丹生谷貴志ツイートまとめ(2016年4月)

丹生谷貴志さんの2016年4月のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

余談。大正教養主義という古い言葉があり、それは滅んだかと言えば、今は年齢拡張と対象移動が起きてサブカル系オタク系etcとして隆盛しているので、近代日本人の教養主義は健在、本が売れないなんて嘆く必要もなく、教養がないと話題に入れないという社会形態も健在、近代日本のグッジョブでしょう

2016-04-02 11:34:11
nibuya @cbfn

春の頭、くだらない話。クレタ島の遊び。「世界はむなしい・世界には意味がない」という言明じたい世界に属している以上、「世界はむなしい・世界には意味がない」という言明も「むなしいし意味がない」と見なさなければならない。

2016-04-02 13:28:50
nibuya @cbfn

「高度資本主義社会においては一方的な労働搾取は能う限り縮小されるかもしれない。そこで搾取されるのは「真理」と「存在」である。従って革命の最終段階は「真理」と「存在」の場で起こらねばならない」なんて言葉を読んだ記憶、どこでか、ブルトンだったか、探す気力はないが・・・

2016-04-02 13:35:07
nibuya @cbfn

本占い? 本をでたらめに開く。「例えば無限大の蝿の存在を確信してはいけないというのか?」、これはスピノザ。このころの文章に「蝿」がよく出てくるのは当時、蝿が多かったということから来るのだろうか。「宇宙に蝿一匹しか存在しないとしても神はその蝿のために懊悩する」エックハルト・・・

2016-04-02 13:44:25
nibuya @cbfn

超微速度撮影並みの速度で『狂気の歴史』原書読み直し。原文熟読なんて格好よさ?じゃなく、ただでさえ頭悪いのに根気が無くなって1日20頁なんて体たらく。ただ、フーコーの論考を絵画や文学作品では何となく並行出来ても、古典主義時代の音楽と、自分の頭の中で完全に並行出来るかが試みでもあって

2016-04-03 21:18:09
nibuya @cbfn

余談。ふと神戸に来たばかりの記憶、赴任と言えば格好いいが無職者が遠路電車賃に有り金はたいた無一物と言うのが正確の所、古い団地に落ち着いた一ヶ月は毛布と少しの本、外食出来ない性格、二日に一食でも平気なので食は問題ないが風呂を沸かすと先住者の髪の毛がビッシリ浮かんで来た、何と理想的!

2016-04-04 06:52:59
nibuya @cbfn

余談続き。今少し正確に言うと神戸に着いた当日は、今は東大の木下直之の塩屋の家に泊めてもらい、それから夜明けに明石近くの山の団地。海に囲まれて間近に見える丘陵が陸続きではなく淡路島だと知ったのはかなり後だった。太平洋ばかり見てきた目に播磨灘は拍子抜けした。酷く寒い春先だった記憶。

2016-04-04 07:05:41
nibuya @cbfn

余談最後。神戸に着いた当時、体型は全く拒食的ではないのに拒食に似た嘔吐発作があり、生まれて何度目かの決意で食べた外食が失敗、港に続くらしい橋桁の陰で延々嘔吐、人が見たら二日酔いにしか見えなかったろう。さすがに、一体自分は何をしてるんだと、苦笑より先に変に茫然とした記憶が、未だ。

2016-04-04 07:35:42
nibuya @cbfn

東京マンション下からジョヴァンニ・シドッチらしき人骨が見つかったというニュース。坂口安吾『イノチガケ』の主要人物。当時「今殉教ができる土地は日本だ」といって禁制下の日本に来た最後のカトリック修道士の一人。別に「歴史のロマン」なんてものを感じる人間ではないので、ただだボッとする。

2016-04-04 15:50:44
nibuya @cbfn

具体を統計で抽象しそれを具体に適用しその結果を再度統計によって抽象し、これを繰り返すことによって具象と抽象の差異を消去して行く試行、これが20世紀以降の時空を形成しているとして、結果、具量と抽象は区別がつかなくなり、無論この事態そのものは本質的に抽象的であるのだから・・・

2016-04-05 15:04:06
nibuya @cbfn

職場に石川義正『錯乱の日本文学』が届いていた。遅ればせ、多謝。久しぶりに「完璧」と思える”日本現代小説批評”。書き手自身が二度とここから出られない建築を作り上げてしまったかのような完璧さ。残余として背後のない壁を肯定することだけが残る。尤も、壁のこちら側には全世界があって・・・

2016-04-06 19:04:12
nibuya @cbfn

勝手な印象ですが三島由紀夫の小説にはどこか妙な「本質的不マジメさ」があって、それは彼が”娯楽”劇作の名手であったことが無関係ではない気がします。大江さんは「オペレを作る」なんて文章書いてますが、戯曲は書けない人だと思う、村上春樹さんも書けそうもない。小島信夫さんの劇は下手だと思う

2016-04-07 00:23:52
nibuya @cbfn

・・・ああ、マルケスが日本に来た時、彼は安部公房さんと新宿の飲み屋かで喋ったのか(通訳付きでしょね)、ともかく人生であんなに笑ったことはザラにないと書いていた記憶があります。いうまでもなく安部公房も劇作の名手だった。今の小説家で劇作もうまい人は日本にいるのか・・・頑張れ島田雅彦!

2016-04-07 00:35:23
nibuya @cbfn

・・・谷崎さんも戯曲うまかったか。鏡花は無論・・・。

2016-04-07 00:40:34
nibuya @cbfn

村上春樹を巡る石川正義さんの精緻な”解”。村上春樹を”批評的に”語ることの一種の徒労感を納得。石川さんの読みが達した視点とは別に、僕は村上さんの小説に例えば「歌詞カード付き」のビーチボーイズやらキンクス(!)やらに似たものを感じつまり「好きか嫌いか」があって批評は無意味ということ

2016-04-07 09:24:55
nibuya @cbfn

「真面目に取る必要はない」ということ、これは批判ではなくてホイジンガ的な意味での高度の文化状態でもあるだろう。村上さんの小説に欠点があるとすれば、それが昔のオープン・マイデッドな学級委員のように生真面目だという点にある感じ、だろうか。・・・ま、これは起き抜けの戯言、お読み飛ばしを

2016-04-07 09:52:25
nibuya @cbfn

学校に着いたら爆弾低気圧(情ない名)ですでに休講、結局西神戸-摂津間往復150キロの六甲山超えアンチャーテッドなツーリングの1日、だと思うことにする。車重三百キロちかいバイクが横に振られるのだから結構な突風が山上路ではランダムに吹いてました。カイカン! とでも思わなきゃあ・・・

2016-04-07 14:43:04
nibuya @cbfn

音楽を聴くことに興味を持つ者の急速な減少を示す数値、と言っても音楽ソフトを巡るケチなマーケッティングの話。「音楽をイヤでも聞かされている」とすれば私らの生活は音楽の鳴っていないところを探すほうが難しい。音楽の帝国、或いは音楽の煉獄。要は「音楽の配置」の問題? 意外に重要な事態?

2016-04-07 20:19:13
nibuya @cbfn

余談。かつて宮川淳が「芸術の消滅の不可能性」と書いた時彼の言明は或る極限を思念に置いた言明であり、しかしその極限において言語的であれ形象としてであれメディウムの介在が必然である理由は多分、ない。だとすれば「外的形象としての芸術の消滅」を確認することは宮川淳の言明と何ら矛盾しない。

2016-04-09 19:51:06
nibuya @cbfn

余談。アートとは世界が存在することと存在しないこととを一致させまいとする「技巧」であったとする。20世紀半ば以降、世界の存在と非在は一致し始めたように見える。アートは今やその一致の開示となる。アートは「この世界」の存在継続の技術であり、それが存在と非在を一致させ始める、とすれば?

2016-04-09 20:02:07
nibuya @cbfn

如何なる比喩もなしに、むろん一切の感情移入や擬人化もなしに、”昆虫の生活史”のように”歴史”を読み取ること、”昆虫の世界”のように”世界”を読み取ること。「永遠の相の下に」! 「幸福なポジティヴィスト」という言葉の意味・・・ニンゲンを「人間」から奪還すること・・・

2016-04-11 21:35:40
nibuya @cbfn

「狂気」が誤認を現実と確信し続けることを本質とするとすれば、例えば今この位置で秒速400m近い速度で自転移動しているという事実を認識できず「自分は座っている」と認識している私たちは本質的に「狂気」を生きていることになるのか、或いは絶えず秒速400mを認識し続けることの方が狂気か?

2016-04-14 08:50:30
nibuya @cbfn

下らない論理。言葉にしようのないものが「真実」なら言葉の目的は言葉の沈黙であり消滅であることになる・・・以下同文。世界の目的は消滅ということになる、以下同文。「胡蝶の夢とて、なんぞ、在るうちは巾着の紐引き締め・・・」etc...うろ憶えの樋口一葉さんの開口の一行・・・

2016-04-14 10:04:58
nibuya @cbfn

「やつらが人間同士、”人間”についてどう思いどう付き合おうと構わないし知ったことではない、そりゃ人それぞれってもんだ。だが、やつらが”人間”について分かった風な口をきくそぶりをオレに見せたらそれを許す気はないってことさ」、これまた啖呵だが、どこで読んだのか、思い出せない・・・

2016-04-16 09:56:34
nibuya @cbfn

で、記憶のパロディ「奴らが映画や絵画や小説をどう見ようとどう読もうと一向に構わないし知ったこっちゃない、人それぞれってもんだ、でも奴らが分かった風な口を・・・」云々。大西巨人風に言えば「俗情とその結託」こそが「よく喋り」普遍性を渇望し瀰漫しようとする。敵の位置だけは判明する・・・

2016-04-16 10:39:10