おじさんの子供の頃はギリギリ駄菓子屋というものが残っていて、即身仏のような婆さんがよくわからないお菓子を売っていたから200円でもなんとかなったんだよ坊主ども
2016-03-12 00:33:18私の住んでいた社宅には、”あおき”と”ともきよ"という二大駄菓子屋が有って、まさに何時までたっても年齢の変わらないおばあさんがお店を切り盛りしていたものだった。あおきは何と、私が教育実習で帰ってきてもまだ同じ状態で有った。 twitter.com/CCCP1917/statu…
2016-03-12 06:22:34結局、社宅が取り壊されて、延岡ジャスコになるまで両方とも残っていた筈で、社宅が無くなったら子供はいなくなるので、青木もひっそりと閉店、”ともきよ”は、恒富小学校へ納入で生きのびた・・・・おいおい、駄菓子屋として益々流行っているよ。 ny1224.miyachan.cc/d2015-02.html
2016-03-12 06:27:54僕が幼稚園生の時に、母が小銭を渡して、ともきよに連れて行ったのだが、そこで買うものを決められない僕に、”急ぎなさい”と言ったら、ともきよのおばちゃんが、母を叱ったそうだ。子供には自分で気が済むまで選ばせなさいと。 社宅の7条に住んでいた小学校中学年の頃まで、ともきよに通い詰めた。
2016-03-12 07:16:46小学校中学年の時、社宅の3条に引っ越したので、僕の行動圏はあおきに移った。青木の方は、もっと年よりのおばあさんがやっていて、いかにも駄菓子屋という所だった。 ここでは駄菓子、メンコから、モーター、プラモまで色々と買ったなぁ。日常が青木とともにあった。
2016-03-12 07:19:03この青木のおばあさん、ご主人は亡くなっていたのだが、体が弱くなって、店じまいを決意し、全品半額セールを始めた。すると、社宅の子供たちを中心に、近所の子供たちが大勢やってきて、結果、気力が沸いたということで、お店を続ける事になった。これが僕が中学生の時。
2016-03-12 07:21:55@BB45_Colorado 結局、僕が教育実習で延岡に戻ってきてもおばあさんは相も変わらず(少し曲がった姿で)お店をやっていた。 駄菓子屋のおばあさんは、何十年も年が変わらないという実例・・・・
2016-03-12 07:23:25ともきよのおばさんが、昔と今と同一人物という情報が入った。 確か僕が小学生の時、50前半か40後半だったから、いま、70代から80代か。 あり得る!!
2016-03-12 07:45:26