信玄棒道 大門街道下~真田町~地蔵峠~海津城(松代)

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日光81 @nikko81_fsi

さて、土日の地蔵峠越えをば。都合により二日目から先に。大門峠を下って大門街道の先端である長久保はパスして、東御市の大屋駅から。千曲川にかかった赤い橋の向こうが大門街道の先っぽ。往時は渡しでもあったのでしょうか? pic.twitter.com/qPZdwUlNWP

2016-06-06 21:34:23
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日光81 @nikko81_fsi

しなの鉄道の線路を越えた先、河岸段丘を上がっていく道が古道なのでは、と。先ほどの千曲川を見下ろした高さからさらに上がっていくわけですね。脇には法華経が刻まれた碑。南無阿弥陀仏は見ますが、南無妙法蓮華経はこういう形だと初めて見たかも。 pic.twitter.com/bF62lvWMFw

2016-06-06 21:37:18
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日光81 @nikko81_fsi

河岸段丘を上がると、大門街道の出たところがよく見渡せます。 pic.twitter.com/z2JXuR9oaR

2016-06-06 21:39:03
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日光81 @nikko81_fsi

民家なので控えますが、六連銭を鬼瓦に掲げるお宅や、海鼠壁がよくある菱形ではなく丸型になっているお宅など棒道歩きとは別の意味でも楽しめるところがちょくちょく。んで、あれ・・・とわたしの武田菱センサーが反応!あ、あれは・・・ #武田旅 pic.twitter.com/TP8OWmmbLI

2016-06-06 21:43:13
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日光81 @nikko81_fsi

全宗院といいまして、お寺の方にお尋ねしたらなんと、武田龍宝公のゆかりのお寺。このあたりは海野に近く(スタート地点あたりが「本海野」)海野家を相続した龍宝さんの領地があったそうで、ここには潔泉院という庵があったそうな。#武田旅 pic.twitter.com/DlDH3gHkEq

2016-06-06 21:50:42
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武田家滅亡後の慶長十五年に、そのゆかりを本海野興善寺七世、通山全達和尚が開山となり、武田竜宝公を開基として再興。その際に堂に武田菱を掲げたそう。享保二年、明治二十三年に火災で本堂焼失、大正時代に再建。本堂がすごい立派。#武田旅 pic.twitter.com/um3GkVJ6P5

2016-06-06 21:55:49
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日光81 @nikko81_fsi

しかしここに龍宝さんのゆかりがあったとすると、いろいろ興味深いなぁ。まだハッキリ聞けてないからわからないけど。上田の武田味噌の方はこの龍宝の系統と聞いたことがあるのだけど、庵がここにあることと関係しないかな?とか。#武田旅

2016-06-06 21:59:32
日光81 @nikko81_fsi

さて、さらに進むといよいよ小県郡真田郷。気持ちのいいくらいまっすぐした道であるところも。でもこうしたお地蔵様や庚申塚があることから、古い道なのだろうなぁと。そして龍宝さんの庵があったこともこの道かもという思いを強くさせる。 pic.twitter.com/5hXUKJ9brt

2016-06-06 22:03:09
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日光81 @nikko81_fsi

上信越自動車道との交点。この辺りが真田の里の玄関口になりそうな位置。地形を見ても、上田平から少し低く、そして虚空蔵山(あの真田丸で出てきたほうではない)が張り出し、入り口を狭めている。 google.co.jp/maps/@36.40629… pic.twitter.com/yOnrikdxKG

2016-06-06 22:08:24
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日光81 @nikko81_fsi

この狭い部分を抜けた先に瀧水寺。この裏山あたりに若き武田晴信は陣を張り、砥石城を攻めたとも比定できるかもとのこと。確かにまっすぐ先にハッキリ砥石城が見える(2枚目)。google.co.jp/maps/search/%E… #武田旅 pic.twitter.com/roOMUS6oiu

2016-06-06 22:17:21
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日光81 @nikko81_fsi

この先は、上州街道と松代道の分岐。待つ城・・・そう、目的に海津城が待つ方面へ! pic.twitter.com/4NCL75f7T5

2016-06-06 22:19:00
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日光81 @nikko81_fsi

この日は、信綱寺でゴール。約10kmの行程。おこうちゃんパパ・真田信綱どの・弟氏昌輝どのの墓参り。躑躅が崎のお水を供えてくださった方、ナイスすぎる・・・源太左衛門殿、娘さんが今年は大活躍ですよ!#真田丸 #おこう pic.twitter.com/3rG3LRfhjn

2016-06-06 22:23:34
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日光81 @nikko81_fsi

昌輝氏の供養塔は、昭和60年の建立。それまでは信綱夫妻のみ。真田幸雄建之とあります。こちら福井藩士として生き延びた信綱の家系の越前真田氏第十二代。血統的には昌輝の子が継いでいるらしく、まさに昌輝の子孫が建てられた訳です。 pic.twitter.com/meGQZdGhUM

2016-06-06 22:26:20
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日光81 @nikko81_fsi

さて戻って一日目。先にココに来たんですが信綱寺からショートカットして入軽井沢まで。ここ日曜日はバスがないんですよねぇ・・・あたりには旧道らしい土塁は土留めの石積みなどが新道の車道の脇に見えたりしてもうのっけから見所。 pic.twitter.com/PeCuA6OB2l

2016-06-06 22:29:44
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日光81 @nikko81_fsi

現地でぜってーこれ写真にしてもわかんねーだろうなぁ、と思ってやっぱりわからない。甲斐~信濃諏訪あたりの棒道にもみられた土塁と溝の一部と思われる部分が残ってる・・・んですけど。わっかんねぇなぁ。 pic.twitter.com/CJr7ZlNt6A

2016-06-06 22:33:40
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日光81 @nikko81_fsi

こちらあたりは車道が盛った上に作られて、旧道の一部がかなり下のほうに残ったんでは?と妄想。 pic.twitter.com/pJ3PTMYdZf

2016-06-06 22:36:02
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日光81 @nikko81_fsi

さて、車道とバイバイして、旧道へ。このお地蔵様の「善光寺」と書いてあるほうが目印。 pic.twitter.com/8Z42RGg80d

2016-06-06 22:37:55
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日光81 @nikko81_fsi

しばらくすると、舗装もなくなりますが車は入ってきている様子。その左手に・・・そう、こちらこそ目指すべき道。あの先には・・・ pic.twitter.com/gzAnn8bepM

2016-06-06 22:40:01
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日光81 @nikko81_fsi

左手に土塁のある道。ここはまだ土塁の形がわかりやすい。一部土留めの石垣も見られますぞ。 pic.twitter.com/0G2euXQzpO

2016-06-06 22:43:01
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日光81 @nikko81_fsi

さらに進むと、切岸がハッキリ確認できる道へ。おおお、すげぇ。お城をチョット知ってると楽しめる遺構。 pic.twitter.com/t3O4P2gZ29

2016-06-06 22:45:44
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このあたりから、轍もなくなって、そのまんまの道が!草もそんなにたいした長さではないので、見た目にも古道を歩いてる!という実感が高まってきますぞ。さらに先には・・・おおおお、なんという立派な残りっぷり。圧巻! pic.twitter.com/43wh1nftMH

2016-06-06 22:49:59
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日光81 @nikko81_fsi

さぁ、この急勾配の坂を一気に踏破!何か向こうにありそうな予感・・・!! pic.twitter.com/iFWrQAf2Si

2016-06-06 22:52:50
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日光81 @nikko81_fsi

きーまーしーたー!ココこそ、旧地蔵峠!気持ち的には新地蔵峠に対して、真・地蔵峠だ!といいたいくらい。善光寺平がハッキリ見渡せます。右手の山は形状から尼巌城でしょうか?とすると、海津城は少し左手奥、真正面が八幡原でしょうか。 pic.twitter.com/qMPl7vtvtJ

2016-06-06 23:02:59
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日光81 @nikko81_fsi

さて、ここから降るのがわりと難儀。ここまでかなり手入れされてるのか歩きやすかったんですが、降るところは藪藪。これ、松代方面から来ると上がり口わかりにくいだろうなー。降る部分以外はかなり急な斜面。 pic.twitter.com/4A3WLE3Q5g

2016-06-06 23:06:36
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日光81 @nikko81_fsi

降りてきて振り返ったらこれだもんなぁ・・・・行ける自信がない。 pic.twitter.com/z6k4tlxWyi

2016-06-06 23:08:42
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