美術家梅津庸一&中ザワヒデキと考える「日本の美術史の分断と循環」/宥学会・遊学塾 「新・方法 talks about 新・方法」ゲスト:新・方法 #同時に行こう
- misonikomioden
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抜き打ちテスト 中ザワが立教大学で講座をもっておりそこで、方法と新・方法の講義をしていたため、ゲストで呼ばれた。 中ザワからは講義してくれてもいいし、実践してくれてもよい、と依頼があった。
2016-03-11 21:00:40そこで、大学だから試験をした。 ちゃんと試験問題を作り、業者に発注して問題冊子を作った。 むかし受けた受験問題が偶然あってそれを参照した
2016-03-11 21:01:29コンセプトどおりだし当たり前すぎると言われるが、意外とお金かかる。 印刷代かかるし試験問題は鉛筆や消しゴムとか、、、 実験では実験用具も買って揃えた・・・
2016-03-11 21:02:41僕は前から中ザワヒデキさんを白青のプレインズウォーカーだと思っていて、梅津さんとのトークを聞くとやはりそうだと思いました。 中ザワさんに感じることができた、法則や主義は白の属性で、操作や情報は青の属性です。
2016-03-11 21:03:06そこでは、山本桜子がアクセスしようとしたところ新・方法のサイトにアクセスできず、つまりアノニマスの攻撃をうけて落ちたと、そう発言するが、もしかしたら本当なのかもしれない
2016-03-11 21:04:14質問「たしかに表面的には60年代にあったことを今やってる、とおもう。でも21世紀におけるアップデート 皆藤「シュミレーション、は使いたくないんだけ、馬場さんは 馬場「もう一度やっても良いはずで、そのツールを今のものを使ってるだけ。だから再来と思われても当然
2016-03-11 21:08:43馬場「確固たる芸術があったのが60年代ならば、今は、あーとというくらいの何でもありで、だからこそ反芸術としてそれを権威付けしている
2016-03-11 21:09:17平間「平間「第一宣言出したとき、細かく見る想定と違ってて、、、どこまで無意味に行けるかを進めたところ今みたら違ってた、でもそれ以降の宣言文はまだ有効で、ちょっとずつ変化してるといえるか
2016-03-11 21:11:01平間「第2宣言以降の無意味さが人の人格にインストールされると会話が不可能で、だから日常生活と新・方法主義者の人格を切り分けないと活動ができない、と
2016-03-11 21:11:35馬場「僕はシミュレーション的芸術だけど他の2人は分からない」平間「僕も分かりません」皆藤「シミュレーションとして楽しんでいる」
2016-03-11 21:12:10馬場「ここでは芸術という言葉は使ってないが、真のところ芸術が前提であり、それもあり日常生活をするうえでは真の方法主義者としては生活できない
2016-03-11 21:12:18質問「芸術という言葉はでてこないのだが、、、 馬場「辞書を利用した第三宣言では使用されてしまっている。 平間「とはいえ出てきても良い 馬場「出てきても良いが僕は良くないと思う
2016-03-11 21:13:54