森村泰昌連続講座「新・美術寺子屋/自画像の話」第9回「ウォーホル~ウォーホルはポップではない」[実況]
- misonikomioden
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母はチェコ訛りと英語がごちゃごちゃなのだが、アンドリューを溺愛する。 お話を聴かせるものの何を言ってるかわからない。 でもお母さん面白かったよありがとうと返したそうで、それが小さい頃の話
2016-06-12 14:28:50本人は小さい時は女の子として育ったという。 父はアンドリュー14歳の時に亡くなる。 稼ぎが減るので上のにいちゃんは家計を支えるようになるが、父の遺言でアンドリューを大学へ行かせるように、となり、カーネギーへ行き、絵画とデザインを学ぶ
2016-06-12 14:30:27ここからハンディを背負い頑張り有名な芸術家となった、古いタイプのサクセス・ストーリー、あるいはヒューマンドキュメンタリーを想像するが、それを反転させている。アンチヒューマニズムにさせる。 謎めいた人物、毒舌、そして人を食ったかのような作品を作る
2016-06-12 14:32:15大学卒業後ニューヨークへ行く。21歳の時。 当初はデザイナー、イラストレーターとして活躍した。 非常に優秀であり雑誌ボーグやレコードジャケットを手がけた。 商業美術で、49~50年前後にウォホールへ改名し、有名になりお金も稼ぐ
2016-06-12 14:34:05アートディレクターズ賞ももらったりするんで、それでいきゃあ良いんだけど、いい仕事してるしデザイナーで行きなよってとこだが、元々はデザイナーでなく画家になりたい気持ちがあったんだろう。 仕事しつつ絵を描いており展覧会も開き画廊もまわっていた
2016-06-12 14:35:05では絵描きにならなかったのはなぜか。 1つは家庭環境から稼ぐ必要があった。売れるかどうか分からない絵を並べても稼げない。仕事として依頼あり営業して仕事をとり提供しお金をもらう商業美術でないと稼げない。
2016-06-12 14:36:10もう一つは、彼のデザイナーの時代、アメリカ美術世界は抽象表現主義だった。ポロックなど。アメリカ独特の、西欧のものまねでなく、自分の国独特の表現が生まれ一世を風靡した時。
2016-06-12 14:37:13彼がポップアーティストとして有名になってからの話だが、「僕が62年の末から64年のはじめまでギャラリーで契約しておりインディアナなどもいて、僕らはオープニングパーティにでかけたりした。
2016-06-12 14:40:06当時美術界支配してたのは抽象表現主義で、ポスト表現主義、ハードエッジも登場するが、ポップも認知されてなかった。その抽象表現主義からのポップへの嫌悪もすさまじいもので、画家たちもそうであった。 あるパーティに友達と行ったが、そこで部屋を見渡すと、
2016-06-12 14:40:48ヘビーな苦悩に満ちたインテリでいっぱいだった。突然騒がしい声が鎮まり誰もが僕達を見た。マーク・ロスコがホステスの画家を自分のそばに呼ぶのを見えた。彼女になんであいつらを呼ぶんだと。」 ぼくはロスコ大好きですよw、ここから仲が悪いのが分かる
2016-06-12 14:42:32アクションペインティング、それはアクティビティがあり、どんどん表現していく。ロスコはもっと神秘的で宗教的だが、それはウォホール的には変なお説教やめてくれってことだろう。
2016-06-12 14:43:12そんな状況がメインになってる美術の世界に若きウォホールもおりそんな世界では作品作れないですね。やりたいけどやってない。デザインをしてる。そこで非常に良い仕事する、つまり、才能のあり方が分かる
2016-06-12 14:44:11彼の美的センス、一般的に絵を描くこと、絵心、石膏デッサンがうまいということではない。彼の絵の巧さはグラフィズムだ。 印刷を用いる芸術表現とそのセンス。 ポスターを作るセンス。ブックデザイン。それらは一枚のキャンバスへ絵を描くのとは違う
2016-06-12 14:45:28彼は最終的にグラフィズム、それを芸術へ反転させて持ってきたのだ。 デザインワークでいい仕事するがいつか芸術=ファインアートの世界で何かしたいと思いつつやっと転機、デザイナーからファインアートに移れる移ろうともろむのが1962年。
2016-06-12 14:47:06数年前彼は僕はマティスになりたいと言っていた。 マティスは一枚のキャンバスへ試行錯誤し美しい色と形のシンプルな世界を創りだすのが、その絵に対しそこにウォホールは絵のセンスでなくグラフィズムのセンスを見たのだろう。あんな感じのことなら自分でできると直感したんだろう
2016-06-12 14:49:09間違ってもウォホールは僕はゴッホになりたいとは言わないだろう。 有名な画家になりたいという比喩でなく、マティスの美的センスを自分とつなげた。ピカソ・・・彼はグラフィズムを持ってるが彼になりたいとは言わないだろうね
2016-06-12 14:49:53もう一つ、芸術の世界の潮目を見た。 ロスコやポロックがすごいとそれに続く作家が出てきて抽象表現主義中心の時代となったが、結局初期の人たちを超えられず低迷しており、次の時代が期待されていた。ラウシェンバーグなどが出現し徐々に変わり始めた。その変化の潮目を感じたのだろう
2016-06-12 14:51:47さらにビジネスチャンスはアートにあると感じたのだ。 重要な作品は時代精神を背負う。時代を反映される作品でなければその作品は時代に刻まれない。 と、いえば聞こえが良いが、結局、どうやったらウケるのかってこと
2016-06-12 14:53:12どうやったらウケるのか、ってファインアーティストは誰も言わないが、結局そういうこと。その点ではファインアートより商業美術のほうが水準は高い。ポスターを通じてその商品がいかに売れるか分かってないと死活問題だ
2016-06-12 14:54:11いよいよ美術の世界へデザインの世界から転職することになる。 と、同時にすること、美術好きなので美術の作家へ変わった、それだけでなくグラフィズムの方法をファインアートの方法として反転させた
2016-06-12 14:57:03