中ザワヒデキ文献研究 「メ芸受賞作品集」 2015年度第16回 2016年2月24日[実況] #文献研究
- misonikomioden
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シュトックハウゼンはインタビューを受けた時に和気あいあいと話す中、神の大きな力を受けて、とか話す最中、つい最近天使の音を聞いたと911に言及してしまい、インタビュアーは悪意を持ち書き立て、911も芸術だとそうされてしまった。
2016-02-24 20:26:05普通の芸術は芸術として良く善であるというのがよく言われるものだ。 しかし赤瀬川の千円札事件は芸術として良く倫理的に悪いというもの。 ポリティカル・コレクトネスは倫理がそのまま芸術として良いものになってしまっている。
2016-02-24 20:29:08佐村河内守、倫理的に悪い、しかし芸術として良い、といえる。 ではゴーストライター騒動の前に佐村河内守の曲で感動して泣いたとするならその涙は嘘であるといえるのか?
2016-02-24 20:30:35また角川春樹がいたが、彼は歌人(だったか?)で優れていた。しかし麻薬問題が起きるが、それにより歌人の評価は劣ってるといえるのか?
2016-02-24 20:31:16佐村河内守には彼に苦しめられた人がおり(バイオリニストか?)、その存在が佐村河内を評価をするうえで問題となる。 それはそうだろう。家族ぐるみで佐村河内に脅されていたのだから。
2016-02-24 20:32:58NADiffのトークイベントでは松井茂や山本一彰から同語反復、つまりループの話がでてきて、松井曰く同語反復はきっとループに行き着くんでしょう、と。 ツイートで読み取るのが難しいとのことだがyoutubeでも同様ではっきりした結論はないのではないか?
2016-02-24 20:52:38山本一彰とはトークの翌日、彼の算道、というソースと実行でいえば実行?実演?を見たのだが、彼の言葉の通り身体性=物体が演算の置き換え可能でそれを追求してるのがよく分かった。
2016-02-24 20:53:40また山本一彰の算道は人気があって、大賞もちゃんと人気あって人だかりあった。メディア芸術祭が人出が多かったのもあるけど、優秀賞の長谷川愛作品もちゃんと人だかりあった、と
2016-02-24 20:54:24さて、「審査を通じたメディア芸術批判と文化行政への提言/中ザワヒデキ pp.243-244」について、まさにこれをちゃんとやるために審査委員を受けたのでありそれがちゃんとでき文章がかけたのがよかった。
2016-02-24 20:55:43長谷川愛さんはあきらかに大賞狙いだろうけど、やはり落選している人もいる。過去を見れば萬鉄五郎。審査で賞を取り次の年も出したりしても良い結果無くその作品に絵を上書きしたりしたりした。あの萬鉄五郎でさえも。それに中ザワも同様のこともある。だから気にすることでない、と
2016-02-24 20:57:06筆者)中ザワヒデキ「審査を通じたメディア芸術批判と文化行政への提言」を読んでいます。メディア芸術祭の図録を用意してください
2016-02-24 20:57:50スペクタクル性なく大衆の支持も得にくい、という記述はつまりメディア芸術祭にエンターテイメント部門があることを意識したものだ。 また今の芸術はスペクタクル性ばかり追求されるものが多いという批判でもある
2016-02-24 20:59:31「デジタルがここまで浸透した今日、実質的な意味を持たないばかりか、デジタルを使わない美術一般を結果的に排除しており」、ここは文化庁側は様々なものを入れているという主張から「結果的に」を入れることで挿入できた文章で「排除」を文中に残すことができた
2016-02-24 21:01:51またメディアアーツ、これは文化庁による日本独自の用語であり、英語圏ではメディアアーツでなくメディアアート。それは美術の一翼でしか無い。しかし日本はメディアアーツでありマンガ・アニメ・エンタメを含む。
2016-02-24 21:03:25テクノロジーとメディアアート 1980年代~1990年代初頭、インタラクティブが出るまでは、コンピュータといえば静止画、あるいは動画で、つまりCGだった。 しかしクリックすると動く、CDROMに作品が入る、コンピュータに向かって人が動くと動く、それがマルチメディアで90年代半ば
2016-02-24 21:05:27その後、マルチメディアも流行らなくなりそしてメディアアートが出てくる。それが90年代後半。そしてメディアアートは美術のいち分野。 メディアアートはアートの中で普通に使われるよう着地できるように考えている。
2016-02-24 21:06:05