胸の振り子さんによる対馬の旅とその解説
旅館の子が、ピアノで、悲しみのない自由な空を飛んで行きたいと弾き語りしている。対馬で他のホテルはどこも空いていないので、北端の佐須奈になったのだが、ここで、この歌を聴くなんて、予想もできない、奇想天外ではないか。日本ってすごかとです。
2016-04-30 19:03:50今日は厳原から北上し、浅茅湾の地峡、大船越の瀬戸、万関橋、西の漕手、小船越を見、仁位の和多都見神社、木坂の海神神社、佐護の天神多久頭魂神社をたどり、佐須奈港へ。
2016-04-30 23:04:55@soraigh 対馬は沖縄のように高速に乗って南北を往き来できるわけではない。うねうね続く国道を登ったり下ったりカーブしたりを延々繰り返して北上する。疲れる。しかし宮本常一が昭和25年に来た時にはこれもなかった。
2016-04-30 23:34:13@soraigh 佐須奈港は最北端ではないのだが、釜山港へは最も近い位置にある。江戸時代には朝鮮への交易船はここから出ていた。ところが当時の施設も痕跡も一切何も残っていない。資料館もなし。
2016-05-01 00:38:41@soraigh 宮本が来た時には、唄の上手な老女らがいて、その唄を夜更けまで聴いている。翌日別れの時に、宮本は老女から、あんなに楽しかったことはなかった、わたしもあなたのことを決してわすれないでしょう、あなたも忘れないでくださいと言われたのだった。
2016-05-01 00:43:43@soraigh 宮本はバスの他に、徒歩、自転車、それから船で集落間を移動している。中世、近世の対馬は陸路を往き来するのはやはり大変なわけで、船の移動ではなかったか。
2016-05-01 00:47:23@soraigh 今回、永富久恵氏の対馬の著書に非常に興味を持ったが、海神神社のある木坂の港近くの集落で、永富久恵の門札の掛かった家を見つけた。ところが玄関は草むし、家瓦は崩れて人気がしない。その後峰町の歴史民俗博物館の冊子で昨年四月永富氏が亡くなっていたのを知った。
2016-05-01 00:52:29@soraigh 対馬の人は、昔はお伊勢参りを盛んにやったそうで、帰りに大阪で船待ちになる。道頓堀であれやこれや芸能を見て、覚えて帰る人があったよし。
2016-05-01 00:58:24@soraigh 宮本が対馬に渡った昭和25年は、直前に朝鮮戦争が始まっている。宮本は半島から聞こえてくる大砲の音や、米軍なのだろうか艦船が海上を進む姿が見えたことを書いている。
2016-05-01 01:01:58@soraigh 永富氏は、司馬遼の「街道を行く」のお供に登場する。永富家は代々、海神神社の社家を務めた家で、永富>ナカトミ>中臣とも取れる。中ツ臣とは、文字通り人と神との間を取り持つ者だからだ。
2016-05-01 05:13:39佐須奈港の海に面した旅館。夜半に強い風音が続き、それが止むと、今度は犬が長いこと吠えていた。今朝は、トンビがピーヒョローと鳴く声が聞こえる。
2016-05-01 05:43:28佐須奈から鰐浦、豊、泉、比田勝。宮本常一がまめに訪れた、小さな浦々の集落。そのまま北部東海岸沿いに南下すると、また色々面白い集落があるのだが、時間がなく、再び国道382号線へ戻る。
2016-05-01 10:07:291) 万関水道。帝國海軍が1900年、ロシアのバルチック艦隊を迎え撃つために地峡部に掘削した運河。浅茅湾の最深部と対馬海峡とを艦船が往来できるようになった。対馬空港の滑走路がほぼ平行に走っているが、全長は運河の方が短い。 pic.twitter.com/V9KC0nDKYJ
2016-05-01 15:12:08@soraigh 2) 大船越瀬戸。対馬は西側の複雑なリアス式海岸の浅茅湾が幾つかの地峡部を作っている。1671年対馬藩が、それを掘削して東西の交通ができるようにした。元々は干潮の時には干潟が現れ、満潮の時だけ船が往来出来た。 pic.twitter.com/n1IoExOAzG
2016-05-01 15:27:14@soraigh 大船越の漁村。イカ釣り船が沢山接岸している。口止番所小屋跡あり。 pic.twitter.com/Rvj5bw7tFQ
2016-05-01 15:29:58@soraigh 3)小船越。古代の遣唐使船や遣新羅船は東海岸の鴨居湊から岸伝いに小船越までやって来て、ここの地峡を西海岸へ渡った。小さな船は曳いて運び、大きな船は下船して、改めて西海岸の船に乗り替える。 pic.twitter.com/F5jtA8FrpU
2016-05-01 15:59:33@soraigh 西海岸の方を西の漕手(出)(にしのこいで)と言った。 pic.twitter.com/MK7DLiR9M1
2016-05-01 16:02:52@soraigh 西の漕手の側が一箇所切り通してあって、小船越側は海岸まで降りになる。拙者でもボートくらいなら船引き出来ると思ったのであった。 pic.twitter.com/knuP1wHWw9
2016-05-01 16:20:44@soraigh 小船越の直ぐ隣の丘上には阿麻氏留神社。 pic.twitter.com/ZSyoWRzWUQ
2016-05-01 16:25:14