遠い遠い未来。けれど浄土は更に遠く、滅びは遥かに近い黄昏の時代。 楽園は潰え、地には無人機械が蠢く末法の世。 それでも、人は生き続ける。 オリジナル徳パンク小説『黄昏のブッシャリオン』
2016-01-05 22:00:31窓のない部屋の中心で、メトロノームが揺れている。椅子に腰掛けた青年は、それを見つめている。文字盤には『般若心経』『法華経』等の経典名が刻まれ、読経リズムに最適化されていることがわかる。 振り子は揺れる。同じ場所を行き来する。だが、決して不変を意味しない。諸行は無常。例外は無い。
2016-01-06 21:05:05「これは、彼らの物語だ」 青年は語る。 「歴史を見ればわかる通り、神仏はいつも人の心に寄り添ってきた」 誰に語るともなく語る。 「そして『今』から二百年前。人類は遂に、その眼差しに気付いた」
2016-01-06 21:09:16神仏の眼差し。それを人は、『徳エネルギー』と名付けた。人の功徳を源とする無限のパワーソース。擬似的な第二種永久機関。エネルギーの革命は、社会の革命でもある。徳という価値観の下に統一された社会は、やがて万人か徳の高い生活を送る理想郷へと至る。
2016-01-06 21:13:15「そして……物質の枷から遂に解き放たれた文明は」 誰もが想像した筈だ。物質的充足を得た文明は、精神的な豊かさを追求する段階へと移行するだろう。誰もがより良く徳を積まんと欲すれば、それは自ずと起こる筈だった。だが、人類は次の段階へと『進まなかった』。 待っていたのは、滅亡だった。
2016-01-06 21:17:03『徳カリプス』。 後にそう呼ばれることとなる大災禍によって、徳エネルギー文明は脆くも崩れ去った。 「……文明は失われ、神仏の眼差しは地から去った」 青年は目を伏せる。徳カリプスの結果として社会は大打撃を受け、地上の大半の徳エネルギーと、そして多くの人命が失われたのだ。
2016-01-06 21:21:08……しかしそれでも、人類は徳エネルギーを使い続けた。人は徳を積み続けて尚、文明という名の果実を忘れることができなかった。徳バランスが崩れた世界。そこで人々は二つに別れた。片や狭い世界の中で、今までと同じく、いやそれ以上に徳を積みながら生きる者達。そして……
2016-01-06 21:25:09片や、自ら徳を生み出すことを諦めた者達。彼らは過去の徳の残滓を漁り、命を繋ぐ。 「それでも、人は生き続けている」 青年は立ち上がる。メトロノームの音が部屋に響き続ける。 「だからこれは、彼らの物語だ。徳に背を向け、救いを擲ち、それでもみっともなく足掻き続ける彼らの物語だ」
2016-01-06 21:29:03「何度でも繰り返そう。これは『僕』の物語じゃない。『彼ら』の物語だ」 メトロノームは止まる。そのリズムを定めるべき重りは、文字盤の空白の上にある。部屋は闇に溶けていく。時間はまだ沢山ある。最後の審判の日までか。或いは、5億7600万年ほど先か。それは分からないが、違いはあるまい。
2016-01-06 21:33:07「大当たりだぞ、ガンジー!」 「やったな、クーカイ!」 荒れ寺の庭で、ハイタッチを交わす男が二人。彼等が廃寺を掘り返して見つけたもの……それは
2016-01-07 21:01:53「……本物のソクシンブツだ」 「これで街のエネルギーも三ヶ月は安泰だ」 ソクシンブツ。即身仏。僧侶が土中に埋まり、読経状態のままミイラ化したものだ。僧侶の功徳を肉体に留めており、一体のソクシンブツからも膨大な徳エネルギーを得ることができる。
2016-01-07 21:04:38「……だけど、本当にいいのか」 しかし、比較的小柄な方の男……ガンジーは、ふと不安を口にする。何故、彼等がこのような罰当たり行為を行っているか。徳エネルギーが必要だからだ。徳を生み出せなければ、掘るしか無い。彼等はこうした徳遺物を漁る、徳エネルギー採掘屋なのだ。
2016-01-07 21:08:06「大丈夫。大勢の命が生きていくためだ、この住職も、きっと喜んでくれる」 大男、クーカイが応える。現に、このソクシンブツで彼らの街はエネルギー危機から救われる。徳インフラが失われ荒廃した世界で、徳エネルギーの加護を失うことは死を意味する。
2016-01-07 21:12:11多くの人が救われれば、ソクシンブツとなった住職の徳も高まる。そう二人は己に言い聞かせ、慎重にミイラを運び出す。 ……荒廃したこの世界で、徳を積み続けるには資質が必要だ。この住職のように、才ある者達は今日も何処かで徳を積み続けているのだろう。いつか、解脱に至るその日まで。
2016-01-07 21:14:00だが、そうでない者達は? 「……まぁ慣れるもんじゃねぇがな。俺達は、こうして徳を奪うしか無い」クーカイは続ける。彼等は、自ら徳を生み出すことを諦めた者達だ。荒廃した世界で尚、宛てなく砂絵を描き続けるかの如き苦行を続けられる者は、決して多くはない。
2016-01-07 21:17:23「……罰、当たらねぇかな」 「俺もお前も、こんな徳の高そうな名前もらっといて、こんな生き方してるんだ。罰なら、とっくに当たる筈さ」 「まぁ……そうかもな」 嘗ての徳エネルギー社会で少しでも子弟の徳を高めようと、高僧や偉人の名前を付けることが流行った。ガンジーという名はその産物だ。
2016-01-07 21:20:39「行くぞ」 「……うん」 クーカイとガンジーはソクシンブツを車へ積み込み、廃寺を後にする。寺を漁れば、他にも仏像や金品があるだろう。だが、彼等は盗賊ではない。そんなことをしても効率が悪いし、『徳が失われる』。彼等もまた、心のなかのブッダを完全に沈黙せしめた訳では無いのだ。
2016-01-07 21:23:09立ち去り際に、ガンジーはふと廃寺の庭を見た。そこには、恐らく見事な枯山水だったであろう雑草だらけの岩と砂の山だけがあった。 「……諸行無常、か」 侘び寂びは解せずとも、それが嘗てのこの寺の住職の徳を偲ばせる。 尤も、二人は偵察ドローンでこの枯山水の痕跡を発見し、やって来たのだが。
2016-01-07 21:24:41「……残る寺の数も、そろそろ少なくなってきたか」 「……なぁ」 車中、ハンドルを握るクーカイにガンジーは尋ねる。 「徳ってなんだろうな」 「そんなもん、俺達にわかるわけねぇだろ」
2016-01-07 21:28:37