整備兵氏による語り『戦争とは何時から全面戦争のみをいうようになったのだろうか?』

55
名無し整備兵 @seibihei

さて、戦争とは何時から全面戦争のみをいうようになったのだろうか?

2011-01-31 00:32:04
名無し整備兵 @seibihei

はるかな昔、国家なるものが現れてすぐのころは、戦争によって相手の全てを略奪したような事があったかもしれない。ただ、これには何の考古学的裏づけも無い。

2011-01-31 00:33:38
名無し整備兵 @seibihei

ペルシア戦争では、ペルシア帝国がギリシアを占領しようとしたといわれる。また、アレキサンダーの遠征は都市国家や領域国家を自らの版図に収めようとしたものだった

2011-01-31 00:36:35
名無し整備兵 @seibihei

しかし戦争とはそればかりではない。当のクセルクセスもアレキサンダーも、攻勢の限界と察知したら限定戦争に収めようとする知恵はあった。

2011-01-31 00:38:54
名無し整備兵 @seibihei

一方、孫子で言うところの戦争は、ほとんどが限定戦争である。もちろん中原を統一するための最終戦争はあるものとしているが、それ以外は限定戦争であり、必ずしも武力で戦う必要の無い戦争だとしている。

2011-01-31 00:41:32
名無し整備兵 @seibihei

「戦国策」にある通り、当時の中国では勢力均衡が重んじられた。既存の秩序の破壊に伴う摩擦は、通常の政治的コストを上回るものと思われたからだ。

2011-01-31 00:44:37
名無し整備兵 @seibihei

しかし多大なコストを支払っても、統一というメリットを追求した国家があった。巴蜀の開発で経済力を多いに強めた秦だ。もともと既存の秩序にとらわれないという評判のある国ではあった。

2011-01-31 00:49:13
名無し整備兵 @seibihei

しかし、始皇帝の統一もつかの間、また乱世が始まる。それは統一に伴う政治的コストの高さを意味した。この再度の乱世で反乱のエネルギーが使い果たされ、前漢の平和が始まる

2011-01-31 00:52:36
名無し整備兵 @seibihei

それはそうと、既存の秩序を破壊して新たな秩序を定めるのには、想像以上に抵抗が強い。丸山真夫も「人間の惰性は意外と馬鹿にできない」と言っている。

2011-01-31 00:54:25
名無し整備兵 @seibihei

もっと楽なのは、同じ秩序の中で「損した得した」とやり合うことである。いわゆる王朝戦争がこれに属する。

2011-01-31 00:56:46
名無し整備兵 @seibihei

もちろん政治体制や宗教の違いは「同じ秩序の間の戦い」にならないことが多い。十字軍等はその実例になる。

2011-01-31 01:04:45
名無し整備兵 @seibihei

中でも「秩序を破壊する革命戦争」は最も全面戦争に近くなるだろう。ナポレオン戦争に当時のヨーロッパ人は驚かされた。

2011-01-31 01:09:50
名無し整備兵 @seibihei

ところが、「敵を打倒して我が要求を呑ませる」ために戦争したナポレオンは、だからといって敵国の消滅までは企図していなかった。このため対仏大同盟は何度も繰り返される。

2011-01-31 01:13:13
名無し整備兵 @seibihei

そして何度もナポレオンに煮え湯を飲まされたプロイセンのとある将校は、ナポレオンの戦争から「絶対戦争」という着意を得る。ナポレオン自身はそこまで徹底していなかったにもかかわらず。

2011-01-31 01:15:03
名無し整備兵 @seibihei

もちろんこれは当時のプロイセンで常識だったカント的教養から来たものかもしれない。「純粋なんちゃら」を思考実験として考えるべき時代だったのだろうか。

2011-01-31 01:17:16
名無し整備兵 @seibihei

でわ、その他にもやらない夫・きむ・キラも加えて RT @IngaSakimori: seibihei きもすぎるダス!!(・∀・;)

2011-01-31 01:19:50
名無し整備兵 @seibihei

戦争の実相は果たして変わったのだろうか。少なくとも、「絶対戦争」という考え方は一人歩きする。特にこの将校の未完成の書物「戦争論」が有名になった普仏戦争以降

2011-01-31 01:25:00
名無し整備兵 @seibihei

モルトケ以下のプロイセン=ドイツ参謀本部がもてはやされると、「戦争論」も各国で翻訳され、研究された。しかしプロイセンも含め各国に伝わらなかったのは、「大勝利した普仏戦争でも、終結に導くのはとてつもない苦労があった」というモルトケの言葉だ

2011-01-31 01:27:00
moltoke◆Rumia1p @moltoke_Rumia1p

@seibihei  本来の計画ではパリ攻囲前に終わってたはず。ナポレオン3世を捕虜に された後も戦いが続いたのは計算外。頭をもがれた後も蛇が動き続けたようなものだし。

2011-01-31 01:28:57
名無し整備兵 @seibihei

この背後には、ナポレオン3世を捕虜にしたものの、戦争終結に結びつかなかったという苦い経験がある。パリはコミューンを組織して抵抗し、他の地域でも武装民兵がゲリラ的な抵抗を続けた。プロイセン軍はそれをテロリストとして処断した。現代のどこかの国のようだ。

2011-01-31 01:29:35
名無し整備兵 @seibihei

この労苦から各国は何を学んだのだろうか?絶対戦争だけが戦争ではない、という意見は出てきた。しかしこれは敵が「絶対戦争」を仕掛けてきたときにも備えなければ、という意見の前にかき消された。同時に動員技術も進んだ。

2011-01-31 01:38:50
名無し整備兵 @seibihei

@moltoke_Rumia1p アフガンやイラクでの米軍の出血は、「頭をもがれた蛇」にやられた程度のものですか?一国の秩序を破壊し再建するというのは、生易しい事ではないんですよ?

2011-01-31 01:39:58
名無し整備兵 @seibihei

そして、迎えたWW1。そのついでの、あるいは遅れてきたWW2。この時代を彩ったのは、「総力戦」という言葉だろう。ルーデンドルフは「戦争のために国家は存在する」とまで主張した。これは極端としても、戦争が国家の資源を動員する割合は、その行政効率を反映して向上した。

2011-01-31 01:44:46
moltoke◆Rumia1p @moltoke_Rumia1p

@seibihei 首をもがれた蛇は普仏戦時のフランスを指していました。 敗けを敗戦国側に納得させるのは、困難だと言うことです。 しかしながら、相手が秩序を維持したまま(つまり政府が機能した状態)での講和なら今少しマシかと。

2011-01-31 01:47:00
名無し整備兵 @seibihei

話は飛ぶが、WW2後のある時期、世界秩序はかつてよりも固定化したかもしれない。要するに冷戦の事だ。この最初の試練が朝鮮戦争になる

2011-01-31 01:51:40