黒猫亭氏と見る「昭和元禄落語心中」第七話
とはいえ、この辺のエピソードから、もう高座が中心と謂うより人物同士のドラマが中心になってきて、どんどん辛い話になってくるんだよな。
2016-02-20 20:25:30なんやかんや、あれって全部みよ吉が恋愛依存体質の女だったのがすべての元凶みたいに見えちゃうのが辛いんだよなぁ。
2016-02-20 21:04:57恋愛にしかセンセーションを感じることがなくて、それで相手を道連れにして悲劇的な末路を辿ってしまうタイプの女性を現代の感覚で魅力的に描くのって凄く難しいんだよなぁ。
2016-02-20 21:06:21しかも、菊比古にとって落語って「自分の居場所を作る為」って意味なわけだから、煎じ詰めると菊比古だって自分にしか関心のない人間なんだよね。
2016-02-20 21:36:42みよ吉みたいな恋愛依存体質の女性だって、煎じ詰めれば自分の存在を肯定し幸福を感じる為には恋愛対象である他者の存在が必要だと謂うだけの話で、菊比古もみよ吉も自分にしか関心がないと謂う意味で同類なんだよね。
2016-02-20 21:38:32その間にいるのが、結局先代助六の怨念を引き受けて先代八雲に弟子入りしたけど、その因縁が潰えたときにみよ吉と小夏の為に生きようって思い直して、でもダメな自分を変えられなくて、凄くダメな感じで死んじゃう先代助六こと信さんなんだよな。
2016-02-20 21:41:12「助六再び編」って、作者が既に一度語り終えた「八雲と助六編」をさらにセルフリファレンス的に語り直した二次創作的な性格があるけど、そこで当代八雲は先代助六の「芝浜」の口演を「自分の落語に満足しちまうこと」って意味附けている。
2016-02-20 21:44:15一筋に落語に打ち込んできた生涯だけど、じゃあ自分が打ち込んできた落語に自分が満足しちゃったら、そこで自分には何が残るのか、それが怖いって話なんだね。先代助六にはみよ吉と小夏との生活があったけど、自分には何が残るんだ、と。
2016-02-20 21:45:43あれだけ周囲に自分に惚れ込んで関わってくれている人がいるのに、当代八雲ってそう謂う孤独を抱えているんだよな。それって救いようがないくらい莫迦だよな。
2016-02-20 21:46:33その孤独って、結局は芸者と謂う女の世界で男に生まれただけで何の価値も認めてもらえなくて、剰え脚の故障で芸の道でも可能性を絶たれて一切無価値な子供として棄てられたと謂う過去に根差しているんだから救いようがない。八〇過ぎてもう死ぬって刹那までその過去に囚われているんだから。
2016-02-20 21:51:28ラストのみよ吉の化粧が涙で流れているカットは、原作だとよくわかんないみよ吉のキャラをわかりやすく表現しているとは思うな。
2016-02-20 22:00:43「助六再び編」は、与太郎の助六の口演でエピソードを引っ張る構成が確立されているところもあるから、その意味でも楽しみなんだよな。
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