胸の振り子さんによる対馬の旅とその解説

古来より大陸との交流点であったという対馬。教科書で習っていても具体的な事柄は殆ど知らなかったのですが、胸の振り子さんの旅行記ツイートがとても新鮮で分かりやすかったのでまとめさせていただきました。
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胸の振り子 @soraigh

先週、中世の対馬倭寇や、近世の対馬-朝鮮関係を、走り読みでちょっと調べていた。日朝が歴史的にお互いをどう見ていたかがよく分かる。中華、周辺国家、亜周辺国家の関係も。

2016-04-28 23:59:53
kansuke @dokisai

倭寇なるべし… twitter.com/muromachi_bot/…

2016-04-28 20:36:10
室 町 言 葉 b o t @muromachi_bot

バハンジン(八幡人)船で他国へ略奪に行く盗賊。(日葡辞書)

2016-04-28 17:04:32
胸の振り子 @soraigh

これは興味深いです。対馬倭寇でしょう。対馬の海神神社は明治以前は八幡宮で、式内社の時代は綿津見神社。背後に神のいつく伊豆山、隣にほり山(葬送地のはふり山)、前つ浜あり。 twitter.com/dokisai/status…

2016-04-28 23:53:18
胸の振り子 @soraigh

博多には音羽があるし、祇園、天神がある。

2016-04-29 05:47:42
胸の振り子 @soraigh

@soraigh 福岡は黒田官兵衛が備前福岡に因んで名付けたらしいが、博多は泊潟か。

2016-04-29 05:55:45
胸の振り子 @soraigh

豆酘(つつ)、浅藻(あざも)、阿蓮(あれ)、鶏知(けち)。地名が喚起的な土地はよいなあ。洲藻、洲湊、根曽なども。

2016-04-29 18:01:05
胸の振り子 @soraigh

対馬は海神と天神の両者がある。日光感精神話もウツロ舟神話も。海神はワタツミで、殆ど海蛇だらけ。天神は菅原道眞さんでなくて、天道様>天童法師。阿比留氏は中世に原始的な対馬神道を改変している。3K新聞の阿比留記者と同じようなことやってる。

2016-04-29 18:13:46
胸の振り子 @soraigh

@soraigh しかしながら土地名も対馬の言葉も朝鮮半島の影響はほぼゼロらしい。

2016-04-29 18:21:07
胸の振り子 @soraigh

朝遅めのスタートで対馬南端の豆酘(つつ)へ行った。今は寂れているが、ここは中世には政治の中心地であった。多久頭魂神社は神仏習合の神宮だったので、観音堂があり、高麗版大蔵経、11世紀鋳造の鐘がある。鐘には阿比留の名前が刻まれてある。おそらく彼らが対馬の神仏習合の担い手だった。

2016-04-29 20:18:25
胸の振り子 @soraigh

@soraigh 多久頭魂神社の背後には、照葉樹林の森の中に楠の巨木が立っていた。熱海の今来神社の大楠もそうだけれど、海人は移動しつつ舟材の楠を移植して行っている。たくは楮のことで、たく衾が古代歌謡によく読まれているが、多久頭魂神社がそれに関連付けてよいのかよく分からない。

2016-04-29 20:27:54
胸の振り子 @soraigh

@soraigh 谷川健一の説によると、豆酘のつつとは蛇のことだという。対馬の海神は殆ど海蛇の伝承があるのでそうなのかも知れない。神社の近くに赤米の神田があったが、まだ田植えはされていなかった。

2016-04-29 20:37:17
白川静 @sizukashirakawa

【みさき(岬・崎)】海や湖などの中に突き出ている陸地。【み】は接頭語。【さき】は突出している先端のところ。そのような岩鼻のところは海難などが多く、これをうしはく神がいると考えられていた。

2016-04-29 21:11:47
胸の振り子 @soraigh

「みさき」や「おざき」だらけの対馬。

2016-04-30 00:23:10
胸の振り子 @soraigh

@soraigh 豆酘で地図まで書いてもらって、天道信仰の八丁角(郭)を探した。地図の縮尺と距離が任意なせいか探し当てるのに苦労した。龍良山の斜面の道なき道を登ってやっと到達。天童法師の入定の場所と言われている。山頂の向こう側には裏八丁角があり、母親の豊玉姫の墓とされている。

2016-04-30 05:02:00
胸の振り子 @soraigh

@soraigh 照葉樹林の森は戦後まで人が立ち入ってはならない土地だった。他に誰も人は見かけない。昼なお薄暗く、帰りに二度道を見失ったのだった。

2016-04-30 05:07:06
胸の振り子 @soraigh

@soraigh 龍良山の南に浅藻湾が広がり、その一番奥まった所が卒土(そと)と呼ばれる禁足地だった。宮本常一が「忘れられた日本人」で聞き書をした梶田富五郎のいた所。周防大島から遠く浅藻に漁に出ていた彼らがここに住み着く。卒土に定住したのは、地元民の集落では許されなかったからだ。

2016-04-30 05:20:53
胸の振り子 @soraigh

@soraigh 卒土は葬送地だったのだろう。浅藻には人が住む所、神が降り立つ杜、死者が葬られる海辺があって、神と死者の領域に人は入ってはいけなかったのだ。

2016-04-30 05:28:02
胸の振り子 @soraigh

@soraigh 浅藻から厳原へ戻って、西海岸の阿蓮(あれ、誕れ)へ行くのだが、書く時間がなくなった。

2016-04-30 05:34:50
胸の振り子 @soraigh

ホテルのトイレットペーパーの引き出しが三角に折ってあるのは、あれはたぶん汚れを祓っているのだ。対馬で気がつかなくてもいいのだが。

2016-04-30 05:43:25
胸の振り子 @soraigh

@soraigh 厳原は夜が早いので、韓国人旅行客がかわいそう。司馬遼の頃の70年代ならいざ知らず、今彼らが対馬に来て何を面白いと思っているのだろうか?

2016-04-30 05:51:36
胸の振り子 @soraigh

対馬の神社には皇紀千六百年碑とか砲弾碑、満州事変記念碑なんかが多い。阿比留氏が、対馬の原始的な神道を、中世に捻じ曲げ、さらに明治維新、戦前と捻じ曲げて行った結果か。現在は3K新聞の阿比留氏が同じことを踏襲している。

2016-04-30 10:58:16
胸の振り子 @soraigh

韓国人旅行客の集まる厳原のショッピングセンターで、旭日旗、日の丸の鉢巻の男あり。

2016-04-30 10:59:24
胸の振り子 @soraigh

@soraigh 対馬の小字名は、ホント、汚れた心を洗い清めてくれるようなり。

2016-04-30 11:02:59
胸の振り子 @soraigh

風が強い。北部の佐須奈港にたどり着いた。きびしいぞ。

2016-04-30 17:47:50
胸の振り子 @soraigh

@soraigh 集落には食べる所が2店しかない。入るのにちょっと勇気がいるような中華飯店に入ったら、これが逆に当たりだった。こういうの、割とツイてる方なんで。

2016-04-30 18:07:32
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