高い知能を持つイルカを狩ることが罪深い行為だとみなされる理由について

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アトレティコ・アドリー @rrrt77

自我とは人間が生命の核と認知する存在である。場合によっては自我は生命体本体よりも 尊ばれる。脳死患者から臓器を摘出し、これを欲する別な患者への移植手術 が認められてはじめている事実からもその確固たる思想が伺える。

2016-05-07 11:40:08
アトレティコ・アドリー @rrrt77

人間の脳が機能を停止し もって自我と呼ばれる存在がこの世から消失したものと見なされれば 仮に脳以外の人体が生きており、個々の細胞がどれだけ生きたがっていてもその欲求は無視される。

2016-05-07 11:40:34
アトレティコ・アドリー @rrrt77

我々は高度に成長しきった脳にのみ人間の、そして生命価値のありかをもとめ、細胞の自我=生きようとする営為に目をくれることはない。より高度な知能と自我を有すると想像されるイルカの殺生はその他の生物の殺生よりも罪が重いと考え捕鯨について国際的な議論が巻き起こるのもこの部分から来ている。

2016-05-07 11:41:21
アトレティコ・アドリー @rrrt77

そこですべての命は平等であるのだから、イルカだけを特別視するのはおかしいとの反論はあっても人間はより高度と思しき自我=「苦痛をより精緻に、より強烈に感じる可能性のある主体の所有者」を殺生することへ対し、理屈抜きの拒絶反応を示す傾向がある。

2016-05-07 11:42:16
アトレティコ・アドリー @rrrt77

共感を極限まで発達させれば、「苦痛」は自分の身に降りかかりさえしなければいいものではなく自らの近縁者や、人間社会全体を越え、それを感じうる存在すべての心中に発現してはならない絶対悪とみなされるようになる。

2016-05-07 11:45:14
アトレティコ・アドリー @rrrt77

他者へ対する加虐、殺戮行為への忌避は、正義心の発露ではなく 他者の苦痛を共感することにより 自分の自我までもが不安定にさせられることを回避しようとする我が身可愛さから来ている

2016-05-07 11:52:45
アトレティコ・アドリー @rrrt77

とはいえ現状この我が身可愛さだけが、地上で惨たらしい虐殺が発生することを止める唯一の防波堤であり、その存在を否定することはできない

2016-05-07 11:54:00
アトレティコ・アドリー @rrrt77

イルカ漁に目の色を変える反面、小魚やプランクトン、バクテリアの生死に頓着しない人間が現れるのは、後者の生物群がイルカほど人間の自我の共感を寄せ付けない、端的に言えばそこまで人間と似ていない側面を有しているからである。

2016-05-07 11:54:41
アトレティコ・アドリー @rrrt77

しかしながらこれは単純に人間の想像が及ばないだけの話であり 実際に微生物が死に際して人間が感じるものと同等の苦痛を覚えているかどうかについては誰にもわからない

2016-05-07 11:55:00