【本多勝一様への返書⑦】天皇制は日本人の逃げ場/~「天皇の責任を追及することは私の責任だ」と言うことによって「責任が解除される」と信じている本多勝一は形を変えた天皇制支持者である~
- yamamoto7hei
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①【天皇制は日本人の逃げ場】前にも申しましたが、私が本多様のルポを『諸君!』で取り上げようと最終的に決心しましたのは、ここであり、「またか!」という一種のショックに似たものを感じたからです。<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』
2016-05-11 20:09:10②個人の名すら明記できない者が、天皇の責任を追及するなどと壮語しても所詮それは遁辞にすぎない。 例によって例の如く、結局は「天皇の責任」「私たちは被害者」へ逃げてしまう。 しかし本当の所は、天皇へ公開書簡一本を送ることすらしない。
2016-05-11 20:38:50③かつては「天皇への忠誠…」ですべての責任は解除され、今は「天皇の責任」ですべてが責任を解除される。 この行き方はさまざまに形を変えながら日本の基本的体制として存続しているわけで、私はこれを「天皇制」と呼んでおります。
2016-05-11 21:09:06④天皇制はいわば日本人の「逃げ場」であり「聖壇の香炉の角(つの)」と非常によく似た働きもしているように思われます。 従って本多様のように「天皇の責任を追及する事は私の責任だ」と言う事によって「責任が解除される」と信じておられる方々は、形を変えた天皇制支持者になりますから、(続
2016-05-11 21:38:52⑤続>本多様が活躍されればされるほど皇室は御安泰、まことに「君が代は千代に八千代に…」であります。 もう二十年以上昔に、このことを「天皇制無責任体制」と言った人があります。 この体制は「無責任」とは少し違うと思いますが、大変に示唆に富む表現です。
2016-05-11 22:09:03⑥また「日本人・古女房説」というのもありました。 誤解なきよう申し添えますが、これらはいずれも「旧聞」であり、私もほとんど忘れておりましたが、本多様が思い起させてくださいましたのです。
2016-05-11 22:38:53⑦この「古女房説」によりますと、日本人は天皇の二千年来の古女房のようなものだそうであります。 従って「天皇の責任迫及」とは結局は、隣家へ行って惨憺たる有様を見た古女房「本多の局」が、 「とんでもないやつです、うちの亭主は!あたしこそ被害者なんですから!」
2016-05-11 23:09:17⑧「帰ったら徹底的に糾弾し、とっちめて、叩き出してやります」 と言って帰宅しながら、御亭主には面と向って何一つ言えず、逆に御亭主に背を向けて、隣家に接した壁に向って大声で壁訴訟をやり、それで「責任解除」と考えている、ということになります。
2016-05-11 23:38:53⑨だが中国人が、それを真にうけるほど間抜けだと考えている者がいたら、そう考えている者が間抜けでしょう。 殷鑑遠からず、毛沢東と最も親密であった日本人、野坂参三氏のことを思い起せば十分でしょう。
2016-05-12 08:09:10⑩共に同一の主義を奉じ、しかも同文同種のはず、さらに延安時代に同じ釜の飯を食った同志であったはずの、この二人のその後の間柄を。 ――だがこの問題について議論をする必要はないでしょう。 五年もたてば結果はおのずと明らかになりますから。
2016-05-12 08:38:49⑪その頃は全日本人が既に『中国の旅』を忘れ、本多様の公開状も私の公開書簡も忘れているでしょう。 私は「旧聞記者」ですから、それから更に十年後ぐらいに、この問題の展開の跡をたどってみたいと思います。 そして中国人も恐らくその頃に、この問題の展開の跡をたどっているでしょう。
2016-05-12 09:09:12⑫一つの問題を探究するにあたって、十五年は、われわれにとっては、むしろ短い期間ですから。 しかし私は、もちろん、「天皇制無責任体制説」も「日本人古女房説」も、一面を表わす示唆に富む一説にすぎないと考えております。
2016-05-12 09:38:51⑬私はやはり漱石の見方が正しいと思っておりますが、なぜそれを正しいと考えるかを、ここに詳述する必要はないと存じます。 ただ本多様の一文は、すでに忘れかけた古い説を思い起させてくれました。 あまりに「絵にかいた」ようなので。
2016-05-12 10:09:01