森村泰昌連続講座「新・美術寺子屋/自画像の話」第8回「ニッポンの自画像~時代が青春であったとき」[実況]

ustreamでリアルタイムストリーミングされた講義を聴取しつつ実況ツイートしたのでまとめ 2016年6月5日(日) 14:00~ 国立国際美術館
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国立国際美術館 @nmaoJP

【本日開催】14時より森村泰昌連続講座「新・美術寺子屋/自画像の話」を開催。今回のテーマは「ニッポンの自画像」。※無料(要本展観覧券)・先着130名・Ust中継あり・詳細は→ morimura2016.com/event.html pic.twitter.com/zQk5XIUis6

2016-06-05 10:01:07
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国立国際美術館 @nmaoJP

このあと14時より開催の森村泰昌連続講座「新・美術寺子屋/自画像の話」では、Ustream配信を予定しています→ ustream.tv/channel/nmaoJP

2016-06-05 13:00:41

実況ツイートはその場で話を聞き書き起こしているため、誤字脱字、筆者の誤読等あり、発話者の意図と異なることもあります。

ここから実況しています。


みそむーおでん @misoni_2013

森村泰昌の新美術寺子屋、Ustream中継がされているのでそれを聴取しつつ実況したいと思います。 「ニッポンの自画像~時代が青春であったとき」 ustream.tv/channel/nmaoJP

2016-06-05 14:05:07
みそむーおでん @misoni_2013

レンブラントの作品に扮した私の作品。 それはレンブラントへ「私」と、森村泰昌の作品であるという「わたし」この2つが同居しているという面白さ。展覧会のタイトルでもある

2016-06-05 14:06:13
みそむーおでん @misoni_2013

これまでは漢字の「私」の話、つまり扮している作家そのものの話をしてきた

2016-06-05 14:06:49
みそむーおでん @misoni_2013

筆者)特に注がなければ森村氏の発話を実況したものです

2016-06-05 14:07:12
みそむーおでん @misoni_2013

今回はひらながの「わたし」、つまりわたし自身(森村泰昌自身)の話をしたい。

2016-06-05 14:07:46
みそむーおでん @misoni_2013

本展新作には近代洋画家を取り上げた。 明治・大正・昭和、その自画像をテーマとしてセクションにしてる。青木繁、松本竣介、彼らにひらがなのわたしを繋げたい。

2016-06-05 14:08:41
みそむーおでん @misoni_2013

筆者)以下の「わたし」は森村自身のことを指すのだと思う。 「わたし」語りとなるので雑談をしたい。 昭和26年生まれ、戦争終了後の6年後に生まれた。戦争を知らない世代だし、また戦後すぐなので混乱と不安の状態だ。しかし6年経っているので随分落ち着きつつある時期だ。

2016-06-05 14:10:15
みそむーおでん @misoni_2013

まだだ未知数だが一生懸命働けば次のステップはあるのでは、とみな思い始めた時期ではないか。

2016-06-05 14:10:48
みそむーおでん @misoni_2013

1953年、テレビが放映開始 1956年、ナショナルゴールデンアワーが放映される。後のナショナル劇場。月曜8~9時。(後に水戸黄門枠となる)。松下電器産業が提供しそのコマーシャルが冒頭にながれる。ちょっと歌ってみましょう~

2016-06-05 14:12:31
みそむーおでん @misoni_2013

あっかる~いなっしょなる~♪ らじおてっれび~なんでもなっしょな~る♪というもの

2016-06-05 14:13:00
みそむーおでん @misoni_2013

もう一つこれに対抗して東芝日曜劇場が1956年に始まる。 後に時間ですよという銭湯を舞台としたドラマの枠。 コマーシャルソングがここにもあった ひっか~るひかると~しばまわ~るまわるとうしば~♪

2016-06-05 14:14:21
みそむーおでん @misoni_2013

明るい、光る、電機メーカーなのでそうなのだが、未来を明るく照らす、その感覚が入ってたのだろう。日本人がそれをイメージできる環境になりつつありだからこそのコマーシャルソングだ。

2016-06-05 14:15:18
みそむーおでん @misoni_2013

1951年、私が生まれた年だが、手塚治虫がアトム大使を描く。 1952年、アトム大使が鉄腕アトムとなり少年へ連載開始され、1968年まで継続される。私の子供時代がカバーされるような。 1954年、映画ゴジラが上映されている。

2016-06-05 14:16:26
みそむーおでん @misoni_2013

今考えれば複雑だ。 アトム、原子力発電、ゴジラは原子爆弾を想起させる。 複雑なものをはらみつつ未来を目指す、「戦後」という時代が始まり、そこに私は生まれた。 未来に向け前向きになり頑張ろうとする時代だ。そこで何を目指すかそれは豊かな社会になることだ。

2016-06-05 14:17:28
みそむーおでん @misoni_2013

豊かになるためには、アメリカ・ヨーロッパに学ばなければならないと皆かんがえたのではないか。つまり戦争中の精神主義では勝てないと学んだからだ。 精神主義とは日本は神の国であるから、どうしようもないときには神風が吹く、そして救われるという、あるいは気合入れたら勝つで、ってこと

2016-06-05 14:18:35
みそむーおでん @misoni_2013

相手は機関銃もってても竹槍で気合入れたら勝てると、信じていた、というより信じさせられていた。でも結局勝てなかった、と

2016-06-05 14:19:08
みそむーおでん @misoni_2013

筆者)マッカーサーと昭和天皇が並ぶ写真 この写真を見た時に、日本人は驚いただろう。あんな大きかったんだ、と。あんなごっつい国と戦ってたんだあかんわ負けるわな、と痛感した。 こんな強国と小さな我々が戦った割にはだいぶ頑張ったやんかという善戦したという思いもあったろう

2016-06-05 14:20:24
みそむーおでん @misoni_2013

日本の頑張りをもってすればいつか欧米並みの豊かな国になれる、と。 戦前日本が持ってなかったもの、政治制度・経済政策・文化、そしてこんなでかくなるには肉、コメよりパンというライフスタイルも含め学び身に付けること、それが戦後価値観になった。

2016-06-05 14:21:20
みそむーおでん @misoni_2013

戦ったのも、敗れたのも、学ぶべきものもアメリカ。 そのアメリカの更に向こうにあるのがヨーロッパ。 ここで注釈、アメリカやヨーロッパへ関心が注がれるほど無関心になるものがある。それがアジアに対する眼差しだ。

2016-06-05 14:22:00
みそむーおでん @misoni_2013

戦争の名前、それは大東亜戦争だった。 アメリカは大東亜は戦争中イメージが強いと指摘、日本は大東亜共栄圏を考えアジアを一つにしようとしていたことだが、そのため太平洋戦争という呼び方になった

2016-06-05 14:22:55
みそむーおでん @misoni_2013

しかし太平洋ばかりが戦地でない。 大東亜、東およびアジア、ここも戦地だった。 真珠湾攻撃が1941年にあるが、それ以前から日中戦争をしていた。 アジア、南太平洋が戦争の場所だった

2016-06-05 14:23:33
みそむーおでん @misoni_2013

中国では9月3日が抗日戦勝記念日、韓国は8月15日が光復節、光が帰ってくるつまり植民地から開放され光がよみがえる、と。 両国とも日本に勝ったという意識だ。

2016-06-05 14:25:41
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