「なぜ表現の中で言語表現をしていこうと思ったのか?」by @subtledays

本人ツイートより 「なぜ表現の中で言語表現をしていこうと思ったのか?」という質問を頂いたので、自分なりの回答をしてみたいと思う。」 言葉の表現者だけでなくいろいろな表現者、そして、いわゆる表現者と思っていない人にも参考になる連続ツイート
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@subtledays

「なぜ表現の中で言語表現をしていこうと思ったのか?」という質問を頂いたので、自分なりの回答をしてみたいと思う。

2016-04-08 19:32:40
@subtledays

(1)まずひとつ、表現をする前提で書かれた質問ではあるけれど、するしないで人間が二分されるのではなくて誰もが表現はしているということで、むしろ正しい問い方だと思う。その中で特に、普段使いでない方法で表現をしている人がちまたで「表現者」と呼ばれるのだろうな、と思っています。

2016-04-08 19:54:24
@subtledays

(2)ただ「詩人なのですか!?」などという特別扱いはあまりされたくない。詩というか言葉を生活の仕事の用だけで使っている人なんてほとんど見かけない。Twitterだってそうだ。みんな好き勝手言葉も記号も使って、楽しみ方を探している。詩は死んだりはせず、名前を変えて生き続けている。

2016-04-08 19:57:02
@subtledays

(3)そういった意味で、みんな、詩的な活動をしている。そう思っている。だから、言語表現というのも、みんなと同じで自分もやってる、くらいの気持ちしか(もともとは)ない。ただ、それを「やってますー」と言いながら「人前」に「生身」で出ることは誰もがやることではない。

2016-04-08 19:57:40
@subtledays

(4)僕にとって詩はコミュニケーション手段です。シャイで(マジです)人の顔を覚えるのが苦手な僕にとっては、人と言葉を通して繋がれるチャンネルが増えると、広く深く付き合える。俗な意味で言えば、話のタネにもなるし僕のことを知ってもらう一助にもなる。もちろん自己表現も含んではいる。

2016-04-08 20:00:16
@subtledays

(5)たとえば自分がたいせつにしている心象風景や心持ちみたいなものを表現してそれが通じるのはやっぱり嬉しい。その人と共有できることが増えたということもうれしいし、伝え方を工夫した結果伝わったのだから、がんばりが報われたようでますますうれしい。

2016-04-08 20:04:27
@subtledays

(6)元々そんなこと考えてはいなくて、きっと最初はなんとなくだったのだろうけれど。困ったりやめようかと思ったときもありつつまだ人前にいることをやめないのはなぜかしら、と考えると、自己表現、そして他者との繋がりなのだと思った。技術的な話はぜんぶこれらの後に続く物でしかない。

2016-04-08 20:07:36
@subtledays

(7)表現したいという欲が先にあったわけじゃない気がする。なんとなく書いていた言葉が、人と繋がること、そのために自分を伝えることにも使えると気付いてから意識して言葉を道具にし始めて、さっきの動機みたいなのは後から気付いた側面が強い。ここは、ふつうの詩人さんとはかなり違う点かと。

2016-04-08 20:12:13
@subtledays

(8)詩を書く友人たちには「書かないと死んじゃう」みたいな人が多い。こういった人たちの詩人適性は高い。自分が生きることと書くこととが、強い表現欲求によって繋がっているから。上達したり一線の人になるのはこういうタイプだと思う。ところが僕はそうじゃない。書かなくても死なない。

2016-04-08 20:15:46
@subtledays

(9)自分が生きることに書くことは必要ではないけれど、人と繋がりながら「楽しく」「満ちて」暮らそうと思ったときに、書くことが有効だと気付いた。だから、書くことに対する切迫感は先のタイプに比べて弱いけれどその分好き勝手やる。書くかもしれないし書かないかもしれない。多分書く、くらい。

2016-04-08 20:18:54
@subtledays

(10)人との関係性の中に言葉の価値を見いだしているから、著名な先生に褒められることよりも、近所の詩とかろくに読まないおばちゃんと「詩って、こんなのでもいいんだね、なんかいいな、くらいの気持ちで読んだり書いたりしていいんだね」と話せる方がいい。そっちの方が僕は楽しい。僕は満ちる。

2016-04-08 20:21:30
@subtledays

(11)詩の先端にいる人を増やすより、詩にすこし触れるくらいの裾野を広げる方が楽しそうだったし性に合うと思った。だから、詩集を出したり即売会でだけで生身になるのではなくて、詩の個展をやった。「それは詩なの?」という表題で、いちおう壁のパネルに詩を貼りはしたけれど、

2016-04-08 20:24:17
@subtledays

(12)どちらかというと言葉に関する展示に注力した。雨冠の漢字を書いた風船を天井からぶら下げたり話のタネを書き付けた糸電話を用意したり、50音ブロックを机に置いて好きに並べてもらったり)。また、僕が極力滞在して、(あやしいけど)自称詩人がそこにいて気さくに話せるようにした。

2016-04-08 20:27:50
@subtledays

(13)言葉に興味を持ってもらえるような装置を目指したつもりだった。おかげさまで、言葉アンテナが高い人だけでなく、通りすがり系の人にもけっこう遊んでいってもらえたのだった。普段なら関わるはずのない人たちだ。とても楽しかった。言葉について話せる人が街に増えたかも。よかった!

2016-04-08 20:30:36
@subtledays

(14)まあそんなわけで言語表現が手段寄りであることがお分かりいただけるのではないかと思う。もちろん、書くときに、独りよがりではいけない。さっき技術論は二の次みたいに書いたけど、道具だとしても、その道具を上手に使わずに、人を喜ばせて自分も喜ぶことがどうしてできるだろう。

2016-04-08 20:33:30
@subtledays

(15)だから上達はしていきたいと思うし、人に伝えるためにはどう書いたらいいのか考える。そのひとつが、元々この話の発端になった「個性だけでもダメ、普遍性だけでもダメ」って話題だったと思う。…なんか偉そうなこと言ってますけれど、それを目指してるってだけで、僕もまだまだなのです。

2016-04-08 20:35:19
@subtledays

(16)戻り戻ってなぜ言語表現か?っていうところをもちょっと補足すると、他のに比べて性に合ったし、一人でも人とでもできるし、生活や仕事にまで役立つし、万能選手。五教科でダントツ必要なのが国語、というのと同じ理屈です。国語がダメなら他の教科も才能勝負みたいになってとても厳しい。

2016-04-08 20:38:45
@subtledays

(17)詩を書くとき、人のことをすごく考えます。考えますよね?「桜」って聞いたとき、満開のを思う人、散り際を思う人、桜ソングが頭で流れる人、娘の名前にしようと思う人…特別な限定をしなければ、ふつうその全員に対して書き手は書いている。それは、いろんな人のことを考える、ということ。

2016-04-08 20:42:05
@subtledays

(18)当然、人のことを考えないひと、自分のことすら考えないひとには伝わる詩を書くのは難しいだろうし、流行る一発ギャグを考えることも難しい。恋人を作るのも難しいと思う。逆もまた然り。人のことを考えられるひと、下手でも下手なりに考えて思いやりが滲み出るような人やその言葉はまぶしい。

2016-04-08 20:45:32
@subtledays

(19)そういった考えに及ぶとき、言語表現をすること、それを上手にやろうと思うと、自然と人のことや世の中のことが無関係ではなくなって、その関係性の中で、またときどきもぐる内面世界の中で、自分の立ち位置や居場所を見つけ、結果穏やかでたのしい生活ができるのではないかなあと思うのです。

2016-04-08 20:48:16
@subtledays

(20)元はなんとなくで書いていたけど、言葉に向き合うことを通して人と仲良くなれるし社会にも貢献できるかもだしその他人間として成長する糧がごろんごろん転がってるので、自己表現に留まらず趣味と実益も兼ねてやってます。楽しく穏やかな暮らしのために!ご清聴感謝します。連投失礼しました。

2016-04-08 20:54:33
@subtledays

はふー。連ツイとかするひとすごいな。くたびれた。1ツイートごとに内容を区切るのむずかしい。

2016-04-08 20:55:11