森村泰昌連続講座「新・美術寺子屋/自画像の話」第9回「ウォーホル~ウォーホルはポップではない」[実況]
- misonikomioden
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森村泰昌連続講座「新・美術寺子屋/自画像の話」 第9回 6月12日(日) 名村造船所跡地 「ウォーホル~ウォーホルはポップではない」 morimura2016.com/event.html
2016-06-12 13:36:50NAMURA ART MEETING '04-'34 vol.05「臨界の芸術論 II ―10年の趣意書」 森村泰昌アナザーミュージアム&アーカイブルーム nam04-34.jp/vol05_2.html namura.cc/ccoblog/infoma…
2016-06-12 13:40:38引用)森村泰昌連続講座「新・美術寺子屋/自画像の話」(全10回) これは、「講座」という名のパフォーマンス。ご来場をお待ちしています。(森村)→
2016-06-12 13:53:50「自画像」をテーマにした全10回にわたるレクチャーパフォーマンス。各回、美術史における代表的な自画像を1点取り上げ、自画像とは何か、「私」とは何かという問いに、これまで画家達はどういう答えを見出してきたかを、独自の視点から考えます。 morimura2016.com/event.html
2016-06-12 13:53:59筆者)ちょうど大阪いるので実況したいとおもいます 実況ツイートはその場で話を聞き書き起こしているため、誤字脱字、筆者の誤読等あり、発話者の意図と異なることもあります。
2016-06-12 14:03:44森村「美術寺子屋、自画像がテーマだが、ウォホールもそれで考えるが、彼には沢山のセルフポートレート作品がある。それをざーと見ると、面白い話が導き出せる、という感じならない。
2016-06-12 14:05:35しかしウォホールは・・・ 20世紀は写真の時代で、色んな人が彼を撮影している。メイプルソープ、リチャードアベトン、彼は、3発の銃を受け重症となり一命は取り留めるが、その傷を見せつける写真を撮影してる
2016-06-12 14:07:10メイプルソープの映す写真、ウォホールはウィッグをつけるその裾が黒くなる、でも彼の髪は黒くなく薄い色でわざわざ黒く染めている、更にウィッグ、まゆげも黒いのだが、以前は白かった、ここも染めてるのかな、、、
2016-06-12 14:09:41ウォホールは容貌にコンプレックスあり、鼻が大きく、NYで整形手術を行う。彼の撮影したセルフポートレートではそれは感じさせないが、他人が撮影したものはあからさまに写る。自分でも整形や髪の造形をスケッチしたりしている。
2016-06-12 14:11:13とはいえ整形手術は上手くいかず、ある写真ではそれが赤裸々に出る。 それを見ると色々考えさせられる。 つまり自画像的なものが外側へ拡散している。 セルフポートレートは一般的には内発するものが外化する。理想や赤裸々さなど。だが彼は違う。
2016-06-12 14:12:38アンディー・ウォーホルを感じさせるものは外側にある。 彼という芸術家をどう語るか。随分考えた。 それは、ウォホールの自画像とは「ウォホールという方法」ということである。それで彼が何者なのか考える。
2016-06-12 14:14:29デュシャン、7回目でフリーダの話したがその時もその名前が出てきた。フリーダのパリ展示、ブルトンを頼って来たのだが何もせずそこで助けたのがデュシャンだった。
2016-06-12 14:16:31その彼がウォホールについてこういう 「ある男、50のキャンベル・スープをキャンバスへ映すなら、網膜イメージでなく、興味が有るのは、映さざるをえないコンセプトだと
2016-06-12 14:16:35問題は何が表されているかではない。いかに描かれているか、それが重要だ。いかなる「方法」で描かれているか、それが重要。 そこでウォホールという方法。
2016-06-12 14:17:33マリリンモンローを描くにしろ、様々な描き方があるはずだ。しかし彼女を描いたことが重要でなく、彼女をいかなる方法で描いたか、それが重要だ
2016-06-12 14:18:20ではその方法とは何か。 私は、反転の妙技である、と考える。 それが徹底している。 全てに反転をやりその妙技がウォホールを作っており彼自身という人間を作っている。
2016-06-12 14:20:07さて、彼の生い立ちを話したい。 1928年ペンシルバニア州ピッツバーグで誕生。三男。 本名はアンドリューウォホーラ。四ポンド程度で誕生したので小さかった。肌は青白く髪も生えてなかったそう
2016-06-12 14:21:53父は炭鉱夫で、さらに建築現場や鉄工所でも働いてたそうで家にはいなかったようだ。お父さんの写真は一枚もない。偶然なのか故意に破棄したか分からないがそのため容貌不明。お母さんとは似ている
2016-06-12 14:22:50両親はチェコスロバキアで知り合い結婚する。 オンドレとジュリア。 三年後、父は単身でアメリカへ出稼ぎへ行く。母は村に留まった。 9年間アメリカから帰国しなかった。第一次大戦も合間にあった。 それは一生懸命に働いてたためで、1921年に母へ旅費が届き、移住する。
2016-06-12 14:25:15それから二人子供ができ、三番目がアンドリューであった。 1928年生まれ、1932年に小学校へ初登校と年譜になる。 同世代の子どもたちがアンドリューを見て怯え騒ぎ出すことが起きた。 それは不気味な胎児のように見えたからだそう。
2016-06-12 14:26:45異形物、自分たちと全然違うと感じたためだ。 それを見てアンドリューが泣き出し、大騒ぎとなった。 一日だけで登校をやめた。 2年生から別の学校へ行くがだめで、登校拒否を繰り返した
2016-06-12 14:27:44