独在性の問題 (動く今について)2016/04/03-2016/05/05

動く今について考えようとして、やや混乱している。
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ワタシ・チャン @chan_watashi

それにしても、現実に今である今がただ一つだけあるということの意味は今ひとつわからない。そういう今(というか現実)がなければ、今は全ての可能な時を指すことしかできないはず。それは分かるのだけど。

2016-04-03 14:32:00
ワタシ・チャン @chan_watashi

例えばこれを、私と特定の身体の関係と類比的に、「私はどの身体が私であるか知らないが、私は私であるといえる」・「今はどの時であるか知らないが、今は今であるといえる」とまとめるとどうなるのだろう。

2016-04-03 14:33:43
ワタシ・チャン @chan_watashi

今が他の可能な今達と、一つの現実によってつながっていてもいいし、そうでなくてもいい。それでも、どの可能な今も、そこから現実が始まるような今のはずだし、それらの可能な今からはまた、可能な今達が開け、同じように、一つの現実によってつながっていても、そうでもなくてもいい。

2016-04-03 23:38:51
ワタシ・チャン @chan_watashi

私はいつが今であるのか知らない。知らないはずなのに、そのことがどのようにしても言えない。

2016-04-03 23:42:06
ワタシ・チャン @chan_watashi

今は常にその発話時を指示し、そして発話時においては、その今こそが、現実の今だからである。しかし、私は、私がどの発話時にいるのか、知りえないのである。この言えなさをどう言ったら良いのか。

2016-04-03 23:43:31
ワタシ・チャン @chan_watashi

驚くべきことに、私だけが、いつが今なのか知り得ないのだ。他者の今は、必ずその発話時であり、それ以外ではありえない。他者の私が必ずその発話者であるのに類否的である。私は、どの人が私知らないように、どの時が今なのか知らない。

2016-04-03 23:48:39
ワタシ・チャン @chan_watashi

この点から、今と私を比べてみると、今はともあれそれが時間と関係することは確からしいが、私の場合には、どの人がと問われる以前に、どの存在が、何が、いや、そもそもそのようにしてあるのだろうかと問われる余地がある。

2016-04-03 23:50:47
ワタシ・チャン @chan_watashi

過去方向から未来方向に向かって直線的に移動することは、現に今である今にとって本質的ではないのでは?

2016-04-04 00:04:06
ワタシ・チャン @chan_watashi

今はどこから来ようと、どこに行こうと、現に今であるだけで今なのだから、(客観的に?)連続する時点から(客観的に?)連続する時点へと移る必要は必ずしもない。

2016-04-04 00:05:38
ワタシ・チャン @chan_watashi

それでも、(ひとたび)ある時点が現に今であるなら、その今は連続する時点から連続する時点へと移るように表象されるしかないのかがここで問われるべきなのだが、どう考えたものか。

2016-04-04 00:07:24
ワタシ・チャン @chan_watashi

これはまだ問題として整理できていないが、以前に書いたことを繰り返すと、記憶を含めた因果関係はt1→t2→t3のように解釈するのが整合的である場合に、今がt1→t3→t2の経路で移動したとしても、その移動は世界の内部では捉えられないという意味で、起こっていないのと変わらない。

2016-04-04 00:13:56
ワタシ・チャン @chan_watashi

今の移動経路がどのようなものであろうと、例えば今がt2であれば、「これまではt1であったし、これからはt3になるだろう。そしてもちろん今はt2である。」と捉えられるしかない。これは、今がどのように移動したとしても同様である。

2016-04-04 00:16:00
ワタシ・チャン @chan_watashi

だとすると、私はここに、移動する今の不要さを見てとりたい。今がどのように移動したとしても、どこかの時点が今であるなら、必ずその時点からの因果関係によって時間系列が形成される。

2016-04-04 00:17:41
ワタシ・チャン @chan_watashi

時間系列さえ形成されてしまえば、ある時点にとっての現在過去未来も同時に形成される(時間系列が形成されたことが今であることを示している)。すべての可能な今から時間系列が形成可能であるなら、今が動く必要はないのではないか。

2016-04-04 00:19:50
ワタシ・チャン @chan_watashi

過去や未来が実在しないのも大変な話なのだけど、過去や未来は、現在からすれば、「もともと」実在しないものとして捉えられているわけで、現在が実在しないことの驚愕に比べると(というか比較できないほどに)、大したことないとも言える。

2016-04-06 16:55:46
ワタシ・チャン @chan_watashi

私がどこ時が今なのか知らないのではないのか?むしろ、私によってすら知られてしまうことによって、どこときも平等に今であり、それゆえに今ではなくなる?

2016-04-06 17:00:13
ワタシ・チャン @chan_watashi

(可能な諸今から選ばれるのではなく)現実に今である今があるとして、そこから開ける可能な諸今を、現実の過去や未来に位置づけることは可能なのだろうか。

2016-05-05 04:33:00
ワタシ・チャン @chan_watashi

現実に過去や未来であるなら、事象内容とは無関係に過去であり、また未来であるはずだが、私にはその諸今たちを事象内容によってそれらしく並び替えることしかできない。

2016-05-05 04:34:02
ワタシ・チャン @chan_watashi

私の場合は、記憶が、事象内容であるにもかかわらず、私をこの身体に安定させる不可欠の要素として存在するのだけど、今には私の場合の記憶に相当するものがなく、(永井氏の枠組みで言えば)カント原理が働いていないのではないか。

2016-05-05 04:37:35