自分に無理を強いていることは長続きしないと考えている。そういうことは、いくら褒め言葉をもらったって続けるのがむずかしい。おのれの人間性に抗うことは常にむずかしさを伴う。
2016-03-10 13:02:26趣味で書いている同人小説があるのだが、いろいろ文体を変えてみたいと思って工夫しても、たいてい自分になじみのある文体に帰ってきてしまう。技術が未熟なせいでもあるが、やはり元々の私の本性からなる文体に逆らうのがむずかしい。
2016-03-10 13:09:22他者との間に境界線があることによって哀しみやもどかしさを覚えることもあれば、境界線があって良かった、助かったと思うこともある。私たちはつねに振り子のようにゆれ動く存在である。
2016-03-10 12:46:40自分の本性に合ったことは、たとえ人に褒められなくても(褒められたら嬉しいけど)続けられる。自分の本性に合ったことの見分け方は「ふとしたときに思わずやってしまっていること」。文体についてなら、思わずひらがなや漢字にしてしまう表現、思わず細かく書いてしまう対象等から個性があらわれる。
2016-03-10 13:16:59自分の中で未分化のままとどまっている混沌、それをほどくようにひとつの作品に「翻訳」してゆける媒体、それが自分に合っている表現形式なのだと思う。
2016-03-10 13:23:48取り組んでいて「トリップしてしまう」「ラリってしまう」表現媒体、それもまた自分に合っている表現形式なのかもしれない。私はつぶやきを書いているとそうなってしまう。平静でいるよりもそうした状態の方が思ってもみない言葉を引き出せる。
2016-03-10 13:33:28けれど、紙の上で文章を書いていてもだめなのだ。Twitterに向かって携帯でポチポチ文章を打つとき、このトリップ状態を引き出すことができる。何でもかんでも文章を書くときにトリップ状態になれたらいいのだが、それは違うらしい。
2016-03-10 13:38:57物事に取り組んでいるときの「トリップする感覚」とはいったい何だろう。私は集中力の産物だと思う。自分に合った表現媒体にほとんど自己が溶け込んでしまう、そのときのことを言うのではないか。私の身体が、心が、すべてが、“なにか”を表現する一点に向かう。一となる。
2016-03-11 21:23:08