編集部イチオシ

戦後マンガ史研究においてプランゲ文庫@国会図書館は「使える」

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伊藤 剛 @GoITO

『かわいそうなぞう』刊行が昭和26年。9月8日サンフランシスコ講和条約調印。刊行が調印前か後かはネットではわからず。 反戦童話「かわいそうなぞう」が露呈した戦後平和教育の欠陥 vergil.hateblo.jp/entry/2016/05/…

2016-05-08 09:49:34
伊藤 剛 @GoITO

昭和20年代の文化的な諸々については、社会のいろいろの動きが速いというか、あっちへ行ったりこっちへ行ったりなので、一年どころか半年のちがいが意味を持ったりするので要注意。このことは、たとえばトキワ荘の先生方の証言(当時こどもだった)をもとにマンガ史を書こうとすると見えにくくなる。

2016-05-08 10:00:48
伊藤 剛 @GoITO

具体的には、たとえば手塚の初期SF三部作『ロストワールド』(1948)『メトロポリス』(1949)二作と、『来るべき世界』(1951)との間には線が引かれる。冷戦の開始がはっきりして以降かどうかということだが、戦後サブカルチャーに引き継がれたとされる終末観は『来るべき世界』から。

2016-05-08 10:04:59
伊藤 剛 @GoITO

『ロストワールド』には終戦前の習作が存在することがよく知られている。直接実証できる資料が残っているかどうかいますぐ確認できないが、『メトロポリス』も終戦前にアイディアはあったはず。ところが、これら二作と『来るべき世界』が「初期SF三部作」とまとめられることで差異が見えなくなる。

2016-05-08 10:08:53
伊藤 剛 @GoITO

このあたり、とくに昭和20年代の占領下日本については私も「にわか勉強」なので偉そうなことはひとつも言えないのだが、昭和20年代以前の「見えにくさ」は、一般に言われる「戦後ストーリーマンガ」という認識自体が1960年代後半以降のもので(続く

2016-05-08 10:13:21
伊藤 剛 @GoITO

続き)それから約十年間の間に「戦後ストーリーマンガ史」が成立したことに由来するのではないかと考えている。一方、私がいま「マンガ史」と取り組まなければならないのは、半分は授業を担当したという要請によるものだが、学生さんの世代はすでに「戦後」という時代認識を共有していない。(続く

2016-05-08 10:15:35
伊藤 剛 @GoITO

続き)それは「えっここから説明しなきゃなんないの?」という面倒を伴うものだが、逆に、これまで無意識的な前提とされてきた「戦後」という枠組みの軛からは相対的に自由になりやすいということでもある。そこでまず、「戦後ストーリーマンガ史」はどのように語られてきたか? から洗った次第。

2016-05-08 10:17:21
伊藤 剛 @GoITO

とりあえず、おわる。オチはとくにありません。 でも、こういうことを考えるようになったタイミングで、国会図書館でプランゲ文庫のデジタル閲覧ができるようになり、占領下日本のマンガが読み放題になったとことは、ラッキーだったと思ってます。 rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/P…

2016-05-08 10:19:46
伊藤 剛 @GoITO

本当に、プランゲ文庫@国会図書館は使えるんですよ。たとえば「手塚治虫が島田啓三に『新宝島』を見せに行って『こりゃ、漫画の邪道だよ。こんな漫画がはやるようになれば大変なことになる』と言われた」という逸話は、自伝でよく知られていますが(子供向けの手塚の伝記にも書かれている)、(続く

2016-05-08 10:25:49
伊藤 剛 @GoITO

続き)この逸話は、旧世代の作家である島田啓三が、新しい表現である『新寶島』を認められなかった…という意味合いで受け止められています。その当時(手塚の島田訪問は昭和22年8月)、当の島田啓三がどういうマンガを描いていたか? には関心が向けられることもなく、です。(続く

2016-05-08 10:32:52
伊藤 剛 @GoITO

続き)ではその時期の島田啓三のマンガは…というと、こんな作風なんです。驚くでしょ。(『謎の黒人形』鈴木仁成堂、1948、pp.34-35) 島田啓三といえば『冒険ダン吉』で、その紙面も知っていて、それと『新寶島』を比較していると。 pic.twitter.com/bIn1lerl9e

2016-05-08 10:41:38
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伊藤 剛 @GoITO

続き)『冒険ダン吉』連載期間は、昭和8~14(1933~39)年。日米開戦より前、手塚の訪問より十年以上前です。私たちは暗黙のうちに「島田啓三は、戦後も『冒険ダン吉』のような作風・表現形式だった」と決めてかかっていたようです。 kosho-ogawa.up.n.seesaa.net/kosho-ogawa/im…

2016-05-08 10:47:27
伊藤 剛 @GoITO

続き)ところが、実際はちがっていたのですね。「映画的」とされるカメラワーク、モブが登場するアクションシーン、科学的なガジェット等、「戦後、手塚治虫がはじめてマンガに導入した」とされてきたものが、『謎の黒人形』にあることが見てとれます。twitter.com/GoITO/status/7…

2016-05-08 10:51:35
伊藤 剛 @GoITO

続き)マンガ史研究者の宮本大人さん@hrhtm1970は、手塚が『新寶島』を持って島田啓三(と、新関健之助)を訪問したのは、「自分と作風が近いと思ったからではないか」と推測しています。田河水泡や大城のぼるではなく、ということですね。

2016-05-08 10:54:04
伊藤 剛 @GoITO

続き)ということで、プランゲ文庫@国会図書館は「使える」という話でした。しかも「こんなマンガあったんかー!?」という驚きと、読めば読むだけ面白いという「たのしさ」があります。国会図書館、通ってまうやろというやつですねw rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/P… (おわり)

2016-05-08 10:56:25
伊藤 剛 @GoITO

いま連投したような話は、今月28日の東京工芸大学芸術学部春季公開講座「意外と知らないマンガの歴史」でしますよ。マンガ学科のほかの先生方の講座とともに開講です。どなたでも受講できます。 お申し込みはこちら(5月11日まで)→t-kougei.ac.jp/guide/extensio…

2016-05-08 11:26:36
nomah @nomaht

@GoITO Google Books にある関連書を検索しただけの粗雑な印象ですが、手塚本人は違う理解をしていたように思えました。 books.google.co.jp/books?id=ASPXA… (『手塚治虫対談集3』175ページ) 島田は手塚と並列で『謎の黒人形』の作風になったのでしょうか?

2016-05-08 11:24:30
伊藤 剛 @GoITO

@nomaht うーん。この対談自体は仔細に検討したことがまだないのですが、手塚の発言、単行本形式の赤本でのページ数の話をしているのがいつの間にか雑誌のページ数の話になっているので、あまり額面通りに受け取れないように思います。

2016-05-08 11:34:46
伊藤 剛 @GoITO

@nomaht 『謎の黒人形』が126ページあることを考えても、この対談での手塚の発言は少々「?」になりますよね。また、島田啓三や新関健之助に批判されたという話も、手塚本人の語りしか典拠がなく(少なくとも、島田・新関側の証言は未発見)、手塚の話も場所によって微妙に異なります。

2016-05-08 11:37:30
伊藤 剛 @GoITO

@nomaht 「並列で」という意味が何通りかに取れますので、そもそもお答えのしようが難しいのですが、島田啓三は一例にすぎないんですよ。

2016-05-08 11:45:46
nomah @nomaht

@GoITO ありがとうございます。やはり広範な調査が必要ですね。 『謎の黒人形』は1948年とありましたので、1947年初版という『新宝島』との前後関係はどうだったのかな? と思いました。

2016-05-08 11:45:21
伊藤 剛 @GoITO

@nomaht そうです。一人二人でなく、もっとマンガ研究のプレイヤーが増えてくれないといけないんです。

2016-05-08 11:51:50