広田淳一 さんのつぶやき。(アマヤドリ主宰) 2016/4/23

広田淳一 さん 劇団アマヤドリ主宰 劇団公式サイト http://amayadori.sub.jp/ 続きを読む
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広田淳一 @binirock

登場人物たちは、悲しんでいるのではなく、歯をくいしばって、死者を葬って、そのことを受け入れて、新しい生命の誕生に備えている。そんなお芝居なんだなあ、とロングラン前半を終えてぼんやり思うのでした。

2016-04-23 12:41:11
広田淳一 @binirock

『ロクな死にかた』というお芝居はレクイエムであると同時に、立ち向かえ、というメッセージのようにも思う。もう一度、悲しみから、喪失から、取り返しの付かない過失から、やり直しのきかない誤謬から。犠牲を越えて、それでも、また、立ち向かえ、ということ。

2016-04-23 12:39:17
広田淳一 @binirock

全部置いてくるつもりでやっていい。余力を残さずに全部出しきるつもりでやっていい。人間はちゃんと計算してしまうものだから、どれだけ出しきろうと思っても必ず、余力を残してしまうものだ。全力を出し切ったあとの心配しなくていい。そのあとのことは、そのあとに湧いてくる力で、どうにかなる。

2016-04-23 12:37:24
広田淳一 @binirock

今、この瞬間にどれだけのものを込められるか。この場所に、どれだけのものを置いていけるか。なんだかんだで精神論で乗り切るしかない部分は大きい。俳優の精神力で、今、ここ、という時空をどれだけ特別なものに高められるか。その圧力は、俳優によってしか生み出せない。

2016-04-23 12:35:46
広田淳一 @binirock

『ロクな死にかた』は死を扱った作品だ。当然ながら「死」はそれを体験する本人にとっても、周囲の人間にとっても大きな事件だ。ロングランでは、その特別な時間を何度も何度も繰り返す。次第に、特別なことが特別ではなくなっていく。慣れていく。これは簡単に逃れられることじゃない。

2016-04-23 12:32:55
広田淳一 @binirock

相手にどんな影響を与えるのか、そしてその結果、相手がどんな反応をするのか、俳優はそれを「知っている」と誤解してしまう。相手の次の台詞は確かに台本に書かれている。でも、それは単なる文字情報だ。人間が言葉を受け取ることはもっとずっと、アナログなプロセスを経て進行していく。

2016-04-23 12:18:44
広田淳一 @binirock

演じる上で忘れてしまいがちなのは、自分がいかなる変化を相手に与えつつあるか、ということに注意を払い続けること。どのように受け止められつつあるのか、は日常において普通に、とても重要だ。でも、演じる際にはそれはしばしば無視される。なぜって、次の台詞が決まっているからね。

2016-04-23 12:17:15
広田淳一 @binirock

これは共演者と会話することと本質としては一緒だ。WSでもよく言うことだが、相手とコミュニケーションを取るということは、相手の中に自分の存在の痕跡を見出すということを含む。「私を見ているあなた」を、見ている私、を見ているあなた……という循環の中にコミュニケーションはある。

2016-04-23 12:16:00
広田淳一 @binirock

空間と会話する、それは俳優が空間に対して何かをもたらすことばかりではなく、その空間からまたフィードバックを受け取るということ。自分が手を入れたその、変化した空間を受け取って、また、手を入れていく。

2016-04-23 12:14:25
広田淳一 @binirock

だから俳優は、自分の言葉によって世界が変化していくことをちゃんと目撃していてほしい。空間と会話する、ってのはふたつの空間に対峙するということ。ひとつは、物理的なその場所、ある一定の広さや湿度や残響音を産み出すその空間。もう一つは、観客と共有するイメージ上の空間。

2016-04-23 12:12:41
広田淳一 @binirock

演劇では、言葉が世界を切り拓く。暗闇の中で「朝になりました」と言っても映像では中々朝になってくれない。でも、演劇は違う。俳優が「朝になりました」と言えば、そこは朝なんだ。観客と共有するイメージの中に、確かに朝が訪れる。

2016-04-23 12:10:58
広田淳一 @binirock

空間と会話すればいいんじゃないか、と僕は思う。これは抽象的なことじゃない。心がけの問題じゃない。具体的に、空間と会話する。それは、自分の声が響いている音に耳を澄ますこと。自分の言葉が世界を変えていくことを、ちゃんと目撃すること。

2016-04-23 12:08:37
広田淳一 @binirock

もちろん共演者から刺激をもらうことは大切だ。いかに出力するか、ではなく、いかに受信するか、が大事。鐘を突くように演じるのではなくて、共演者の演技によって突かれて鳴り響く鐘のように演じなくては。では、独白のような台詞ではどうなるのだろう? 自己完結的な演技は独白に顕著に現れる。

2016-04-23 12:06:45
広田淳一 @binirock

ロングラン公演をやっていて、俳優の演技が自己完結的になっていってしまうことについて考える。複数回こなすうちに段々と演技はルーティン化してきてしまう。真面目な俳優ほど、自分の演技を無意識的に固めていってしまう。決定済みの何かにしていってしまう。そこから、どう逃れるか?

2016-04-23 12:02:04