【源氏物語ゆかりの地】『源氏物語』の六条院を思いながら源融の河原院跡を歩きませんか?~どきっ!「塩竈」だらけの街~

『源氏物語』において光源氏が35歳の年に造営した大邸宅「六条院」。 その「六条院」は平安時代前期に実在した源融(みなもとのとおる)の「河原院(かわらのいん)」がモデル視されています。 「河原院」跡とその周辺史跡をめぐりつつ、『源氏物語』の「六条院」を想像して歩くオフ会を行いました。
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なぎ @kakitutei

富小路通沿いにある蓮光寺と長講堂も外から拝観。(地図上では河原院跡の外になります) 蓮光寺=馬に乗った平清盛を止めたと伝わる「駒止地蔵」がおわします。 長講堂=後白河法皇ゆかりのお寺。後白河法皇坐像もおわします。 pic.twitter.com/Oc9yBdLMKp

2016-06-19 15:17:52
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なぎ @kakitutei

7、市比賣神社(いちひめじんじゃ) 女人守護で知られています。私たちがお参りした日も女性のご参拝がとても多かったです。(*^-^)b 神社の近くの住居を見上げると仁丹の「六條通河原町西入 本塩竈町」が掲げられていました。 pic.twitter.com/zGdtsPHk92

2016-06-19 15:29:55
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なぎ @kakitutei

市比賣神社があるあたりは河原院跡の南西部に相応します。これを『源氏物語』に登場する六条院の想定図に重ねたとしたら、秋好中宮が住んだ「秋の町」にあたります。 もともと、「秋の町」は秋好中宮の母・六条御息所の邸宅跡地であり、それに手を加え滝を造り広々とした秋の野のように造られました。

2016-06-19 15:33:08
なぎ @kakitutei

河原町通を横断して住宅街の細い道へ。この細い道は御土居の名残りとも。 この辺りは河原院跡の南東部に相応します。 これを『源氏物語』に登場する六条院の想定図に重ねたとしたら、光源氏と紫の上が住んだ「春の町」にあたります。庭には、春の花が植えられ趣向が凝らされていました。🌸

2016-06-19 15:40:25
なぎ @kakitutei

「春の町」は六条院の中心的な存在でした。紫の上は東の対に住み、明石の姫君が産んだ明石の姫君を養育していました。(明石の姫君を養育していた期間のみ紫の上は寝殿で過ごしたという説も) 光源氏に降嫁した女三宮は寝殿西面に住むことになります。

2016-06-19 15:42:58
なぎ @kakitutei

明石の姫君は入内し、女御を経て中宮となります。里下がりした時にはこの「春の町」寝殿東面で過ごしました。 紫の上・光源氏の死後は、明石中宮の女一宮が東の対に住み、二宮が寝殿を里邸にしました。こうして「春の町」は明石一族の繁栄の象徴ともなったのでした。

2016-06-19 15:45:30
なぎ @kakitutei

8、此附近 源融河原院址碑(籬の森跡) 地図上の「河原院」跡から若干ずれていますが、河原院跡を偲べる石碑と駒札がたっています。大きな榎(エノキ)があるのが目印です!! pic.twitter.com/9p5IUCSaD2

2016-06-19 15:53:30
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なぎ @kakitutei

この榎(エノキ)があるあたりは「籬(まがき)の森」があったのだそうで、これは河原院の池の庭にあった「籬の島」のなごりだと伝わるのだとか。 ※籬の島は、宮城県塩竈市の浦にある小島のこと。

2016-06-19 15:58:02
なぎ @kakitutei

9、カフェ「efish(エフィッシュ)」 此附近 源融河原院址碑のすぐそばにあるカフェにてひとやすみ☆彡 鴨川をのぞめる素敵なお店です。川の上を渡ってきた風が心地よかったです。O(≧▽≦)O pic.twitter.com/J88xU07imO

2016-06-19 16:05:13
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なぎ @kakitutei

(;´Д`)。o0(肝心の河原町五条の写真を撮り忘れました!)

2016-06-19 16:15:24
なぎ @kakitutei

河原町五条の大きな交差点は河原院跡の北東部に相応します。 これを『源氏物語』に登場する六条院の想定図に重ねたとしたら、花散里が住んだ「夏の町」にあたります。「丑寅の町」とも呼ばれました。 夏にふさわしい涼しげな泉があり、庭には花橘・撫子などが植えられていました。

2016-06-19 16:09:48
なぎ @kakitutei

花散里を母代わりとしていた光源氏の息子・夕霧は「夏の町」を里邸として使用していました。西の対には、京から筑紫へ下ったのち再び京に戻ってきて光源氏の養女となった玉鬘が住んだ時期もあります。

2016-06-19 16:12:29
なぎ @kakitutei

光源氏の死後、花散里は二条東院を相続したため主不在となりましたが、夕霧が落葉の宮を「夏の町」に移り住まわせました。また夕霧は藤典侍とのあいだに生まれた六の君を落葉の宮の養女とし、その婿として匂宮を迎えます。 こうして「夏の町」は花散里⇒夕霧⇒落葉の宮⇒六の君へと伝わるのでした。

2016-06-19 16:14:43

以上、『源氏物語』における大邸宅「六条院」の冬の町→秋の町→春の町→夏の町を思いながら歩いてみました。(*^-^)b

なぎ @kakitutei

・・・ここで散策も終わりと思われた方もいると思いますが、まだ続きます。( *´艸`) こののち、新京極にある錦天満宮を訪ねました。 それは錦天満宮の前身がかつて河原院跡にあったことにちなみます。

2016-06-19 16:21:23
なぎ @kakitutei

10、錦天満宮 ご祭神:菅原道真公 ご神徳:智恵・学問・商才・招福・厄除け・災難除け 菅原道真は『源氏物語』光源氏のモデルのひとりとも。 私たちがお参りにいった日も賑わっていました。(*^-^*) pic.twitter.com/lgjd7mLxal

2016-06-19 16:29:42
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なぎ @kakitutei

『源氏物語』<須磨>において、京から須磨に退居した光源氏が、京から大宰府へ左遷された菅原道真の漢詩「九月十日」の一節を口ずさむ場面があります。光源氏の口から菅原道真が大宰府で詠んだ漢詩を言わせることで、『源氏物語』の読者が道真のイメージを光源氏に投影させることを狙っているのかも。

2016-06-19 16:31:54
なぎ @kakitutei

錦天満宮 末社・塩竈神社(しおがまじんじゃ) ご祭神:源融公(みなもとのとおるこう) ご神徳:安産 源融公の河原院跡に歓喜光寺が創建された際、源融公をご祭神として創始。その後、天満天神(のちの天満宮)とともに現在の場所へ移動。 pic.twitter.com/9LFsvoct9w

2016-06-19 16:36:10
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なぎ @kakitutei

「河原院」跡を訪ねたあとお時間がおありの方は足をのばして、錦天満宮とその末社・塩竈神社をお参りしてはいかがでしょう。 神様となった源融さんにお会いできます。(*^-^)b (ちなみにかつて河原院跡にあった六条道場紫台山河原院歓喜光寺のほうは現在、京都市山科区に移転。)

2016-06-19 16:42:55

というわけで!

なぎ @kakitutei

京都オフ会、『源氏物語』の六条院を思いながら源融の河原院跡を歩きませんか?~どきっ!「塩竈」だらけの街~ のレポにおつきあいくださりありがとうございました。<(_ _)>

2016-06-19 16:45:05

京都散策オフ会にご参加くださった皆様もありがとうございました!(^-^)
また、このような源氏物語ゆかりの地を歩くオフ会を開催したいです。