熊野街道をゆく~紀伊長島歴史紀行~
紀北町長島/江の浦橋 江の浦橋の横に「濱口熊嶽師の像」というのがある。濱口熊嶽(1877~1943)は、気合で多くの病人を治療して一世を風靡したという霊術家だそうで、オカルトだが紀伊長島町史にも載っている。(学研ムーは85年3月号) pic.twitter.com/le8PQScr75
2016-05-20 22:22:33紀北町長島/江の浦橋 気合ではないのだが、子供の頃、魚の骨が喉に引っかかって取れず困っていた時、近所の爺さんのところに連れていかれた。爺さんは、まじないを唱えながらトンビの羽でワシの喉をさすった。ほどなくして魚の骨が取れて驚いた。 pic.twitter.com/qJyqSqLXpX
2016-05-20 22:32:02紀北町長島/江の浦大橋から 江戸中期の奇譚集「耳嚢」にある話 「子供などが喉に魚の骨を立てて苦しんでいるとき、『鵜の羽の羽がいの上に嘴(はし)置きて骨かみながせ伊勢の神風』と三辺唱えて撫でるとたちまち抜けるという。ある人が語った。」 pic.twitter.com/DDKf1DOWEh
2016-05-20 22:41:15紀北町長島/江の浦大橋から 「耳嚢」のまじないに出てくるのは「鵜」である。鵜飼いの鵜が魚を吐き出すところから来たのだろう。あのとき爺さんが使ったのはトンビの羽だったので、違うタイプのまじないだったかもしれないが、もうわからない。 pic.twitter.com/VPYdlOisJS
2016-05-20 22:54:185/5 13:19 紀北町長島/江の浦大橋 橋を渡って中の島に入る。昼飯を食べ損なった。 pic.twitter.com/Fys2sTyBbP
2016-05-20 23:03:41×中の島 ○中ノ島
【古写真追加】
長島(西長島)横町 長島港修築起工式記念行事(明治36年) 横町から平岩町までの海岸堤防の建設が決ったことを祝う起工式の写真。山の形から横町の江の浦入口の空き地のようだ。家屋が海岸付近まで密集している長島の住民にとって堤防の建設は悲願だったので、行事は大いに盛り上がった。 pic.twitter.com/1FwtaK738j
2017-06-25 22:33:02長島(西長島)明治末 堤防の建設状況はよくわからないが、江の浦の入口はふさがっていて空き地のようになっており、手前に細い水路があるのがわかる。今の県道516号(長島港線)が当時の海岸線なのだろう。 pic.twitter.com/ePgMlZebIi
2017-06-25 22:38:35長島(西長島)前浜海岸 明治末 平岩町あたりの写真のようだが、家屋横の小さい防潮堤は昔からあるやつだろう。 pic.twitter.com/vyQ0pzoPtf
2017-06-25 22:48:35長島(西長島)城腰山からの眺め 大正末か昭和初期 海岸に新しくできた海岸堤防が見える。資材運搬用のトロッコの線路が見えないので、完成後の写真だろう。海岸堤防工事が終了したのは着工から12年後の大正7年(1918)である。 pic.twitter.com/FhCsFXKDFN
2017-06-25 23:32:59長島(西長島)大正末 この写真は松崎の上にある中ノ島浅間神社あたりから撮影したのだろう。完成した海岸堤防の端が見える。まだ江の浦の入り口はふさがっている。 pic.twitter.com/O7MxCARMde
2017-06-25 23:50:01長島(西長島)長島港 昭和初期 松崎の長い防波堤と江の浦入口の防潮護岸が完成し、江の浦に大型船が入れるようなったのは昭和12年(1937)である。そして昭和17年には大型漁船の建造が可能な造船所もできた。遠洋漁業時代の始まりである。 pic.twitter.com/07In9XhQSz
2017-06-26 00:02:12紀伊長島 江の浦大橋の歴史 昭和44(1969) 10月3日 起工式 昭和46(1971) 12月1日 竣工 ①昭和54(1979) 昭和57(1982) 前浜の埋立て開始 昭和59(1984) 入口変更の架け替え工事開始 ②昭和60(1985) 架け替え工事終了 ③現在 pic.twitter.com/dkQWxRAW0B
2017-06-27 00:03:53紀伊長島 江の浦橋(初代) 昭和29年(1954)年11月竣工の跳開式可動橋。全長は96m。 pic.twitter.com/JPzVL7lnhx
2017-06-27 21:52:52長島-錦間を結ぶ巡航船「大商丸」の歴史 大正 6 初代… 錦の西村兼助が創業 大正10 2代目 昭和 6 3代目 昭和44 4代目(九州から購入) 昭和53(1978) 9月19日 国道260号線 錦ー紀伊長島間 開通 12月 2日 巡航船廃止。同日、定期バス運行開始 pic.twitter.com/x1tKbdY4je
2017-06-27 22:08:26中ノ島/大向井
5/5 13:20 紀北町長島/中ノ島の風景 県道581号長島港古里線を海野に向かって歩いている。遠くに江の浦橋の昇降機、その向こうに西小学校が見える。 pic.twitter.com/uelIDSCDel
2016-05-21 21:12:395/5 13:25 紀北町長島大向井/江の浦 内陸部に深く入り込み、波静かな江の浦は、大型遠洋漁船の基地に最適な良港である。しかし昔は大きな船はここには入れなかった。 pic.twitter.com/K2kRrTHdby
2016-05-21 21:33:00紀北町長島/江の浦 ←伊能図 Googleマップ→ 江戸時代は入口がふさがっていて、中ノ島の形が今とだいぶ違う。伊能図だと中ノ島は干潟か湿地帯のような感じで人家(黒い点)がない。 pic.twitter.com/1vh0PpWSlY
2016-05-21 21:44:21紀北町長島/江の浦入口(明治時代) 干潮時かもしれないが、江の浦の入口はふさがっている。細い水路のようなものがあるが、小舟しか通れなさそうだ。手前の中ノ島に人家は見えない。 pic.twitter.com/w19yihFGOj
2016-05-21 21:49:36紀北町長島/江の浦(大正時代か昭和初期) 江の浦の入口に水路ができていて、橋も架かっているように見える。大正時代から長島で真珠養殖が始まっているが、江の浦内に養殖いかだがあるのがわかる。中ノ島には人家が立ち並んでる。 pic.twitter.com/WQPy3TuXTZ
2016-05-21 22:03:23紀北町長島/江の浦(大正時代か昭和初期) 昔の絵葉書。旧紀伊長島町役場あたりから撮影した江の浦だが、江の浦橋はまだないな。本町あたりに松の巨木みたいなのがある。 pic.twitter.com/tiBWfOT0Pw
2016-06-11 14:33:28江の浦橋は昭和7年(1932)、不況対策のため架橋工事が始まった。翌年には中ノ島に日本冷蔵の製氷工場ができた。 twitter.com/ruby_emy/statu…
2016-06-17 23:05:52紀北町長島/長島尋常高等小学校 今の西小。昭和2年(1927)、日米親善で米国に送る市松人形「ミス三重」に添える手紙を長島小代表で書いたのが婆ちゃん。その18年後、二郷村の婆ちゃん家は空襲で焼失。そして63年後、新聞に載る婆ちゃん。 pic.twitter.com/NoEbmiCwVi
2016-06-11 14:51:02