祖母のこと

個人的な愚痴です
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@inoriwokomeru

2011.3.11 テレビの映像に目を疑った。 津波に飲み込まれる家、畑、車、人… 故郷が目の前で消されていく様子に、隣で母は呆然としていた。 それ以上に僕は耳を疑った。 どこからか、歓声が聞こえてくるのである。

2016-04-30 00:09:28
@inoriwokomeru

歓声の主は、祖母。 呆然とする母の逆隣で、 祖母は目を爛々と輝かせていた。

2016-04-30 00:10:57
@inoriwokomeru

僕は、祖母の不謹慎さにドス黒い怒りを感じると共に、ある種の恐怖も感じていた。 祖母が表出した興奮は、僕の中にも確かにあったからだ。

2016-04-30 00:12:35
@inoriwokomeru

故郷が消失する光景に言葉を無くす母と、 とある町が消えていく光景に興奮する祖母とに挟まれて、 どんな感情を出したら良いか解らなくなった僕は、 ただ、何も感じないように努めていた。

2016-04-30 00:15:36
@inoriwokomeru

祖母の興奮は誰でも覚え得るものだ。 実際、当日2ch掲示板で津波の光景を「キレイだ」というコメントも見られた。 その光景に100%絶望を感じるのは母の様な故郷や友人を失う人であって、 所詮他人事の私達は、興奮を抑圧するために慎んだ言動を取ることで適応機制していた。

2016-04-30 00:23:42
@inoriwokomeru

とはいえ、そこで興奮を抑えられなかった祖母を当時は許せなかった。

2016-04-30 00:24:24
@inoriwokomeru

祖母を初めて認識したときの記憶。 緑と赤の羽飾りを髪に着け、 歌舞伎のような化粧を施し、 殺虫剤のような攻撃的な匂いをプンプン漂わせていた。 だが、そんな祖母の写真は残っておらず、恐らく僕の夢の中の出来事かもしれない。 ただし、そのせいで僕の本能はずっと祖母を忌避したがっている。

2016-04-30 00:31:53
@inoriwokomeru

2回目に祖母を認識したときの記憶。 胃ガンだったか、大腸ガンだったかで入院している祖父に納豆卵ごはんを食べさせていた。 そのネバネバと、ドロドロとした感じに嫌悪感を覚えたのを記憶している。 その後、祖父は亡くなった。

2016-04-30 00:35:26
@inoriwokomeru

その後、祖母との同居が始まった。 祖母は常に、殺虫剤のような攻撃的な匂いを漂わせている。 祖母の入院中と退院後とで、実家の空気(匂いという意味で)がガラリと変わったのを覚えている。

2016-04-30 00:40:09
@inoriwokomeru

祖母に対して、 敬愛 尊敬 感謝 慰労 様々なポジティブな感情を抱いてきたが、 一度たりとも「好き」と、心の底から思えたことは無い、かもしれない。

2016-04-30 00:42:16
@inoriwokomeru

「好き」という感情に近いものはある。 保育園の頃だったか。 祖母が突然、僕を残して家から出てしまった。 僕は取り残された恐怖からひたすら泣き続けた。 「おばぁちゃ~ん」と叫び続けた。 5分だったか、30分だったか、覚えてない。 ただ、祖母が帰宅したときの安堵感だけは覚えている。

2016-04-30 00:47:03
@inoriwokomeru

安堵感というのは、祖母に対しての好意とは違うか。 とにかく、その時の感情が これまでの人生で祖母に抱いた 一番の親近感である。 それでも、幼い孫を残してどこかへ行ってしまったという行為の結果の出来事であると考えると、何とも複雑な気分だ。

2016-04-30 00:49:28
@inoriwokomeru

祖母は与えるのが好きである。 というより、与えた結果返ってくるのストロークによって自身の存在実感しているようである。 そのストロークがプラスだろうがマイナスだろうが、である。

2016-04-30 00:51:54
@inoriwokomeru

祖母はよく、消費期限が当日までの菓子パンを大量に買ってきては「ヒデちゃん食べない(食べてよの意)!」「ヒデちゃん食べとくれ!」と差し出してきた。 しかも、毎回同じものだった。 理由は「安いから」「他に好きなもの分からないから」と言った。 そして、自分では決して食べようとしない。

2016-04-30 00:55:45
@inoriwokomeru

僕は食べたくて食べていたわけじゃない。 捨てるのがもったいないから必死に食べていた。 どんなに文句を言っても食べる僕を見て 祖母は満足そうな顔をしていた。 毎回、もう買ってこないでくれと懇願しても それでも祖母は買ってきた。

2016-04-30 00:59:10
@inoriwokomeru

それは、僕に食べて喜んでほしかったのではなく、自分が施したものを食べる姿を見たかった自己満に過ぎない。 さらに簡単に言えば、構って欲しかったのだろう。 祖母は与えることと、そのリアクションを通してしか僕と上手くコミュニケーションをとることができなかった。

2016-04-30 01:02:10
@inoriwokomeru

小4の頃、我が家は犬を飼い始めた。 名前はペロ。 食べることと走ることが大好きな犬だ。 その頃から、祖母の与えたい欲求は僕からペロに向き始めた。 僕に与えていたパンをペロに与えていた。 当然、犬が食べてはいけない成分も入っていたし、結果ペロが嘔吐したこともある。

2016-04-30 01:07:10
@inoriwokomeru

祖母はとにかくペロに食べ物を与えたがった。 いくら犬の体に悪いものだと説明しても、与えた結果、目の前で嘔吐したとしても、祖母は与えることを止めなかった。 そう、僕に与えていたときと同様、 ペロに喜んで欲しかったのではなく、 自分が施し、その反応を楽しみたいという、自己満であった。

2016-04-30 01:11:07
@inoriwokomeru

このままではペロが病気で死んでしまう。 家族で話し合った結果、祖母の部屋に行けないようにゲートをした。 そして、食卓で私たちが見ている時だけ与えることを許可した。 その時、ペロが食べられないものを与える時は制止すればよい。 ただ、それでも過食であったペロは通常よりも大型になった。

2016-04-30 01:14:20
@inoriwokomeru

ペロに何か与えようとする祖母からは必死さを感じた。 自分の行為を受容してくれる存在は、家ではペロだけだった。 ペロが食べてくれなければ、自分の存在を受容してくれる場面が無くなってしまう。 そういう意味では、僕にも大きな責任がある。

2016-04-30 01:16:35
@inoriwokomeru

ただ、冒頭に述べたように僕は祖母に好意を抱くことができなかった。 祖母と会話していても祖母の口から突いて出る言葉は、 自虐と他虐。 とにかく、何かの悪口を言うことしかできない。 褒めたり、喜んだり、そういったことができない。 そんな祖母を心から受容できる家族は誰もいなかった。

2016-04-30 01:19:55
@inoriwokomeru

祖母から見る世界と実態とには大きな隔たりがある。 今日、15歳になるペロが転んでギャーギャー喚いていた。 もう、後足はほぼ機能しておらず、前足で懸命に歩いているのだが、ついに今日、前足も痛めてしまった。 僕はすぐさま駆け寄ってペロを抱き上げ、落ち着くまでヨシヨシと撫でた。

2016-04-30 01:23:43
@inoriwokomeru

祖母は、転んで苦しむペロを見て、高笑いしていた。 もう、自分の力で立ち上がることが困難で、戸惑い、哭き喚くペロを見て、祖母は高笑いしていた。

2016-04-30 01:25:44
@inoriwokomeru

このことからも判る通り、 祖母はペロの気持ちを察しようとはしていない。 というより、察することは出来ない。 祖母は決して、 ペロに喜んで欲しくて、 エサを与えていたのではない。 遡って、 幼い僕に パンを買ってきた行為にも 同様のことが癒える。 ただ、構って欲しかったのである。

2016-04-30 01:30:45
@inoriwokomeru

我々家族も深く反省すべきである。 我が家の誰も、 心から祖母を受容し、 プラスのストロークを投げ掛けてあげることが出来なかった。 だから、祖母はひたすら何かを与えることで、 僕と、ペロと、コミュニケーションを取ろうとした。 結果、責められることになろうとも。

2016-04-30 01:32:55