黒猫亭氏と見る「昭和元禄落語心中」第四話
@chronekotei ねえ、改めて、一話目の与太郎の噺はすごかったよね。
2016-01-30 08:10:24@Butayama3 あれは凄いよ。ちゃんと落語になっている上に芝居にもなっていて、あれがこの作品の芝居の方向性を決定附けたところがある。
2016-01-30 08:13:00@chronekotei それがわかったわ。山ちゃんの初太郎も良いんだけど、なにが違うの、ちょっと違う。
2016-01-30 08:15:50@chronekotei 宇治十帖は光源氏因果応報としか知らなかったので(爆)、ググったら面白くて思わず読んでしまいました。・体が香る人 源氏物語 薫の君のような人は実在した? 時空を超えて 59155480.at.webry.info/200901/article…
2016-01-30 08:22:51@usg_ringo 山田風太郎の「妖異金瓶梅」にも独特の芳香を放つ第何夫人だかが出てくるんですが、潘金蓮がそれを追い落とす手段がえげつなくてですねぇ(爆)。
2016-01-30 08:27:16@chronekotei おはです。菊さん、線の細いいい男になって✨菊さんならいい確かにいいにおいがしそう。同じにおいに反応するって、フラグですよねぇ(*´ω`)
2016-01-30 08:22:00@tamatakemoto 何かねぇ、野郎のくせに変にいい匂いがする奴ってたしかに実在するから困るんですよ(爆)。
2016-01-30 08:23:31@chronekotei そして、自分ではあんめりのめり込んでない所がなんともいいですなぁ。心の芯の所は信さんがいるのか。それが菊さん自分では気がついてないのか。勝手にこちらは妄想しちゃうです~(・∀・)
2016-01-30 08:25:11@tamatakemoto 若い女にキャーキャー言われてるのに、何を「これも修業」とかため息ついてやがるのかと(爆)。
2016-01-30 08:27:53@chronekotei その小憎らし所が、また異性を惹きつけちゃう💦から困ったもんで。あと、みよ吉さんは信さんとも満州で何かあったな?と私おもったんですが、また、複雑に三人は絡んで行くんですなぁ。
2016-01-30 08:32:26@Butayama3 与太郎と初太郎の落語がどう違うか、それは初太郎と助六の落語がどう違うか比べてみればわかるよ。大雑把に言うと、初太郎のは「大袈裟」「江戸弁が粘っこい」「演じ分けがない」「地の語りが多い」煎じ詰めれば「声優っぽい」。
2016-01-30 08:35:45@chronekotei 菊さんは甘い、いいにおいがしそうな所で、もう、菊さんのキャラに取り込まれている→自分。あ!黒猫亭さん、これから、受信ですな。寒いですから、お気をつけて~m(__)m
2016-01-30 08:36:44とくにやっぱり江戸弁が粘っこいのが致命的なんだよな。今週の口演と比べると、あれはやっぱりわざとやってたんだろう。
2016-01-30 08:46:33少なくとも関東の古典落語の江戸弁は粘っちゃ台無しなんだよな。とくに語尾。声優の芝居みたいに張ったり呑み込んだり鼻に掛けたり伸ばしたりしちゃいけない。スパッと切るかスッと抜くか。その切っ離れで江戸弁らしさがグンと違う。
2016-01-30 08:47:55早口の語りでも一つひとつのセンテンスはスッスッと切れてなきゃいけない。初太郎の時そばは前のセンテンスの語尾が次のセンテンスと切れ目なく続いていてもっちゃりしてるんだよな。これは江戸弁とはリズムの違う上方落語ならアリでも江戸弁にはならないんだよな。
2016-01-30 08:49:55与太のはもうそれが出来てて、与太郎本人の芝居のセリフでも落語の語りになっている、それが凄いってのは前にも言った。
2016-01-30 08:51:34関智一の声質がそもそもザラついててあんまり粘らないから、資質的に関東落語に向いてるってのもあるんだな。山ちゃんのは普段の芝居はやっぱり鼻に掛かってて粘っこいから、そっち方向で探ると志ん朝なんかが手本になるだろうし、今週の夢金は志ん朝の持ちネタでもある。
2016-01-30 08:54:25@Butayama3 声優はセリフの語り以外に「息で芝居する」ってのがある。息遣いの音で芝居をするんだね。でも落語ではそう謂う芝居はしないんだ。声優の芝居と落語の芝居は違うと謂うのはそこなんだね。
2016-01-30 08:56:31時にひえたろうの言ってるこれだけど、それを言うなら第二話からそうだぞってのはさておき(笑)。 twitter.com/hietaro/status…
2016-01-30 09:23:15要は第二話以降、つまりTVシリーズとして新たに制作された「八雲と助六編」は一時間SPのラストシーンで当代八雲師匠が与太郎と小夏に語った昔話そのものでは「ない」と見るのが妥当だな。それを題材とした一つの語り物、圓朝の連日口演の長編落語みたいなメタ的な仕掛けだと見るべきだろう。
2016-01-30 09:24:00圓朝の怪談噺なんてのは、あんな大長編を一回で語りきっているわけではなくて、連日の続き物として語っているわけだよな、たしか。まあ、テレビやラジオがなかった時代のシリアルドラマみたいな感じで、それで毎日客を寄席に呼べるみたいなところもあったんだろう。
2016-01-30 09:27:20