文化審議会、「手書き文字の字形」に関する指導案を発表

漢字の「とめ」「はね」とか、「どちらの線が長い」とか、それほど厳密ではなくてもいいらしい。
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飯間浩明 @IIMA_Hiroaki

文化審議会が「手書き文字の字形」に関する指針案を発表。やっとこの問題に手をつけてくださった。指針を全面的に支持します。漢字字形を過度に厳密に指導する弊害は、漢字教育に携わる多くの人が指摘していた。今回、指針を主導したと目される某氏も、大学院の頃から強い問題意識をお持ちでした。

2016-02-12 20:52:18
飯間浩明 @IIMA_Hiroaki

漢字指導を過度に厳密にすることは戦前にもあったようです。小学校の先生・皆川長男は『漢字指導とその体系』(1939)の中で、ある学校で「賣」の四の部分と「讀」の四の部分をそれぞれ区別して書かせているが、「そんな余裕があつたら外の大事な仕事をした方が遙かによい」と述べています。

2016-02-12 20:52:25
飯間浩明 @IIMA_Hiroaki

漢字の字形指導が厳しくなったのは戦後のことです。しょかきさんのまとめ bit.ly/1QbD2D4 に教えられ、読売新聞社会部編『日本語の現場1』を見ると〈うるさくなったのは、三十四、五年〔=1959~60年〕からですよ〉とあります。戦前はまだましだったわけだ。

2016-02-12 20:52:31
飯間浩明 @IIMA_Hiroaki

書道に関する本を少しでも見たことがあれば、昔の漢字には一定のバリエーションがあり、どれも使われていたと容易に分かります。戦後、筆文字を書くことが減り、多様な字形に触れる機会が激減した。加えて、受験勉強の過熱で「正解」を求める風潮が強まり、字形の過度の指導につながったのでしょう。

2016-02-12 20:52:38
飯間浩明 @IIMA_Hiroaki

今、街を歩くと、店の看板などはみなコンピューターのフォントになっていて、「手書き看板」を見かけることがなくなりました。昔は、看板から学校の印刷物に至るまで、みんな手書きだった。誰もが自然に多様な字形に触れることになり、これが漢字字形に対する寛容さにつながっていたと思います。

2016-02-12 20:52:46
飯間浩明 @IIMA_Hiroaki

私自身は、「感」「絵」「彙」など、活字体とは違う字形を使っている文字があります。人前で使うのは気が引けたけれど、胸を張って使っていこう。ちなみに、画像で触れた『五體字類』はこちらです。amazon.co.jp/dp/4880985007/ pic.twitter.com/iGY2aliL5M

2016-02-12 20:53:02
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