舞踊家・俳優 金野泰史の『5years』
・・・原発メルトダウン以降、わたしは「存在比」というすごい言葉を知りました。・・・(中略)・・・天然のウラン中の存在比を人為的に変えることとはなにか。それは反宇宙的所業なのではないか。(続く)
2016-02-24 23:54:52そうした核をもちいる発電が、本当に根源的に安全かどうか。宇宙の摂理に照らせばどうなのかということを、もっともっと謙虚に考えなければならないと思うのです。・・・ 39頁「瓦礫の・・・」
2016-02-24 23:57:11原発を考える際に、はたして反宇宙的所業、宇宙の摂理に照らすということを、どれほど考えているのだろうと思う。人間主観的なものの見方、考察しかしていないのではないだろうか?その狭い世界観が大自然の一刹那で壊れたことを、わたしはもう一度考える必要があると思うのです。
2016-02-25 00:02:07…あの入江も、いつもなにかを兆していました。いつもなにかを孕んでいた。それは優しさでもあった。けれども殺意のようなものでもあった。狂気も漂わせていました。無人の入江は性的なものであると同時に、とてつもなく清いものでもあった。水が血のように赤くなるときもあった。(続く)
2016-02-25 13:45:54どこからくるのか、赤錆のようなものがわいてくるときもあった。そこに、わたしはじっとしゃがんでいるのがとても好きでした。あれは、わたしにとっては、世界への、宇宙への、あるいは自分の内側への入口だったのです。… 48〜49頁「瓦礫の…」
2016-02-25 13:49:47…子どものわたしがそこで感じていたのは、なにかとんでもないことがいつか起きるのではないかという怯えとおそれなのです。…(中略)…もっと畏れかしこまる。もっと荘厳なもの。われわれが太刀打ちできないもの、あるいは太刀打ちしてはいけないようなもの。… 49頁「瓦礫の…」
2016-02-25 13:55:59辺見氏が子どもの頃にとてつもなくひかれていた、葦の原も入江も、3・11の津波でいっきにのまれ、それは自分のどこかが深くえぐられたように感じたと書いてあります。 故郷であったか、そうでなかったかの差は、とてつもなく大きく深いと感じされられます。
2016-02-25 14:04:18…不思議なことに、3・11はなぜか、風景から色を奪ったわけです。真っ黒か、あるいは白々とした色。空は大抵は鈍色。平安期は、それは喪の色でした。色を奪う作用、そういう働きがあの地震とそれを目撃したわれわれの目と心にはあったということに驚きます。(続く)
2016-02-25 16:23:17なにか、戦場現場のような、われわれの想像を超える現象、事態が起きたのです。地震と津波の現場が、空襲や核爆発の現場に似る、そんなことも起きうるのだ、ということをわたしははじめて知りました。… 54〜55頁「瓦礫の…」
2016-02-25 16:26:15…有機体においては各部分がおたがいに他との関係をもつとともに全体との間に必然的連関を保ち、…(中略)一つの統一体をつくる、…(中略)…しかし、3・11は有機的統一体と精緻な現代システムを解体し、多くの人びとをモノとして部位化し、有機体をいきなり無機化したのです。55頁「瓦礫の…」
2016-02-25 16:32:59…震災当初は、カメラをむけたらいやでも屍体を撮ってしまうほどといわれた現場なのに、テレビや新聞は丹念に死と屍体のリアリティを消しました。…中略…あのような報道ならば、鴨長明の『方丈記』のほうが災厄というもののすさまじい実相をリアルにつたえていると言えるでしょう。 56頁「瓦礫の…
2016-02-25 16:39:52…マスコミによる死の無化と数値化、屍体の隠蔽、死の意味の希釈が、事態の解釈をかえってむつかしくしました。(続く)
2016-02-25 16:51:06死を考える手がかりがないものだから、おびただしい死者が数値では存在するはずなのに、その感覚、肉感とそこからわいてくる生きた言葉がないために、悲しみと悼みが宙づりになってしまったのです。… 56頁「瓦礫の…」
2016-02-25 16:51:44…われわれはただ際限なく悲しい。失意の底に沈まざるをえないのは、ただ虚しく、茫漠として悲しいのは、この悲しみの、この悲劇の芯を言いあてようとする言葉がないからではないのかと思うのです。(続く)
2016-02-25 16:55:30わたしたちは3・11でいったいなにを失ったのだろうか。時が少しでも傷を癒した後ならば、こう問うてみることはむだではないでしょう。(続く)
2016-02-25 16:57:25逆に、こう設問してもいいかもしれません。わたしたちは、なにをまだ失っていないのか、と。… 56〜57頁「瓦礫の…」
2016-02-25 16:58:37「何を失ったのか?」 「まだ何を失っていないのか?」 「何が壊れ、何が残っていたのか?」 いや、「何が既に壊れていて、壊れない何を持ち得ていたのか?」 5年が経過するその前に私はその「何か」を見いだすことは出来るのだろうか?
2016-02-25 17:12:12壁がそそり立っている 手がかりの少ない壁 見えないコース… この壁を越えたら その「何か」は見えるだろうか? 壁の向こうに まだ見たことのない真景がある それは希望でも絶望でもなく ただ横たわっている だろう…
2016-02-25 17:24:32私はこの壁を前にワクワク出来るのだろうか? ワクワクしないと登れない 不謹慎だと思われるかもしれない 語弊も免れないかもしれない でも ワクワクしないと登れない それが、芸人としてのやり方だから
2016-02-25 17:27:49私の生の師匠語録を引いておく 「人間は楽々悠々生きていることが自然だ。 むずかしいことを敢えてやりたくなり、苦しいことを敢えて耐える時は、そのことをその要求するが如く行なえ。苦しいこと、むずかしいことに取り組んでいる中にでも、快があることを見出すに相違ない。」
2016-02-25 17:41:58快=ワクワク 快も不快も 楽も苦も 嬉し悲しも 根底には生の蠢きあってこそ その蠢きに繋がる作業が表現者、芸術家には必要不可欠。 そういう態度で私はいつも舞台に立っている。 (やっとこさそれが多少出来るようになったのでは?と自分で感じるのは、ここ最近の話だが…)
2016-02-25 17:54:19・・・多くの命が奪われた。そして多くの建物が壊された。これはまぎれもない事実です。しかし、言葉についていえば、この破壊、かぎりない破壊を表現する言葉を、わたしたちは、失うもなにも、ひょっとしたら最初からもっていなかった、用意してなかったのではないか、とわたしは思い至りました。57
2016-02-25 19:35:33・・・ただ、やはり人の言葉は、もっとものごとの実相に、本質に迫っていくものでなければならない。腑に落ちる言葉がほしい。少なくともそういう努力を、もっと魂のいとなみとしてすることが必要なのではないかと思うのです・・・ 58頁「瓦礫の・・・」
2016-02-25 19:46:47・・・テレビの映像は、いつの間にか事態を希釈している。実像を薄めている。死を消している。奈落を奈落として映していない。奈落はテレビには映らないのかもしれません。それは死のリアリティを見るより、もっと薄気味悪いことです。・・・ 58頁「瓦礫の・・・」
2016-02-25 19:49:42・・・屍体をさないというのは、人の心を救っているようでいて、じつはちがうのではないでしょうか。・・・(中略)・・・死者に対する敬意とは、人のモノ化とはどういうことか、この死の虚しさと、かぎりない暴力、破壊が、なにからもたらされているのかー(続く)
2016-02-25 19:54:24