:15:53
コウ @s_g_hrak

@s_g_hrak 修は何か具体的で分かりやすい1つのものに反逆しているのではなく、 自分を特別な存在に選ばなかった、抽象的な「世界」という存在そのものに、 自分自身で「自分」を選ぶことで反逆しているのだと思います #WT考察

2016-01-03 03:55:25
日向 夏 @natyupo

最初に言っておくけどワートリのが、あるいはヒロアカのが優れてるとかそういう話ではないです。ぼんやりとしててツイりながら形にしていきたいのだけど、同じ「持たざる者」としてスタートしたワートリの修とヒロアカのデク君の描き方の違いから見えてくるものみたいな感じの事を呟きたいなーと

2016-01-07 16:19:12
日向 夏 @natyupo

前にツイッタことがあるかもしてないけど、修の動機は「ぼくがそうすべきだと思っているからだ」で「I」なの。んでデク君の動機は「君が助けを求めてる気がした」で「YOU」なんだよ。だから修は「誰に選ばれる事がなくても、天からすら認められなくても」「I」だけでそのヒロイズムが完成してる

2016-01-07 16:25:11
日向 夏 @natyupo

比してデク君は「YOU」が動機であるから「誰かに選ばれる」までは「ヒーローではなかった」んじゃないかなと思う。というかヒーローの種が「お前だけはヒーローになれない」という絶対条件=無個性であることという「挫折」に埋め尽くされて彼の中で息絶えようとしていた。

2016-01-07 16:28:34
日向 夏 @natyupo

小さい頃のデク君は無個性ながらも派手で力のある”個性”の持ち主にその身ひとつで立ち向かっていた。この小さく大きな勇気の種は本当なら育てばヒーローの種となりうるはずだった。でもそれは「個性がない」という事象の重みに窒息し、その芽吹きは阻害されていた。

2016-01-07 16:31:48
日向 夏 @natyupo

この事がけっこう繰り返し取りざたされる「なぜデク君はオールマイトに力をもらうまでは体を鍛えなかったのか」と関係してるんじゃないかなと思う。修のキャッチコピー風に言うならデク君は「己がヒーローである事を忘れている」子だったのではないかと思うのです

2016-01-07 16:35:16
日向 夏 @natyupo

しかしその種が息を吹き返したのは「他者の助けを求める声」を聞いたから。デク君の中で窒息しかけていたヒーローの種が甦ったのは「オールマイトに選ばれたから」ではなく勝っちゃんの「助けを求める声に呼応したから」だと考えます。そしてそれがヒロアカにおける「ヒーローの条件」なんじゃないかな

2016-01-07 16:40:25
日向 夏 @natyupo

「他者の助けを求める声に呼応して」ヒーローになれる者がヒロアカにおけるヒーローだと考えたら、「誰かの助けを求める声」が向けられなかった間はデク君はヒーローではなく、だから本気でヒーローになれるなんて心は感じず、だから「肉体を鍛える」なんて発想が出てこなかった

2016-01-07 16:45:00
日向 夏 @natyupo

そう考えると皮肉にもデク君の「ヒーロー性を再生させた」のは彼を見下し、しかし内心では(そのヒーロー性を)恐れていたがために苛めていた勝っちゃんだったわけです。んでそう考えていくと「他者の助けを求める声」が強ければ強いほどデク君はヒーロー性を増す。

2016-01-07 16:49:06
日向 夏 @natyupo

その「ヒーロー性を育てる」ためにオールマイトはデク君に自分の力を継がせる事を決めた。つまりヒロアカでは「利他」を礎として、それに突き動かされる者に「真のヒーローたる資格」があると描かれているのではないかと感じるのです。

2016-01-07 16:52:35